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激情のディソナンス  作者: 白瀬余白


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第10話 鉄門のてっぺん

「そっち、もっと持ち上げろ!」


「上げてるだろうが!」


「俺のほうが重いぞ!」


「同じ木だぞ、馬鹿!」


 放課後、西の土場。


 ガルドとラグは、二人で長い角材を運んでいた。


 集まってきた生徒たちが、両側へ避ける。


 角材を積み木の上へ下ろすと、ガルドが腰を伸ばした。


「よし。広くなった」


「お前が昼にここへ置いたんだろ」


「だから片づけてんだろうが」


「何で俺までやってんだよ」


 ラグが肩についた木屑を払った。


 周囲で笑いが起きた。


 ポルは、バッシュの隣に立っていた。


 自分の水筒を両手で持ち、二人を見ている。


「……もう喧嘩するんですよね」


「するぞ」


「何だか、いつもどおりですね」


「だからだろ」


 バッシュはガルドを見た。


 ガルドはまだ笑っていた。


 ラグも、口元を緩めている。


 けれど、片づけが終わると、二人とも自然に距離を取った。


 笑ったまま、相手の手を見た。


 肩を見た。


 足の置き方を見た。


 ポルの指が、水筒の胴を強く握った。


 土場の端では、エルンが二人の上着を荷台へ載せていた。


 ラグが声をかける。


「昨日の歯車、使えたか」


「使えた。今度のは、ちゃんとゆっくり回る」


「肉が飛んでこねえんだな」


「たぶん」


「たぶんかよ」


 ラグが笑った。


 エルンも少し笑った。


 それから、持っていた上着を丁寧に置き直した。


「ラグ」


「何だ」


「負けないでね」


 ガルドが振り向いた。


「おい! 俺は!」


「ガルドも」


「どっちだよ!」


 エルンは困ったように眉を寄せた。


「どっちにも負けてほしくないんだから、仕方ないだろ」


 ガルドは一瞬、黙った。


 それから、でかい口を開けて笑った。


「じゃあ、両方ちゃんと見とけ!」


 ラグが袖をまくった。


「見落とすほど早く終わらせてやるよ」


「言ったな!」


 ガルドも袖を上げる。


 太い前腕が出た。


 二人が土場の中央へ進んだ。


 さっきまで笑っていた連中が、少しずつ口を閉じる。


 バッシュも腕を組むのをやめた。


「バッシュ先輩」


 ポルが小さな声で聞いた。


「どっちに、勝ってほしいですか」


「どっちも殴り倒してえ」


 即答だった。


 ポルが顔を上げる。


 バッシュは前を向いたままだった。


 冗談を言った顔ではなかった。


     *


「いくぞ、ラグ」


「来い」


 ガルドが踏み込んだ。


 土が蹴り上がる。


 ラグの拳が先に伸びた。


 ガルドの頬を捉えた。


 けれど、ガルドの足は止まらなかった。


 そのまま、拳を振った。


 ラグが腕で受ける。


 受けた腕ごと、上体が押された。


「おおっ!」


 周囲から声が上がった。


 ラグが足を戻す。


 そこへ、もう一発。


 今度は脇腹へ入った。


 ラグの息が漏れた。


 ガルドはさらに近づいた。


 拳がぶつかる音が、続けて二つした。


 ラグが横へよろけ、片手を土についた。


 まだ、始まったばかりだった。


「いけるぞ、ガルド!」


「そのまま押せ!」


 二年たちが叫んだ。


 ガルドが拳を構え直す。


「どうした!」


 ラグは顔を上げた。


 唇の端に、血がついていた。


「お前、相変わらず重てえな」


「褒めてんのか!」


「どけって言ってんだよ!」


 ラグが立ち上がると同時に、前へ出た。


 ガルドが打った。


 その腕が、横へ流された。


 次の瞬間には、ラグが懐へ入っていた。


 二人の腕が絡む。


 ラグが腰を入れた。


 引かれたガルドの胸が、その背へ乗った。


「お?」


 足が土から離れた。


 背中から落ちた。


 鈍い音がした。


 ガルドの口から、息が一気に抜けた。


「おおおお!」


 今度は三年が叫んだ。


「そうだ、ラグ!」


「力だけで勝てると思うなよ、二年!」


 ポルの肩が跳ねた。


 ガルドは地面に寝たまま、口を開けていた。


 あの大きな体が、持ち上がった。


 投げられた。


 ポルは自分の背中まで痛くなった気がした。


 ガルドが片肘をつく。


 咳を一つした。


 土を吐いた。


 それから、笑った。


「……効くじゃねえか!」


 ラグも笑った。


「どうした。寝心地いいか」


「悪い!」


 ガルドが立ち上がった。


 背中に土がべったりついている。


 上着を脱いでいてよかった、とポルは場違いなことを考えた。


 そうでも考えなければ、目をそらしてしまいそうだった。


 ガルドは一度、大きく息を吸った。


 もう一度、構えた。


「もういっぺんだ」


「何回でも来いよ」


 ラグが指を曲げた。


 ガルドが、また土を蹴った。


     *


 今度は、ラグも下がらなかった。


 拳がガルドの顔へ入る。


 ガルドの拳が、ラグの腹へ入る。


 二人の肩がぶつかった。


 押し合う。


 腕が絡む。


 ラグが引いたかと思うと、ガルドの頭が跳ねた。


 それでも、ガルドは離れなかった。


 顔を殴られた直後に、拳を返した。


 ラグが歯を食いしばる。


 ガルドも、歯を食いしばった。


 どちらかが打つたびに、人垣が揺れた。


「ラグ! そこ!」


 エルンの声がした。


 いつもより、ずっと大きかった。


 ラグがガルドの腕を押しのける。


 短い拳が、ガルドの顎を打った。


 ガルドが一歩下がった。


 追ってきたラグへ、すぐに拳を返す。


「ガルド!」


 今度は、エルンがそちらの名を呼んだ。


 自分でも気づいていないようだった。


 バッシュは、二人の足を見ていた。


 ラグは、ガルドを少しずつ動かしている。


 ぶつかって、引いて、向きを変える。


 ガルドはそれを、力で押し戻していた。


 何度も。


 そのたびに、拳をもらっていた。


「離れろよ、馬鹿……」


 バッシュが呟いた。


 聞こえる距離ではなかった。


 ガルドは離れなかった。


 ラグの肩へ頭を寄せるほど近づき、腹へ拳を打ち込む。


 ラグの体が折れる。


 だが、そこで止まらない。


 ガルドの腕を抱え、押し返す。


 大きな二人が、人垣のほうへ流れてきた。


 見ていた一年たちが、慌てて後ずさった。


 一人の踵が、後ろの生徒の足に乗った。


「あっ」


 ポルが腕を伸ばした。


 倒れかけた背中を受け止める。


 そのまま、前にいた二人へ声をかけた。


「少し、下がってください!」


 声に押されるように、生徒たちが動いた。


 まだ、後ろから見物人が寄ってくる。


 ポルはもう一度、声を張った。


「下がってください!」


「聞こえねえのか! 空けろ!」


 バッシュも怒鳴った。


 人垣が広がった。


 その前を、ガルドとラグが押し合いながら通った。


 ポルは、すぐ近くで二人の顔を見た。


 汗も、血も、土もついていた。


 笑ってはいなかった。


 必死だった。


 さっきまであんなに楽しそうだった二人が、今は相手を倒すことしか考えていない顔をしていた。


 ガルドの拳が、ラグの肩を叩く。


 ラグの拳が、ガルドの口元を打つ。


 また、鈍い音がした。


 ポルは後ろへ下がった。


 膝が震えていた。


 けれど、その場からはいなくならなかった。


     *


 二人が離れた。


 どちらも肩で息をしていた。


 ラグの右目の下が腫れていた。


 ガルドは口元を手の甲で拭い、その手を見て顔をしかめた。


「口の中、切れた」


「俺もだ、馬鹿野郎」


「お前が殴ったんだろ」


「お前も殴っただろうが」


 周囲から、張りつめた笑いが漏れた。


 笑った連中も、すぐに黙った。


 ラグが構え直したからだった。


「そんなに、頭になりてえか」


「おう」


「俺が卒業するまで、待てなかったのかよ」


 ガルドが眉を寄せた。


「待ったら、お前とやれねえだろ」


 ラグが止まった。


 ガルドは拳を上げた。


「お前がいなくなってから、一番だって言ってもしょうがねえんだよ」


 大きく、息を吐く。


「俺は、お前を倒して頭になる」


 ラグは、口の端を上げた。


 切れたところが痛んだらしく、すぐに歪めた。


「……いいじゃねえか」


 一歩、前へ出る。


「やってみろよ!」


 ガルドも出た。


 ラグの拳が、頬へ当たった。


 足が半歩ずれた。


 そこを、ラグが逃さなかった。


 また、腕が絡んだ。


 ガルドの体が引かれる。


 腰が入ってくる。


 さっきと同じだった。


 ポルが息をのんだ。


 ガルドは膝を折った。


 体が浮く前に、両足を開いて踏ん張った。


 靴底が土を削った。


 ラグが、もう一度引いた。


 ガルドの踵が、深く食い込む。


 今度は、ラグの背へ乗り上げなかった。


 バッシュの目が見開かれた。


 離れないまま、止めやがった。


「二度目だぞ、ラグ!」


 ガルドが吠えた。


 ラグは舌打ちした。


 掴んだ腕を離さず、体の向きを変える。


 押し返されると思ったところで、横へ引かれた。


 ガルドの片足が、土から浮いた。


 残った足まで、ずるりと滑った。


 バッシュの口から、声が飛び出した。


「俺に勝ったくせに!」


 自分でも、叫ぶつもりはなかった。


「そこで止まんな、ガルドォ!」


 ガルドが歯を食いしばった。


 浮いた足を、ラグの足元へ叩きつける。


 土が弾けた。


「止まるかよ!」


 胸ごとぶつかった。


 ラグの息が、耳元で潰れた。


 ガルドはもう一歩出た。


 肩を胸へ押しつけたまま、ラグを押した。


 ラグも足を開いた。


 止めた。


 二人の背中の筋が、薄いシャツを持ち上げた。


 ラグの拳が、ガルドの脇腹へ入った。


 息が詰まった。


 それでも、ガルドは体を離さなかった。


 もう一発、同じところへ来た。


 ガルドの額が、ラグの肩へ落ちた。


 エルンが口を開いた。


 声が出るより先に、ガルドの足が動いた。


 低いまま、短く一歩。


 ラグの靴が、土に筋を引いた。


 バッシュが拳を握った。


「押せえ!」


 ガルドの喉から、言葉にならない声が出た。


 もう一歩。


 ラグも吠えた。


 押し返そうとした足が、半歩ずつ運ばれていく。


 エルンは、もうどちらの名も呼べなかった。


 ラグの脚が震えていた。


 ガルドの脚も、同じだった。


 ラグが、掴んでいた腕を離した。


 押し合っていた胸の間に、わずかに隙間ができた。


 そこから、拳が飛んだ。


 ガルドの顔が横へ跳ねた。


 切れていた唇から、血が飛んだ。


 それでも、踏み込んだ足は戻らなかった。


 ガルドは腰ごと拳を振り抜いた。


 大きな拳が、横からラグの頬を捉えた。


 ラグの上体が傾いた。


 踏み直す足が、もう出なかった。


 膝が落ちた。


 手が土についた。


 ガルドは、その前に立っていた。


 拳を下ろさず、相手を見ていた。


「立つぞ」


 ラグが言った。


 誰に言ったのか、わからなかった。


 自分に言っているようにも聞こえた。


 片足を起こす。


 地面を押す。


 体が浮きかけた。


 ガルドは待った。


 周囲も待った。


 ラグの腕が震えた。


 もう一度、力を入れた。


 上がらなかった。


「……くそ」


 声が落ちた。


 ラグが拳で土を叩いた。


 一度だけ。


「負けだ」


 誰も動かなかった。


 ラグが顔を上げた。


 ガルドを、まっすぐ見た。


「俺の負けだ、ちくしょう」


 一瞬の静けさのあと、土場が割れるように沸いた。


     *


「ガルドォ!」


「勝った!」


「三年、倒しやがった!」


 二年たちが一斉に前へ出た。


 ガルドが両腕を上げかける。


「勝っ――痛ってえ!」


 すぐに片方を下ろした。


 周囲が笑った。


 笑いながら、肩を叩こうとした奴がいた。


「叩くな! 今、全部痛え!」


「いつも俺には叩くくせに!」


 バッシュが怒鳴った。


「今日だけやめろ!」


「知るか!」


 それでも、バッシュは叩かなかった。


 ガルドの前まで来て、その顔を見た。


 頬が腫れている。


 口の端から血がにじんでいる。


 それなのに、目だけはまだ元気だった。


「見たかよ」


「見た」


「俺、勝ったぞ」


「見てたって言ってんだろ」


 ガルドが笑った。


 バッシュは、笑い返さなかった。


 嬉しくないわけではなかった。


 だが、腹が立っていた。


 あの真ん中に立っていたのは、自分ではない。


 今、皆が名前を呼んでいるのも、自分ではない。


 ガルドが、その顔を見た。


「何だよ」


「次、俺がそこに立つ」


 バッシュが言った。


 ガルドは一瞬、黙った。


 それから、大きくうなずいた。


「来いよ」


「行く」


 それだけ言って、バッシュは脇へどいた。


 ポルが水筒を持って立っていた。


「あの、水」


「おう、くれ!」


 ガルドが手を伸ばす。


 指がうまく曲がらず、水筒を取り損ねかけた。


 ポルが支える。


「持ちます」


「悪い」


 ガルドは水を口へ含み、すぐに顔をしかめた。


「しみる……」


 ポルは、少しだけ笑った。


 まだ、手が震えていた。


 ガルドがそれに気づいたかどうかは、わからなかった。


 少し離れたところでは、三年たちがラグを囲んでいた。


「立てるか」


「立つよ。ちょっと待て」


 ラグは膝を立て、今度は仲間の肩を借りた。


 エルンが上着を持ってきた。


「ラグ」


「何だ」


「明日、大きいほうの焼き台を組むから」


 ラグが彼を見る。


「来て。あの軸受け、取りつけるところ見てほしい」


「……俺、負けたばっかなんだけど」


「それは見てた」


「容赦ねえな、お前」


 エルンは上着を差し出した。


 ラグが受け取り、肩へかける。


「行くよ」


「うん」


 ラグが、ガルドを呼んだ。


「おい、新しい頭」


 周囲の声が少し静かになった。


 ガルドが振り返る。


「何だ」


「勘違いすんなよ。俺は二番で落ち着くつもりはねえからな」


 ガルドの口が、また大きく開いた。


「おう。何回でも来い!」


「その顔、治しとけよ」


「お前もな!」


 ラグは鼻で笑った。


「じゃあ、頭が先に叱られてこい」


「何でだよ」


「俺は先輩だぞ」


「そこだけ先輩かよ!」


     *


 保健室では、二人まとめて叱られた。


 手当を受けて外へ出るころには、鍛冶場の煙が夕日の中へ長く伸びていた。


 ガルドの両手には包帯が巻かれていた。


 ラグの頬にも、大きな貼り薬がついている。


 二人の後ろを、それぞれの仲間が歩いた。


 三年が二年へ、さっきの投げ方の話をしていた。


 二年が負けじと、最後の一発の話を返している。


 どちらの話も、少しずつ大きくなった。


「飛んだだろ、ガルド」


「飛んでねえよ!」


「足、地面から離れてたぞ」


「だったら飛んだんだろ!」


「今、自分で言ったぞ!」


 また笑いが起きた。


 バッシュとポルは、その少し後ろを歩いていた。


「僕、あんなに大きい声、初めて出しました」


 ポルが言った。


「土場でか」


「はい」


「出さねえと、あいつら聞かねえからな」


 バッシュは前を見た。


 ガルドが、ラグとまた何か言い合っていた。


 声だけなら、まだいくらでも喧嘩ができそうだった。


 ポルもそちらを見た。


「……バッシュ先輩も、すごい声でした」


 バッシュの足が、一瞬止まった。


「聞いてたのか」


「隣にいたので」


「忘れろ」


「はい」


 ポルが笑った。


 バッシュは、横目でそれを見た。


「明日もやるぞ」


「練習ですか」


「ほかに何がある」


「お願いします」


「飯も忘れんな」


「煮込みにします。辛いやつ」


「おう」


 大きな鉄門が見えてきた。


 古い門扉は、夕日を受けて赤く光っていた。


 ガルドが、その下で足を止める。


 ぐるりと振り返った。


 同じ学園服を着た連中がいる。


 さっきまでラグの名前を呼んでいた奴も、自分の名前を叫んでいた奴もいる。


 バッシュがいた。


 エルンがいた。


 まだ少し緊張した顔のポルもいた。


 ガルドは息を吸った。


「俺が、鉄門の頭だ!」


 声が、門扉にぶつかって返ってきた。


 向かいの鍛冶場から、すぐに怒鳴り声が飛んだ。


「わかったから、店先で怒鳴るな! 馬鹿野郎!」


 全員が笑った。


 ガルドまで、でかい口を開けて笑った。


 ラグは呆れたように首を振り、隣の三年と顔を見合わせた。


 エルンは、口元を手で隠した。


 ポルも、もう周りを確かめずに笑っていた。


「おい、ガルド!」


 バッシュが呼んだ。


 ガルドが顔を上げる。


「長くはやらせねえからな!」


 ガルドは、包帯の巻かれた拳を上げた。


「来いよ、バッシュ!」


 返事は、鉄門の外まで響いた。


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