第5話 そこは、お前の席じゃない
拳が、鼻先を通り過ぎた。
セトは目を閉じた。
次の瞬間、額を小突かれた。
「閉じんな」
ジンが言った。
白嶺学院の裏庭には、まだ朝の湿った空気が残っていた。
白い石壁の陰に、使われなくなった水盤がある。その脇だけ、二人分の靴跡で土が荒れていた。
セトは額を押さえた。
「反射で」
「反射で閉じたら、見えねえまま殴られるだろ」
「それは、わかってます」
「じゃあ、もう一回」
ジンが手を上げた。
セトは息を吸い、踏み込んだ。
肩へ伸ばした拳を避けられる。
もう片方を出す。
ジンの顎に、指の背が少し触れた。
「お」
セトが止まった。
ジンは顎を擦った。
「今の、いい」
胸の中が熱くなった。
セトは拳を握り直した。
「もう一回」
「今日は終わり」
「まだ」
「遅刻すんぞ」
遠くで、門が開く音がした。
セトはようやく周りを見た。
白い校舎の窓に、朝日が当たりはじめている。
急いで上着を拾った。
濃紺の襟を整え、胸につけた小さな紋章へ触れる。
ジンは水盤の縁に置いた布で、顔の汗を拭いていた。
「ありがとうございました」
「明日、手ぇ痛かったら言えよ」
「大丈夫です」
「明日の話だよ」
セトは少し笑った。
そのまま二人で校舎へ向かいかけたところで、廊下から声がした。
「セト?」
上級生が二人、こちらを見ていた。
片方の襟には、セトのものとよく似た紋章がある。
ただし、縁取りの形が違った。
セトの背筋が伸びた。
「おはようございます」
「何してたんだ、こんなところで」
「少し、身体を動かして」
上級生の目がジンへ向いた。
その丸い耳と、家紋のない襟元を見る。
「ああ。武術の特待か」
ジンは布を肩へ掛けた。
「悪いかよ」
「お前には聞いてない」
上級生はセトへ顔を戻した。
「教わってたのか?」
セトは口を開いた。
ジンのほうを、一度だけ見た。
「……見ていただけです」
朝の風が、二人の間を抜けた。
ジンは何も言わなかった。
「そうか。だったら行くぞ」
上級生が持っていた鞄を、セトへ渡した。
セトは受け取った。
両手が塞がった。
ジンは汗を拭いた布を丸め、ポケットへ押し込んだ。
「じゃあな」
セトが振り向く。
そのときには、ジンはもう別の入口へ歩いていた。
*
「シルヴァン様、おはようございます」
廊下へ入ると、声がかかった。
シルヴァンは足を緩め、挨拶を返した。
それだけで、前を歩いていた生徒たちが左右へ寄った。
誰かが急いで制服の前を留める。
別の誰かが、持っていた菓子を後ろへ隠した。
シルヴァンは、それを見なかったことにした。
「今朝も早いですね」
三年生に声をかけられた。
丁寧な口調だった。
つい先ほどまで、その三年生が一年生を呼び捨てにしていたのを、シルヴァンは聞いていた。
「少し用があったので」
「そうですか。エルクレスト家の方は、やはりお忙しい」
シルヴァンは曖昧に笑った。
隣を歩くイヴォが、半歩だけ後ろへ下がる。
教室のある廊下を曲がり、人が途切れたところで、シルヴァンは息を吐いた。
「肩、凝りそうだ」
「朝から姿勢を作りすぎなんだよ」
イヴォが言った。
さっきまでとは、声の硬さが違った。
「お前もだろ」
「俺はお前ほど見られてない」
「見られてるからやってるわけじゃない」
イヴォが横を向く。
「じゃあ、何で?」
シルヴァンは少し考えた。
答える前に、イヴォが手に持っていた封筒を差し出した。
「学院長から。放課後、客人が来るそうだ」
封には、学院の紋章が押してある。
シルヴァンは開き、短い文面を読んだ。
父と付き合いのある人物の名があった。
「……俺も?」
「ご指名だ」
「今日、稽古するつもりだったんだけどな」
「俺に言われても」
シルヴァンは封筒を閉じた。
イヴォがその顔を見た。
「嫌なら断ればいい」
「お前、それ本気で言ってるか」
「半分」
「残りは?」
「断らないんだろうな、と思ってる」
シルヴァンは返事をしなかった。
封筒の角を指で揃え、鞄へしまった。
イヴォが先へ歩きかける。
「終わったら、付き合えよ」
シルヴァンが言うと、イヴォは振り向いた。
「稽古?」
「ああ」
「先に何か食うぞ。待ってる間に腹減る」
「裏門の屋台でいいか」
「お前、あそこの串、毎回熱いって騒ぐじゃん」
「お前が急かすからだろ」
二人で笑った。
廊下の向こうから、生徒が来た。
イヴォが、少しだけ歩幅を変えた。
また半歩、後ろへ下がる。
「お昼は、連合のほうへ?」
声も戻っていた。
シルヴァンは横を見た。
「……ああ」
前を向く。
「顔を出す」
*
旧談話室の扉には、教員が貼った注意書きが半分だけ残っていた。
無断使用を禁ず。
その下をくぐって、ジンは中へ入った。
机の上でカードを広げている連中がいた。
窓際では、二人の男子が一つの弁当を覗き込んでいる。
靴のまま長椅子へ寝転がっている三年生もいた。
奥の長机だけは、座る顔ぶれが決まっていた。
白嶺の不良たちをまとめる、学院連合。
他校と揉めたとき、誰の後ろに立つか。
その顔役たちが、奥に座る。
ジンはそちらへ目をやってから、窓のほうへ歩いた。
「待って」
途中で袖をつかまれた。
ペトラだった。
小柄なドワーフの女子が、ジンの袖口を引っ張っている。
「またほつれてる」
「引っ張るからだろ」
「引っ張る前からよ」
ペトラは指先で縫い目を確かめた。
脇の箱には、預かったらしい制服が何枚か畳んである。その上に帳面と、針の入った小箱が載っていた。
「今日、直しとく?」
「まだ着られる」
「そう言って破いたやつの修繕代は高いからね」
ジンは袖を引き戻した。
「覚えとく」
「覚えてるだけじゃ払ったことにならないから」
ペトラが帳面を開く。
ジンは、その横の窓台へ腰を掛けた。
部屋の奥で、鳴鐘学園の名前が出た。
「二年が、三年まとめて倒したらしいぞ」
「レオって人間だろ」
「向こう、頭が替わるんじゃねえの」
長机に座っていた一人が、鼻で笑った。
「鳴鐘は派手でいいよな。殴り合って勝ったら、一番偉いんだから」
ジンは、そいつを見た。
三年のリュカだった。
長い髪を後ろで束ね、制服の袖を丁寧に折っている。
ジンが口を開いた。
「わかりやすくていいじゃねえか」
リュカが顔を向けた。
「お前には、な」
周りが少し笑った。
ジンは窓台から下りた。
長机の横へ歩く。
空いている椅子へ手を掛けた。
「そこは使う」
リュカが言った。
ジンは隣の椅子を見た。
「こっちは」
「お前の席じゃない」
ジンの指が、椅子の背を握った。
部屋の奥では、三年のオスカーが茶を飲んでいた。
こちらを見ている。
止める様子はなかった。
「立って聞けってことか」
「それが嫌なら、窓に戻れよ」
リュカが顎をしゃくる。
「特待生の居場所なら、ちゃんとあっただろ」
ジンは椅子を離した。
リュカが笑った。
「何だよ。武術で入ってきたんだろ。そんなにここへ座りたきゃ、拳で取ってみろよ」
ジンが顔を上げた。
「言ったな」
リュカの笑いが、少し止まった。
「何?」
「俺が勝ったら、お前の席をもらう」
部屋が静かになった。
ペトラが帳面から目を上げる。
扉の近くで、パンの包みを抱えていたセトも動きを止めた。
リュカは、周りを一度見た。
それから、椅子に深く座り直した。
「取れるもんなら取ってみろ」
「拳だけだぞ」
「魔法に負けたって言い訳されても面倒だからな」
ジンが笑った。
少しだけ、歯が見えた。
「じゃあ、放課後」
「旧庭園に来いよ」
リュカが言った。
ジンは頷いた。
「逃げんなよ」
「お前がな」
ペトラが、帳面を閉じた。
「今の、聞いたからね」
リュカがこちらを見る。
「何だよ」
「勝ったら席。後から話変えないでよ。面倒だから」
「変える必要ねえよ」
リュカが立ち上がった。
ジンより、少し背が高かった。
「負けると思ってねえから」
*
シルヴァンが入ってくると、部屋の空気が変わった。
長椅子に寝ていた三年生が、足を下ろした。
カードが伏せられた。
何人かが立ち上がる。
「連合長」
「シルヴァン様」
シルヴァンは部屋を見回した。
「座ったままでいい」
オスカーが笑った。
「ちょうど面白い話をしていたところですよ」
「何の話ですか」
「リュカとジンが、放課後にやるそうで」
シルヴァンの目がジンへ向いた。
ジンは長机の脇に立っていた。
椅子には座っていなかった。
「そうなのか」
「ああ」
ジンは短く答えた。
イヴォがシルヴァンの横へ来る。
ジンとリュカの顔を見比べた。
「何があった」
「席の話」
ペトラが言った。
それだけでは足りないと思ったのか、椅子を指す。
「ジンが勝ったら、リュカ先輩の席をもらうんだって」
イヴォの眉が動いた。
シルヴァンはリュカを見た。
「そう約束したんですか」
「ええ。勝てたら、ですけど」
リュカは笑った。
シルヴァンは笑わなかった。
奥の席へ進む。
誰も座っていなかった椅子が、一つあった。
そこへ腰を下ろすと、部屋の連中が自然に身体の向きを変えた。
ジンは、その様子を見ていた。
誰も挑まない。
誰も、座るなと言わない。
イヴォは椅子の後ろへ立った。
ジンの視線に気づいて、目を細めた。
「何だ」
「別に」
ジンはポケットへ手を入れた。
「便利な椅子だなと思って」
イヴォが一歩出た。
シルヴァンが片手を上げる。
「イヴォ」
イヴォは止まった。
ジンはシルヴァンを見た。
「お前の席も、そのうちもらうからな」
シルヴァンは少し黙った。
部屋の誰かが息を呑んだ。
ジンは目を逸らさなかった。
シルヴァンが、静かに答えた。
「そのときは、相手になる」
「忘れんなよ」
「忘れない」
イヴォの顔だけが、少しも緩まなかった。
*
昼休みが終わる前に、シルヴァンはジンを廊下で呼び止めた。
「少し待ってくれないか」
ジンが振り向く。
「何を」
「今日の勝負だ。放課後、私は学院長に呼ばれている。戻るまで」
「何で」
シルヴァンは、返事を探した。
自分がいれば、余計なことにはならない。
そう言おうとして、やめた。
ジンは、その間を待たなかった。
「お前がいないと、俺の喧嘩も始められねえのか」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味だよ」
イヴォが口を挟んだ。
「言い方を考えろ。シルヴァン様は、お前のことを」
「本人が喋ってんだろ」
ジンが言った。
イヴォの目つきが変わった。
「お前な」
「イヴォ」
シルヴァンが、もう一度呼んだ。
今度は、イヴォの顎がわずかに強張った。
シルヴァンはジンへ向き直る。
「命令するつもりはない」
「なら、待たねえ」
ジンは歩きだした。
「見たかったら、自分の用事終わらせて来いよ」
足音が廊下を遠ざかる。
イヴォは、しばらくその背中を睨んでいた。
「毎回、ああいう言い方しなくてもいいだろ」
シルヴァンは答えなかった。
イヴォが横を見る。
「腹立たないのか」
「立つよ」
答えは早かった。
イヴォが少し目を丸くした。
シルヴァンは、ジンが曲がった角を見ていた。
「……でも、俺の用事で待たせるのも、違うか」
「お前が勝手に入れた用事じゃない」
「あいつには関係ないだろ」
シルヴァンがイヴォを見る。
「見ていてくれ」
イヴォは小さく息を吐いた。
「承知しました」
シルヴァンは、その返事に何か言いかけた。
授業の鐘が鳴った。
結局、何も言わずに歩きだした。
*
放課後の旧庭園には、二十人ほどの生徒が集まっていた。
噴水は何年も水が出ていない。
縁の欠けた石像の下で、リュカが上着を脱いだ。
友人へ放る。
ジンは自分の上着を、低い石垣へ置いた。
「そこ、苔ついてる」
ペトラが言った。
ジンが持ち上げる。
ペトラは手を出した。
「貸して」
「いいよ、別に」
「直す前に汚すなって言ってるの」
取り上げられた。
ジンは、少しだけ笑った。
イヴォが庭園へ入ってきた。
周りの生徒が道を空ける。
本人はそれを気にしていないようだったが、ジンには見えた。
奥にはオスカーがいた。
石の縁へ腰を掛け、片脚を組んでいる。
セトは、その少し後ろに立っていた。
ジンと目が合った。
すぐに逸らされた。
「始めようぜ」
ジンが言った。
リュカが拳を握る。
「後悔すんなよ」
先に動いたのは、リュカだった。
長い腕が伸びる。
ジンは身体を引いた。
拳が頬をかすめた。
次が来た。
今度は避けきれなかった。
口の中に、鉄の味が広がる。
「どうしたよ、特待!」
周りから声が上がった。
ジンは一歩下がった。
リュカは追ってこない。
距離を保ち、こちらを見ていた。
腕が長い。
踏み込めば殴られる。
外にいれば、届かない。
ジンは舌で口の内側へ触れた。
切れていた。
「終わりか?」
リュカが笑った。
ジンは答えなかった。
肩が動くのを見る。
拳が伸びる。
今度は、そこへ踏み込まなかった。
リュカの腕が戻る。
そのあとを追うように、ジンが距離を詰めた。
拳が身体へ入った。
リュカの息が詰まる。
ジンはもう一つ、殴った。
相手が下がる。
庭園の声が大きくなった。
「リュカさん!」
ジンは追った。
横から来た拳が、こめかみの辺りを叩いた。
足元がぶれた。
石畳が近づく。
片膝をついた。
誰かが笑った。
ジンは顔を上げた。
リュカが、すぐそこにいた。
拳が落ちてくる。
身をずらす。
肩に当たった。
痛みをこらえ、立ち上がる。
「いい加減、わかっただろ」
リュカも息を切らしていた。
「ここじゃ、お前みたいなのが」
ジンが殴った。
言葉が途切れた。
「今、喋るとこじゃねえだろ」
もう一度、踏み込む。
リュカが拳を振った。
ジンはその肩を見た。
避けた。
初めて、きれいに避けられた。
間近に、相手の横顔があった。
拳を振った。
リュカの身体が傾いた。
石畳に靴が擦れる。
踏ん張ろうとして、片足がずれた。
リュカが倒れた。
誰も、すぐには声を出さなかった。
ジンは息をしながら立っていた。
握った手が熱かった。
肩も痛い。
口の中も痛かった。
けれど、目は離さなかった。
リュカが身体を起こそうとした。
腕に力を入れた。
少し浮いた身体が、また落ちた。
イヴォが前へ出た。
「そこまでだ」
リュカが顔を上げた。
「まだ」
「立てるのか」
イヴォは、それだけ聞いた。
リュカの唇が動いた。
返事はなかった。
「勝ちはジンだ」
イヴォの声が、庭園に響いた。
セトが、一歩前へ出た。
「ジン先輩――」
隣の上級生が、セトを見た。
声が止まった。
ジンには、聞こえていた。
でも、そちらは見なかった。
拳を下ろす。
ペトラが上着を差し出した。
ジンが受け取ろうとすると、その上へ布が一枚置かれた。
「先に口」
「汚れるぞ」
「もう汚れてる。あんたの袖よりまし」
ジンは布を受け取り、唇へ当てた。
ペトラは、その手を一度見た。
「……勝ったね」
ジンは頷いた。
少しだけ、笑った。
「席、空くな」
*
旧談話室へ戻ると、リュカはもう椅子に座っていた。
友人に肩を貸してもらい、先に戻ってきたらしい。
顔に布を当てている。
さっきまでと、同じ席だった。
ジンはその前で止まった。
「どけよ」
リュカは答えなかった。
「約束だろ」
近くにいた三年生が、ジンの肩を押さえた。
「うるせえな。今、手当てしてんだろ」
ジンがその手を払った。
「終わったらどくんだな」
「ジン」
奥から、オスカーが呼んだ。
穏やかな声だった。
「勝負は見事だった」
ジンは顔を向けた。
「その席は、リュカの席だ」
少しの間、言われたことがわからなかった。
ジンはリュカを見た。
もう一度、オスカーを見る。
「……何だって?」
「拳で勝ったことは認める。だが、連合の席を決めるのは、それだけじゃない」
「勝ったらもらうって言っただろ」
「リュカが、な」
オスカーは椅子の肘掛けへ手を置いた。
「家の名を背負ってここにいる連中が、個人の喧嘩一つで席を明け渡すと思うか?」
ジンは黙った。
口の中で、傷が熱を持っていた。
オスカーは続けた。
「白嶺の顔として座れるかどうかは、また別の話だ」
ペトラが、制服の箱を机へ置いた。
音がした。
「それ、殴り合う前に言いなよ」
オスカーが彼女を見た。
「何だと?」
「あんたも聞いてたでしょ。勝ったら席、って」
「お前は商売の話だけしていればいい」
ペトラの顔から、笑いが消えた。
イヴォが前へ出た。
「約束が違います」
リュカが目を上げる。
イヴォはオスカーを見ていた。
「皆の前で、条件を決めた。ジンは、その条件で勝った」
「イヴォ。お前が決めることじゃないだろ」
「私は、シルヴァン様に報告を――」
「報告なら好きにしろよ」
オスカーが言った。
「お前の役目は、あの方についていくことだろう。連合の席にまで口を出すな」
イヴォの指が動いた。
ジンには見えた。
握りかけて、止めた指だった。
ジンはイヴォを見た。
イヴォも、こちらを見る。
何か言おうとした。
「もういい」
ジンが先に言った。
イヴォの眉が寄る。
「よくないだろ」
「お前の主様に頼んで、椅子もらいてえわけじゃねえんだよ」
イヴォの顔が強張った。
「……俺は、そういう話をしてるんじゃない」
ジンは答えなかった。
部屋を見回した。
勝負を見ていた連中がいた。
リュカを応援していた顔。
ジンが殴り返したとき、声を上げた顔。
勝ったと聞いて、驚いていた顔。
今は、誰も椅子から立たなかった。
扉の近くに、セトがいた。
目が合った。
セトの唇が開いた。
その隣で、上級生が腕を組み直した。
セトは、何も言わなかった。
ジンは視線を外した。
指に巻いた布を、強く握った。
*
シルヴァンが戻ってきたとき、旧談話室は妙に静かだった。
学院長室でずっと浮かべていた笑みが、扉へ手をかけるころには消えていた。
中へ入る。
最初に、イヴォの顔が見えた。
何かあった顔だった。
次に、椅子に座ったリュカ。
頬へ当てられた布。
その前に立っているジン。
口元に血がついていた。
シルヴァンは足を止めた。
「ジン」
ジンが振り向いた。
「勝ったのか」
「勝った」
短い返事だった。
シルヴァンは、リュカの座っている椅子を見た。
空いている席を探した。
誰も動かなかった。
「なら、なぜ」
言いかけて、ジンの顔を見た。
ジンは笑っていなかった。
怒鳴りもしなかった。
ただ、シルヴァンを真っ直ぐ見た。
「俺も、それ聞きてえんだよ」
血のついた布が、拳の中で潰れた。
「俺の席はどこだ。連合長」




