第3話 俺のダチに何してんだ
「だから、聞いたって言ってんだろ」
ロッシュの指が、ミロの襟をねじった。
喉元が締まる。
ミロは爪先を動かした。踵を床につけようとすると、襟が食い込んだ。
「昨日から、同じことしか言えねえのか」
握られた拳が見えた。
目を閉じかけた、そのときだった。
「帰るぞ、ミロ」
入口から、声がした。
トマが立っていた。
片方の肩に鞄を掛け、いつもの仏頂面で、こちらを見ている。
ミロは口を開いた。
「……トマさん」
「歩けるか」
聞かれたことが、すぐにはわからなかった。
どうしてここにいるのか。
何を知っているのか。
その二つで頭がいっぱいだった。
ロッシュが入口を見た。
「呼んだの、お前じゃねえんだけど」
「俺は勝手に来たんで」
トマは鞄を肩から下ろした。
入口の横、誰にも踏まれそうにない壁際へ置く。
それから、もう一度ミロを見た。
「こっち来い」
「俺、でも」
ロッシュの手は離れていなかった。
トマが歩いてくる。
昨日、屋上でレオに倒された大柄な三年が、その前へ出た。
「何、勝手に連れて帰ろうとしてんだよ」
トマの胸を押した。
ほとんど動かなかった。
「話、終わってねえんだよ」
「そいつ、顔真っ白だろ」
トマは男の肩越しにミロを見た。
「続きは俺が聞く」
大柄な三年が、もう一度押そうとした。
トマがその腕をつかんだ。
男の身体が、ぐらりと傾く。
横から、別の拳が飛んできた。
トマの顔が弾かれた。
「トマさん!」
ミロの声が、実習場の天井に響いた。
トマは一歩よろめいた。
口の端を拭う。
赤くなった指を見て、短く息を吐いた。
「……二人かよ」
大柄な三年が、トマの肩をつかんだ。
もう一人が回り込む。
ミロは壁を押した。
何かしなければ。
自分のせいで、また誰かが殴られる。
「あの、やめてください。俺が――」
「お前は黙ってろ」
ロッシュに襟を引かれた。
背中が壁へ戻された。
その音に重なるように、実習場の扉が大きく開いた。
「おい」
声がした。
今度は、知っている声が三つ続いた。
「レオ、走りすぎだって!」
「あんたが遅いの!」
レオが入口に立っていた。
ダンがその後ろで息を切らし、ニカが横から中を覗く。
レオの目が、トマの口元へ向いた。
床に落ちた椅子。
トマを囲んでいる三年。
それから、ミロをつかんでいる手へ。
「やっと来たか」
ロッシュが言った。
「お前に、ちょっと聞きてえことが――」
「その手ぇ離せよ」
レオが歩いてきた。
昼に弁当を渡してくれたときと、同じ顔だった。
なのに、目だけが違った。
「話してんだろ、今」
ロッシュがミロの襟を揺らす。
レオが止まった。
「俺のダチに、何してんだって聞いてんだ」
ミロの喉が、鳴った。
ダチ。
その言葉が、頭の中でもう一度響いた。
ロッシュはレオを見て、それからミロを見た。
「ダチ?」
鼻で笑う。
「お前、こいつの話、何にも聞いてねえのかよ」
ミロの身体が固まった。
「三年を三人やったって話。あれ、全部嘘だぞ」
レオが、ミロを見た。
今だ、と思った。
自分で言わなければならない。
もう、ほかの誰かに言わせたくなかった。
「……本当です」
声が裏返った。
「三人なんか、倒してないです。一人も。俺、喧嘩で勝ったこと、ないです」
レオは黙っていた。
ミロの目から、レオの顔が少しずつぼやけていった。
「俺が、勝手に」
「わかった」
レオが言った。
ミロの肩が震えた。
次の言葉を、待った。
「その説教は、あとだ」
レオの目がロッシュへ戻る。
「離せ」
「聞こえなかったのかよ。こいつ、お前らに嘘ついてたんだぞ」
「聞こえたよ」
「お前のダチだって話も、嘘らしいぜ」
ロッシュがミロを見た。
「なあ? さっき、自分で首振ってたよな」
ミロは、何も言えなかった。
言った。
そう見えることを、確かにした。
レオが、もう一歩近づいた。
「それは俺に聞けよ」
拳が飛んだ。
ロッシュの顔が横へ弾かれた。
襟をつかんでいた指が離れる。
ミロは壁に手をついて、ようやく息を吸った。
レオが、その前へ立った。
「俺のダチだ」
*
実習場の中が、一気に動いた。
ロッシュがレオへ殴りかかった。
トマをつかんでいた大柄な三年が、声を上げる。
奥にいた連中が、作業台から飛び下りた。
ミロは足を動かそうとした。
膝が言うことを聞かなかった。
床に手をつきかけた、その頭上へ、鋭い声が響いた。
「お前ら! そこで何をしている!」
全員の肩が、一瞬だけ跳ねた。
ミロも入口を見た。
先生はいなかった。
ダンがいた。
「こっち!」
腕を引かれる。
大きな声とは違う、いつもの声だった。
「立てるか」
「今の」
「俺! あとで感想聞く!」
レオが拳を振りながら怒鳴った。
「俺までびびっただろが!」
「お前に言ってねえ!」
ダンがミロを支え、入口へ向かう。
途中で、三年が一人立ち塞がった。
「ふざけてんじゃねえぞ!」
「ふざけてねえって、今のは結構本気で――」
殴られた。
ダンがミロから手を離した。
よろめいて、作業台に腰をぶつける。
「いってえ!」
それでも、もう一度ミロの前へ出た。
片手で口元を拭い、相手を睨む。
「……喋ってる途中だろうが」
ミロは、作業台の縁をつかんだ。
ダンまで。
また、自分のせいで。
謝ろうとしたとき、ダンが横目でこちらを見た。
「入口、見えてる?」
「はい」
「じゃ、俺の後ろ。勝手にどっか行くなよ」
ミロは頷いた。
今度は、言われたとおりにした。
*
「昨日の続き、やろっか」
ニカが、細身の三年の前に立った。
そいつは舌打ちした。
「お前まで来んのかよ」
「来たけど」
拳が飛んできた。
ニカが肩を引く。
避けきれず、頬をかすめた。
顔が少し横を向いた。
戻ったときには、もう笑っていなかった。
「今の、痛いんだけど」
踏み込む。
細い三年が慌てて腕を上げた。
その腕ごと押し込むように、ニカが殴った。
男の背中が作業台にぶつかった。
トマのところでは、大柄な三年がまだ怒鳴っていた。
「離せ、チビ!」
トマは答えなかった。
つかまれた制服の肩が引きつれている。
床を踏む靴が、軋んだ。
大柄な身体が、一瞬、床から浮いた。
次の瞬間には、背中から落ちていた。
空気を押し出すような声が上がった。
トマが息を吐く。
その横を、別の三年が抜けた。
ダンの後ろへ回ろうとしていた。
ミロには、見えた。
ダンは、前の相手を見ている。
声が喉につかえた。
昨日までなら、きっとそのまま黙っていた。
「ダンさん、後ろ!」
ダンが頭を下げた。
拳が髪の上を通り過ぎる。
「うわっ!」
追いかけようとした三年の腕を、トマがつかんだ。
「こっちだ」
男が振り向くより早く、トマが引き戻す。
二人がぶつかった音を背に、ダンがミロを見た。
「助かった!」
笑っていた。
口の端から血が出ているのに。
ミロはまた、何も言えなくなった。
ダンの正面にいた三年が、もう一度殴りかかってきた。
今度は横から、ニカの拳が入った。
男がよろめく。
ニカは追いかけ、胸倉をつかんだ。
「まだやる?」
返事はなかった。
ダンが息を整える。
「今、俺がいい感じに」
「何?」
「いや、助かった」
ニカが手を離した。
男が座り込む。
ダンはミロの肩へ腕を回した。
「よし。外」
ミロは、一歩ずつ歩いた。
足元の木片を避ける。
誰かの鞄を跨ぐ。
開いた扉が近づく。
その途中で、鈍い音がした。
振り向いた。
レオが殴られていた。
*
ロッシュは、強かった。
ミロには、細かいことはわからない。
けれど、レオが大きく拳を振るたびに、その間からロッシュの腕が伸びてくるのは見えた。
頬。
腹。
もう一度、頬。
レオの身体が揺れるたびに、ミロの肩も震えた。
「レオさん」
ダンの腕をつかんだ。
「レオさんが」
「見えてる」
ダンも笑っていなかった。
トマが一歩出かけた。
レオが、片手を上げた。
「来んな」
息が荒かった。
「こいつは、俺がやる」
トマが舌打ちする。
「だったら、ちっとは避けろ」
レオは返事をしなかった。
口の中の血を、床の端へ吐いた。
ロッシュが鼻を鳴らす。
「二年が調子に乗ってんじゃねえよ」
レオが前へ出た。
また殴られた。
顔が横を向いた。
それでも足は止まらなかった。
近づきすぎて、二人の肩がぶつかった。
レオの拳が、ロッシュの身体へ入った。
ロッシュが声を詰まらせる。
制服をつかみ合ったまま、二人がよろめいた。
作業台が大きく動いた。
「離せ、てめえ!」
「お前が離せよ!」
格好よくなんかなかった。
髪はぐしゃぐしゃで、制服は引っ張られて、二人とも息を切らしていた。
レオが殴る。
ロッシュが殴り返す。
ミロは、目を逸らせなかった。
レオが殴られるたび、やめてほしいと思った。
次の瞬間には、立っていてほしいと思った。
自分ではどうにもできない二つの気持ちが、胸の中でぶつかり続けていた。
「いつまで突っ込んでくんだよ!」
ロッシュが怒鳴った。
レオは、肩で息をしていた。
片方の頬が腫れていた。
昨日、エマが治した唇も、また切れていた。
それでも、前を見ていた。
「お前がどくまでだ」
ロッシュが拳を振った。
レオの頭が揺れた。
今度こそ下がると思った。
下がらなかった。
レオの靴が、床を踏んだ。
拳が飛んだ。
ロッシュの身体が、作業台へぶつかった。
台の上の空箱が落ち、乾いた音を立てた。
ロッシュは片手をついた。
立とうとして、膝が折れた。
床に座り込む。
レオは、その前で止まった。
握った拳を、すぐには下ろさなかった。
実習場には、荒い息だけが残った。
ロッシュが顔を上げた。
レオは睨み返した。
「ミロに、もう手ぇ出すな」
声が少し掠れていた。
「俺に用があるなら、俺んとこ来い」
ロッシュは何も言わなかった。
ただ、レオを睨んでいた。
レオがもう一度息を吐いた。
拳が、ようやく下がった。
「……帰るぞ」
*
外へ出ると、空がやけに明るかった。
ミロは壁に手をついたまま、しばらく瞬きをした。
ニカが実習場を振り返る。
誰も追っては来なかった。
トマは鞄の中を確かめていた。
小さな木の橋を指で押さえ、壊れていないことを確認してから、蓋を閉じる。
「レオ」
ダンが言った。
「顔、すげえぞ」
「お前もな」
「俺はまだ男前の範囲」
「じゃあ俺も」
「お前は無理」
ニカが笑いかけ、頬に触って顔をしかめた。
「痛っ」
「殴られたのか」
「あんたもでしょ」
レオが自分の頬を押した。
「……いてえ」
「見てりゃわかる」
トマが言った。
いつもの会話だった。
少しずつ声が戻っていく。
ミロだけが、その中へ入れなかった。
全員、怪我をしていた。
自分を助けに来て。
嘘つきの自分を。
「すみません」
四人がこちらを向いた。
ミロは、深く頭を下げようとした。
腹が痛んで、途中で止まった。
その格好のまま、もう一度言った。
「すみませんでした」
レオが近づいてきた。
「ミロ」
ミロは顔を上げられなかった。
「なんで呼ばねえんだよ」
責めるような大声ではなかった。
だから、余計に答えづらかった。
「俺が、嘘ついたせいで」
「それは、さっき聞いた」
ミロの指がポケットへ入った。
折り畳んだ紙に触れる。
汗を吸って、角がやわらかくなっていた。
取り出す。
何度も折ったせいで、うまく開かなかった。
レオが手を出した。
ミロは、その手へ紙を渡した。
レオが開く。
黙って読む。
「……いつ書いた?」
「朝です」
「昼に渡そうとしたのか」
ミロは頷いた。
レオの指に、血がついていた。
自分の書いた文字のすぐ横に、小さな赤い跡が残った。
「でも、言ったら」
喉が詰まった。
ミロは息を吸い直した。
「もう来るなって、言われるかもしれないと思って」
誰も喋らなかった。
言ってしまった。
喧嘩に勝ったという嘘より、ずっと情けないことを言った気がした。
ミロは続けた。
「俺、弱いし。何もできないし。なのに強いみたいなこと言って、飯まで食べて」
声が震える。
「それで、助けてくれって言ったら」
「待て待て」
ダンが口を挟んだ。
片手を上げる。
「順番、おかしくね?」
ミロは顔を上げた。
ダンがレオを指す。
「こいつがお前を飯に誘ったの、三年ぶっ倒したって話の前だろ」
ミロは、瞬きをした。
昨日の屋上を思い出す。
扉を開けて。
レオが、自分の隣を叩いて。
名前を聞かれて。
パンを渡されて。
「……はい」
「もう食ってたじゃん、お前」
ダンが言った。
それから、少しだけ笑った。
「何人殴ったかで席決めてたら、俺なんかとっくに立ち食いだぞ」
「階段だろ」
トマが言った。
「そこまで弱くねえよ!」
ニカが吹き出した。
レオはミロを見ていた。
「強えから呼んだんじゃねえよ」
ミロは、紙を持ったレオの手を見た。
「一緒に飯食って、喋って、面白かったから。また来いって言ったんだよ」
唇が震えた。
返事をしようとした。
何も出なかった。
「でも、嘘はつくな」
レオが言った。
ミロは頷いた。
今度は、顔を上げたまま頷いた。
「はい」
「俺、けっこう信じるからな」
「知ってる」
トマとニカの声が重なった。
ダンが真顔で頷く。
「昨日も俺が、歴史の先生は若いころ傭兵だったって言ったら」
「おい」
「信じた」
「今それ関係ねえだろ!」
ミロの喉から、変な音が出た。
笑ったのか、泣いたのか、自分でもわからなかった。
レオが頭を掻いた。
「だから、次はちゃんと言えよ」
ミロは、鼻をすすった。
「……ごめんなさい」
「おう」
レオは、それだけ言った。
紙を折り直して、ミロへ返す。
ミロは受け取った。
今度は、握り潰さなかった。
「あの、皆さんの怪我も」
「殴ったの、あいつらだろ」
レオが実習場へ顎をしゃくった。
「そこまでお前が謝んなよ」
「俺は自分で来たしな」
トマが言った。
「私も」
ニカが言う。
ダンは切れた唇を触って、少し顔をしかめた。
「俺は先生の声、ちょっとやりたかった」
「絶対嘘だろ」
レオが言った。
「今、お前が嘘つくなって話してたんだけど」
「わかる嘘はいいんだよ」
「何だよ、その線引き」
また、少し笑い声がした。
ミロは顔を拭った。
拭っても、すぐにまた滲んだ。
レオが、困ったように眉を寄せる。
「あとさ」
「はい」
「今日の飯、まずかった?」
ミロは首を振った。
強く振りすぎて、目から涙が落ちた。
「うまかったです」
息を吸う。
「すごく、うまかったです」
「じゃあ、よかった」
レオが笑った。
腫れた頬のせいで、いつもより少し変な顔だった。
ミロも笑おうとした。
腹が痛んだ。
身体が勝手に折れた。
トマの手が、肩を支えた。
「腹か」
いつもの言葉が出かかった。
大丈夫です。
何でもないです。
ミロは、唇を噛んだ。
それから、小さく頷いた。
「……痛いです」
トマが、ミロの腕を自分の肩へ回した。
「じゃ、橋詰行くぞ」
*
橋詰治療院の扉を開けたとき、エマは棚の前で瓶を数えていた。
「こんにちは」
ダンが言った。
なるべく普通の声だった。
エマが振り向いた。
レオを見た。
ニカを見た。
トマに支えられているミロを見た。
手に持っていた帳面を、すぐに台へ置いた。
「先生!」
奥から師匠が出てくる。
ミロは寝台へ通された。
靴を脱ぐのに手間取っていると、エマが前にしゃがんだ。
「触っても平気?」
ミロは頷いた。
エマが靴を外し、揃えて置く。
顔を上げたところで、目が合った。
「エマさん」
「うん」
「転んだっていうの、嘘です」
エマの手が止まった。
ミロは続けた。
「昨日、殴られました。今日も。それで、お腹と、腕が痛いです」
言葉にすると、急に痛みがはっきりした。
我慢していたところが、全部、自分の身体へ戻ってくるようだった。
エマは師匠を振り返った。
「先生、昨日からだそうです」
それからミロへ向き直る。
「ほかにも痛いところがあったら、ちゃんと言って」
「はい」
「今日は、大丈夫で済ませないでね」
ミロは、もう一度頷いた。
師匠が寝台の横へ来た。
エマは場所を空け、必要なものを取りにいった。
待合から、レオの声が聞こえた。
「俺、あとでいいっす」
「全員あとでいいって言わない。順番に診るから座って」
師匠に言われ、椅子が鳴った。
ニカが何か言った。
ダンが言い返した。
ミロは寝台の上で、白い天井を見た。
その声を、ずっと聞いていたかった。
*
師匠の処置が終わってもしばらく、ミロは寝台で休むように言われた。
隣ではレオが、エマに唇を見せていた。
「昨日、ここ治したよね」
「ちょっと場所違う」
「だから何?」
レオが黙った。
ダンが肩を震わせる。
「笑うと切れたとこ痛いんだけど」
「じゃあ笑わないで」
エマの返事は早かった。
ニカがミロの寝台の端へ寄ってきた。
「ねえ」
「はい」
「歴史得意なのも、嘘?」
ミロは慌てて首を振った。
「それは、本当です」
「よかった」
ニカが息を吐く。
「さっきエマに、私のほうが絶対点いいって言い切ったから」
「そういう理由?」
エマが顔を上げた。
「大事でしょ」
「まだ答案返ってないってば」
ミロは、今度こそ少し笑えた。
トマは椅子に座り、鞄の留め具を直していた。
その中に、橋の箱が見えた。
「あの、材木屋」
ミロが言うと、トマが顔を上げた。
「行けなくなって、すみません」
「明日も開いてる」
トマは留め具を閉じた。
「急ぐもんでもねえし」
「明日、また付き合わされんの?」
ダンが聞いた。
「嫌なら来るなよ」
「いや、行くけどさ」
ミロは、そのやり取りを聞いていた。
来てもいいのかと、誰も確かめない。
嫌なら来るなと言いながら、来ることを疑っていない。
そういうふうに話せるようになるのだろうか。
いつか、自分も。
レオの治療が終わった。
エマが手を下ろす。
レオは口を動かしてから、今度は余計なことを言わなかった。
「ありがとな」
「どういたしまして。今日はもう喧嘩しないでよ」
「もう帰るだけだって」
ダンが笑った。
「その帰り道に何か拾うんだよ、こいつ」
「犬みたいに言うな」
外では、夕方の鐘が鳴っていた。
*
帰るころには、通りの魔法灯に火が入っていた。
ミロは寝台から下り、ゆっくり靴を履いた。
立ち上がる。
一歩目で、少しふらついた。
トマがこちらを見た。
「歩けるか」
ミロは口を開いた。
大丈夫です。
その言葉を、今度は飲み込んだ。
「……肩、貸してもらってもいいですか」
トマは、短く頷いた。
「おう」
腕を回す。
思っていたより、ずっとしっかりした肩だった。
入口で、レオが振り返った。
「ミロ。お前んち、どっち?」
ミロは通りの先を指した。
「川沿いを、あっちです」
「じゃ、そっちだな」
レオが歩きだす。
ダンがその横へ並ぶ。
ニカが、明日の歴史の範囲を思い出そうとしていた。
後ろから、エマが手を振った。
「明日、ちゃんと様子見せに来てね」
「はい」
ミロも、空いているほうの手を上げた。
昨日、治療院の灯りを避けて歩いた道だった。
今日は、トマの肩を借りて歩いた。
少し遅れると、前の三人が立ち止まった。
「急がなくていいぞ」
レオが言った。
ミロは頷いた。
今度は、待ってもらったまま歩いた。




