第2話 俺が勝手に
「誰をやったんだ?」
肩に置かれた手が、重かった。
ミロは男の顔を見上げた。
知らない顔だった。
昼に屋上へ来た二人とは違う。髪を短く刈り、制服の左の襟だけが外側へ折れている。口元は笑っていたが、肩をつかむ指は少しも緩まなかった。
「……名前までは」
言ってから、しまったと思った。
男が首を傾けた。
「名前までは?」
「あの、その」
「じゃあ、顔見りゃわかるよな」
男は後ろの二人を指した。
細い三年と、昼にレオに殴られた大柄な三年。
「こいつ?」
首を振る。
「こっち?」
また、首を振る。
「北棟の三年なんだけどな、俺ら」
川の水音が聞こえた。
ミロは、男の折れた襟を見つめた。
直したほうがいい、と、どうでもいいことを思った。
「ロッシュさん。こいつ、昼はもっと元気だったんすよ」
細い三年が笑った。
「レオの横で、三人やったとか何とか」
「へえ」
ロッシュと呼ばれた男が、顔を近づけた。
「俺のことも知らねえ?」
ミロは答えられなかった。
「知らねえやつ三人殴って、顔も覚えてねえのか。ずいぶん喧嘩慣れしてんだな」
後ろへ下がろうとした。
靴の踵が、階段の縁に引っかかった。
細い三年に右手首をつかまれる。
「どこ行くんだよ」
「すみませ――」
腹に、拳が入った。
息が消えた。
身体を折ろうとしても、手首と肩をつかまれているせいで、うまく曲がれない。
口だけが開いた。
「おい。三人やったんだろ」
大柄な三年の声だった。
「俺らもちょうど三人だぞ」
笑い声が、頭の上で重なった。
ミロは空気を吸おうとした。
喉が鳴るだけだった。
昼に見たレオは、殴られても立っていた。
顔を拭いて、そのまま相手を殴り返した。
自分は一発で、何も考えられなくなっていた。
「……うそ、です」
「何?」
ロッシュが聞き返す。
ミロは、もう一度息を吸った。
「嘘、つきました」
つかまれていた手首が放された。
膝が階段に当たった。
痛かったが、腹のほうがずっと痛かった。
「喧嘩、してないです」
声が小さくなった。
「三人とか、やってないです。すみません」
靴の先が、すぐ目の前にあった。
土のついた靴だった。
ミロはそれを見ながら、もう一度謝った。
「すみません」
「だってよ」
ロッシュが、後ろの二人へ言った。
「一年に大嘘吹かれて、昼飯一緒に食ってたわけだ。あいつら」
ミロの指が、階段の角をつかんだ。
「あの人たちは」
声が出た。
三人がこちらを見る。
それだけで、続きを言うのが怖くなった。
けれど、口に出してしまった。
「あの人たちは、知らないです」
ロッシュはしばらく黙った。
それから、しゃがんだ。
「じゃあ、本人に聞こうか」
ミロの顔を覗き込む。
「明日、レオ連れてこい」
「……え」
「放課後。北棟裏の、使ってねえ実習場。わかるな」
ミロは唇を動かした。
「何で、レオさんを」
「俺が話してえからだよ」
返事はすぐだった。
「お前が嘘ついた話も、あいつが三年に好き勝手してる話も、まとめて聞いてやる」
ミロは、昼の屋上を思い出した。
レオの唇から落ちた血。
ノートを汚されて怒っていたエマ。
肉の箱を抱えていたダン。
あそこへ、この三人を連れていくところを想像した。
「俺が、謝るんじゃ」
「あ?」
ロッシュの声が低くなった。
ミロの口が閉じた。
「謝って済んだ気になってんじゃねえぞ」
ロッシュが立ち上がる。
「連れてくるだけだろ。レオのとこの一年なんだからよ」
レオのところの一年。
ついさっきまでなら、そう呼ばれるのは嬉しかったかもしれない。
「逃げたら、お前の教室まで迎えに行くからな」
三人の足音が、階段を上っていった。
ミロは、すぐには立てなかった。
何度か息を吸って、吐いて、ようやく片足を動かした。
右手首に、指の形が赤く残っていた。
*
橋詰治療院には、まだ灯りがついていた。
窓の向こうを、白い前掛けが横切った。
エマだった。
何かを棚へ戻し、奥にいる人と話している。相手の言葉に頷いてから、もう一度瓶を手に取った。
ミロは、入口から少し離れたところに立っていた。
扉まで、十歩もない。
怪我をしていなくても来ていいと、言っていた。
今は怪我をしている。
入っても、いいはずだった。
ミロは一歩だけ近づいた。
腹が痛んだ。
きっと、どうしたのか聞かれる。
誰にやられたのか。
どうしてやられたのか。
レオさんは知っているのか。
昼に言ったことが、全部嘘だったと。
そう話している自分を想像すると、足が動かなくなった。
窓の向こうで、エマがこちらを向いた。
ミロは反射的に壁の陰へ下がった。
見つかったかもしれないと思った。
しばらく待ったが、扉は開かなかった。
明日。
明日、話そう。
ちゃんと最初から謝れば、まだ何とかなるかもしれない。
ミロは袖を引き、赤い手首を隠した。
治療院の前を通らずに帰れる道を、頭の中で探した。
*
翌日の授業は、ほとんど頭に入らなかった。
教師が黒板へ書きつけた文字を、そのまま写す。
一行ずれていることに、次の授業になってから気づいた。
ノートの端に、小さく書いた。
――昨日の話、嘘です。
しばらく眺めた。
その下に、謝る言葉を書こうとして、やめた。
紙の端を切り取り、折り畳んだ。
昼休みになっても、しばらく席を立てなかった。
周りでは、弁当を持った生徒たちが机を寄せている。
誰かが誰かを呼んだ。
窓際で笑い声が上がった。
ミロは鞄から弁当を出しかけて、手を止めた。
今日は、入っていない。
昨夜、家で言ったのだ。
明日は友達と食べるから、いらない、と。
そのときは、少しだけ嬉しかった。
ミロは鞄を閉じた。
折った紙をポケットへ入れて、立ち上がった。
*
屋上の扉の前で、足が止まった。
向こうから声がする。
「だから、俺も手伝ったって」
「箱運んだだけだろ」
「昨日は皿も洗った」
「割らなかった?」
「割ってねえよ!」
笑い声がした。
ミロは取っ手へ手を伸ばした。
昨日までは、知らない声だった。
今は、誰が喋っているのかわかる。
それが嬉しかった。
嬉しいぶんだけ、扉を開けるのが怖かった。
取っ手を引く。
風が頬に当たった。
「お、ミロ!」
レオがすぐに気づいた。
「遅えぞ。ダンがお前の分狙ってた」
「狙ってねえよ。守ってたんだよ」
「口で?」
「一番安全だろ」
トマが、ダンの前から肉の入った皿を取り上げた。
「座れ。なくなる」
ミロは、小さく頭を下げた。
「……お邪魔します」
「家かよ」
ニカが笑った。
昨日と同じ場所が空いていた。
レオの隣。
給水槽の陰で、風が少し弱くなるところ。
ミロはゆっくり腰を下ろした。
腹に力を入れないようにしたが、最後に少し痛んだ。
唇を噛む。
「ほら」
目の前へ、薄焼きパンが差し出された。
昨日より肉が多い。
「お前、昨日うまそうに食ってたからさ。母ちゃんに言った」
レオは、何でもないことのように言った。
「いっぱい入れとけって」
ミロは両手で受け取った。
「ありがとうございます」
「余りじゃねえじゃん」
ニカが木箱を覗いた。
「昨日、作りすぎたって言ってなかった?」
「今日は違う」
「おばさん、何か言ってた?」
「食わせる人数増やすなら、お前の手伝いも増やすって」
「そりゃそうだ」
トマが頷いた。
レオは自分の分をかじった。
文句を言うわけでも、ミロを見るわけでもなかった。
ミロはパンを見下ろした。
自分のために、増えた肉だった。
「あの」
レオが顔を向ける。
ミロの指が、パンを少し潰した。
「いただきます」
「おう」
言えなかった。
肉は、昨日と同じ味がした。
でも、うまく飲み込めなかった。
「レオ。足」
トマが言った。
レオが自分の足元を見る。
昨日の木の橋が、箱の上に置かれていた。今朝また何かつけ足したらしく、欄干の横に細い支えが増えている。
「踏んでねえよ」
「踏む前に言ってる」
「信用ねえな」
「芋が一個死んでる」
ダンが真面目な顔で頷いた。
「昨日な。惜しい芋を亡くした」
「まだ言うか」
エマは、弁当の隣にノートを開いていた。
ページの端に、赤茶色の染みがある。
レオがそれを見て、少し気まずそうにした。
「まだ写してんの」
「あんたが汚したところだけね」
「だから俺がやるって」
「先生が読めない字で提出したら、私が怒られるでしょ」
「読めるだろ。トマ、俺の字読めるよな」
「長年の勘で」
ニカが膝を叩いて笑った。
ミロも笑いかけた。
腹の奥が引きつった。
慌てて息を止めたが、その拍子に右手の袖が上がった。
トマの目が、そこへ向いた。
「手、どうした」
ミロは袖を引いた。
「え?」
「手首」
レオもこちらを見た。
エマがノートから顔を上げる。
急に、全員の真ん中へ座らされた気がした。
「転んだんです」
言葉は、すぐ出てきた。
昨日の夜から、考えていた言葉だった。
「橋のところで。階段、踏み外して」
「昨日の帰り?」
トマが聞いた。
「はい」
「派手にいった?」
「いや、全然。大したことないです」
エマが少し身を乗り出した。
「痛むなら、放課後に橋詰おいで。昨日来てくれればよかったのに」
「大丈夫です」
思ったより、大きな声になった。
自分で驚いた。
エマが動きを止めた。
「……そっか」
風が、開いたノートの端をめくった。
ミロは顔を上げられなかった。
怒ったかもしれない。
せっかく心配してくれたのに。
また余計なことをした。
そう思ったところで、目の前に茹で卵が置かれた。
「じゃあ、これはお前に任せた」
ダンだった。
ミロは卵を見た。
「何をですか」
「警備。レオがもう二個食ってる」
「二個しか食ってねえだろ」
「全員に二個ずつあると思うなよ」
「数えたのかよ」
「お前の食う量は数えとかねえと」
ニカがレオの手から三個目を奪った。
レオが文句を言った。
エマが笑って、ノートを押さえた。
ミロの前には、卵が残った。
誰も、さっきの大きな声を責めなかった。
そのほうが、ずっと困った。
*
「これ、結局どっちが先なの」
ニカがエマのノートを覗き込んだ。
「反乱と条約」
「条約じゃない?」
「でも先生、反乱がどうとか言ってなかった?」
ミロは、二人の間から文字を見た。
「反乱が先です」
口に出してから、二人がこちらを向いた。
「え?」
「南部の反乱ですよね。終わったあとに、諸侯が集まって条約を」
エマが目を閉じた。
ニカが、ゆっくり笑った。
「私、一問合ってる」
「まだ答案返ってないから」
「合ってるって。今ミロが言った」
「ミロが絶対正しいとは限らないでしょ」
言ってから、エマが慌ててこちらを見た。
「あ、疑ってるわけじゃなくて」
「疑ってるだろ」
ダンが言った。
エマがその足を軽く蹴った。
「ミロ、得意なんだな」
レオが言った。
「歴史」
「……読むのは、好きです」
「すげえ。俺、人の名前が全然覚えらんねえ」
「生きてるやつの名前はすぐ覚えるのにね」
ニカが言うと、レオは少し考えた。
「会ったことねえからかな」
「会う気だったのか」
トマが言った。
今度は、ミロも笑った。
痛くて途中でやめたけれど、最初は本当におかしかった。
ニカが自分のノートを引き寄せる。
「今度、ここ教えてよ」
「俺でよければ」
「よくなかったら頼まないって」
軽い調子だった。
ミロは頷いた。
何度も頷きそうになったので、一回でやめた。
ポケットの中で、折った紙が指に触れた。
今なら。
今、ちゃんと謝れば。
紙をつまむ。
「なあ、今日さ」
レオが口を開いた。
「放課後、商店通り寄らねえ? トマが材木屋行くって」
「何で私らまで板見に行くの」
ニカが聞く。
「楽しいぞ」
「レオ、前に途中で帰ったよな」
ダンが言った。
「こいつ長えんだよ。ずっと同じ板見てんだもん」
「同じじゃねえ」
トマの声が、少しだけ強くなった。
エマが肩を揺らした。
「私は橋詰あるから」
「ニカは?」
「三時間も板見ないからね」
「だから三時間も見ねえよ」
全員がトマを見た。
トマは無視した。
「ミロは?」
レオが、こちらを向いた。
ミロの指が、紙をつかんだまま止まった。
北棟裏。
使っていない実習場。
授業が終わったら、まっすぐ。
「俺、今日は」
喉が乾いていた。
「家の用事があるんで」
「そっか。じゃ、また今度な」
レオはすぐに頷いた。
残念だとも、来いとも言わなかった。
また今度。
次がある言い方だった。
ミロは、ポケットの中で紙を折った。
もう一度、折った。
親指の爪で、強く折り目をつけた。
鐘が鳴った。
*
階段へ向かうレオの背中を、ミロは追いかけた。
「あの、レオさん」
声が出た。
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
レオが振り向く。
「ん?」
今、言わなければ。
「俺、昨日」
レオは待っていた。
腕には、空になった食堂の箱を抱えている。
その後ろで、ダンとニカがどちらから先に階段を下りるかで揉めていた。トマが呆れた顔で追い越し、エマがその後ろをついていく。
誰も、ミロを急かさなかった。
誰も、話すのを邪魔しなかった。
レオが少し首を傾けた。
「昨日、何?」
ミロは口を開いた。
この人は、来るかもしれない。
助けてくれと言えば、怒って、三年のところへ行くかもしれない。
レオだけでは済まないかもしれない。
トマも、ダンも、ニカも。
昨日みたいに血が出て。
今度は、もっと大きな怪我をして。
そのあとで。
全部終わったあとで、自分はどこに座ればいいのだろう。
また、あの給水槽の陰に行っていいのだろうか。
嘘をついて、昼飯を食べて、喧嘩まで押しつけた自分が。
「……昨日も、今日も」
声が細くなった。
「飯、ありがとうございました」
レオは瞬きをした。
「おう」
それから、少し笑った。
「いちいちいいって。母ちゃんにも言っとく」
レオが階段を下りる。
ミロは、その背中についていった。
ポケットから手を出せなかった。
*
放課後の廊下は、いつもより長かった。
ミロは昇降口へ向かう生徒たちに混じって歩いた。
途中で、列から外れた。
北棟へ続く渡り廊下に入る。
すれ違った一年生が、こちらを見た。
「そっち、何かあんの?」
ミロは少し笑った。
「ちょっと、用事」
自分は嘘が下手だと思っていた。
なのに、今日は何度もついている。
最初の一つを隠すために、次の一つが必要だった。
次を隠すためには、また別のことを言わなければならなかった。
ポケットの中で、紙が汗を吸っていた。
――昨日の話、嘘です。
たったそれだけのことが、言えなかった。
北棟の向こうへ回ると、使われていない実習場が見えた。
扉の片側だけが開いていた。
中から笑い声がする。
ミロは足を止めた。
そのまま帰ることもできた。
走れば、正門まで戻れた。
けれど、明日、教室へ来られたら。
明日の屋上で、みんなの前で言われたら。
ミロは、扉へ手をかけた。
*
「おい、トマ」
ダンが窓の外を見ていた。
廊下の端で、トマは橋を入れた箱を鞄へしまった。
「何だ」
「あれ、ミロじゃね?」
窓へ寄る。
一年の制服が、北棟の角を曲がるところだった。
淡い色の髪が、壁の向こうへ消えた。
「家の用事って言ってなかった?」
「言ってた」
「そっち、門ねえよな」
「ねえな」
ダンが窓枠へ肘をついた。
ふざけたことを言いそうな顔をして、何も言わなかった。
トマは、昼に見た手首を思い出した。
引っ込める速さ。
大きくなった声。
笑ったあと、すぐに口を閉じたこと。
「……転んだってさ」
ダンが言った。
「ああ」
北棟の陰から、別の生徒が出てきた。
背の高い、細い三年。
昨日、ニカの拳を避けていた男だった。
そいつは周りを見てから、ミロが消えたほうへ歩いていった。
ダンが窓枠から肘を離した。
「レオ、鞄取りに戻っただけだよな」
「ああ」
「呼んでくる」
返事を待たずに走りだす。
トマは鞄の紐を肩へ掛け直した。
材木屋のことは、あとでよかった。
*
実習場には、昨日の三人がいた。
ほかにも二人、奥の台に腰掛けている。
床には使われなくなった木材や、脚の折れた椅子が寄せられていた。高い窓から入る光の中で、埃がゆっくり動いていた。
ロッシュは作業台に座っていた。
ミロを見て、その後ろを見た。
「レオは?」
ミロは入口に立ったまま、答えた。
「……来てません」
「見りゃわかるよ」
笑い声がした。
ロッシュは笑わなかった。
「どうしたんだよ。用事でもあんのか」
「はい」
また、言ってしまった。
ミロは唇を噛んだ。
ロッシュが作業台から下りた。
「何つってた?」
近づいてくる。
「俺が呼んでるって言って、あいつ、何つった?」
ミロは扉の縁を握った。
何も知らない。
レオは、何も知らない。
今日も弁当を持ってきてくれて、明日の話をしていた。
ここへ呼ばれていることなんて、知るはずがない。
「……言ってないです」
ロッシュが止まった。
「は?」
「レオさんには、言ってません」
細い三年が吹き出した。
「こいつ、何しに来たんすか」
ロッシュの手が伸びた。
胸倉をつかまれ、扉から引き剥がされた。
「俺、何つった?」
ミロの靴が床を擦った。
「連れてこいって言ったよな」
「はい」
「じゃあ、連れてこいよ」
入口へ突き飛ばされた。
ミロはよろめき、壁に手をついた。
扉は、まだ開いていた。
行けと言われている。
今なら出られる。
教室へ戻って、レオを見つければいい。
ポケットの紙を見せるだけでもいい。
立っているうちに、膝が震えはじめた。
「早くしろよ」
ミロは壁から手を離した。
扉の向こうを見た。
それから、振り向いた。
「……連れて、来られません」
声が掠れた。
ロッシュの顔が変わった。
「何だよ、それ」
ミロは両手を握った。
力を入れても、震えは止まらなかった。
「レオさんは、何も知らないんです」
「だから今から教えてやれって」
「違うんです」
違わない。
何を違うと言ったのか、自分でもわからなかった。
ただ、レオの名前を、これ以上ここで使いたくなかった。
「俺が、嘘ついたんです」
ミロは言った。
「三年倒したとか、喧嘩できるとか。俺が勝手に言っただけで」
「知ってるよ」
ロッシュが歩いてくる。
「その話、昨日聞いた」
ミロは後ずさった。
壁が背中に触れた。
もう下がれなかった。
「お前に聞いてんのは、何でレオを連れてこねえのかってことだよ」
答えられなかった。
怖いから。
殴られるのも怖い。
ここへ来るのも怖かった。
でも、嘘だと知ったレオが、自分を見るところを想像するほうが、もっと怖かった。
明日の昼、屋上の扉を開けたとき。
誰も場所を空けてくれなかったら。
ミロは顔を伏せた。
「……言えませんでした」
ロッシュが、短く笑った。
「何だよ。友達じゃねえのか」
その言葉が、一番痛かった。
ミロは口を開いた。
友達だと、言いたかった。
昨日から友達になったのだと。
今日も一緒に飯を食べて、笑ったのだと。
けれど、今ここでそう言ったら、その人たちの名前をもう一度盾にすることになる気がした。
ミロは首を振った。
「あの人たちは、何も悪くないです」
「お前がそれ決めんの?」
胸を押された。
背中が壁に当たる。
昨日殴られたところが痛んで、息が詰まった。
それでも、顔だけは上げた。
「俺が」
声が震えた。
ロッシュが目を細める。
ミロは、握った手をほどけなかった。
「俺が、勝手に言っただけなんです」




