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激情のディソナンス  作者: 白瀬余白


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第28話 次も俺が勝つ

 鳴鐘の二人が、坂の下へ消えた。


 ガルドは、手の中の紙をもう一度開いた。


 もう一回やれ。

 七日後、放課後。水門で待つ。


 下に、レオの名前。


 それで終わりだった。


「……はっ」


 鼻から息が抜けた。


「何回読むんだよ」


 バッシュが言った。


 門の内側へ置いていた木箱を、足先でこちらへ寄せる。


「返事でも書く気か」


「もう返しただろ」


「だったら、こっち持て」


 箱の両脇に、取っ手があった。

 中で鉄の部品が鳴った。


 ガルドは紙を畳み、胸のポケットへ突っ込んだ。


「一人で持ってきたじゃねえか」


「持ってきたよ。お前が戻ってくるまで待ってたんだよ」


「俺を呼んだの、お前だろ」


「だから、ついでに使うんだろうが」


 ガルドが笑い、反対側の取っ手をつかんだ。


 門のそばにいた一年が、二人についてきた。


「あいつ、またガルド先輩にやられに来るんすか」


「七日後だとよ」


「懲りねえっすね」


「さっき言ってやりゃよかっただろ」


 ガルドが顔を向けると、一年の口が止まった。


「……いや」


「本人、目の前にいたぞ」


 横でバッシュが吹き出した。


「お前、さっきまで俺の後ろにいただろ」


「別に隠れてたわけじゃ」


「じゃあ、そこの袋持ってこい。隠れてねえ方の手で」


「手は隠してねえっすよ!」


 一年が門へ戻っていった。


 ガルドは、木箱を持ち上げ直した。

 胸の紙が、学園服の内側でかすかに鳴った。


     *


 実習棟の裏では、エルンが焼き台を横倒しにしていた。


 長い髪を後ろで縛り、片膝をついて、脚の付け根を覗き込んでいる。

 傍らには、同じ形の金具が三つ並んでいた。


「そこ。布の上」


 顔も上げずに言った。


 ガルドたちが箱を下ろす。


「何だ、これ」


「脚を外せるようにする」


「今のまま運べばいいだろ」


「お前が毎回運ぶのか」


「運んでんだろ」


「戸口に引っかけたのもお前だ」


 ガルドは、実習棟の戸口を見た。


 柱の下の方に、新しい擦り傷が一本あった。


「狭えんだよ、あそこ」


「広げるなよ」


「まだ何も言ってねえだろ」


 作業台の向こうで、ポルが小さな皿を並べていた。


 串から外した肉が、二切れずつ載っている。

 皿の端に、木炭で一本線と二本線が引いてあった。


「ガルド先輩。食べる前に、どっちか見てくださいね」


「おう」


「たれ、違うので」


「おう」


「両方まとめて口に入れないでください」


 ガルドの手が止まった。


 肉を一切れ、皿へ戻した。


「……見てたのか」


「目の前です」


 バッシュが声を上げて笑った。


 その奥、積んだ板に腰を下ろしていたラグが、こちらを見た。


「鳴鐘は、何しに来た」


 ガルドは一本線の肉を口へ入れた。

 噛んで、飲み込む。


「俺に、もう一回やれとよ」


 ラグの片眉が上がった。


 エルンの工具が止まった。

 ポルは、皿を持ったまま顔を上げた。


「七日後。放課後、水門だ」


「受けたのか」


「今、受けてきた」


 木箱を運んだ一年が、袋を下ろすなり振り返った。


「ガルド先輩、鳴鐘のレオとまたやるってよ!」


 声が実習棟へ飛んだ。


 開いた窓から二つ、顔が出た。

 向こうで荷車を押していた三年も足を止めた。


「いつだ!」


「七日後!」


「水門か!」


「そうだってよ!」


 自分の喧嘩でもねえのに、よく声が出る。


 ガルドはそう思いながら、二本線の肉へ手を伸ばした。


 嫌いではなかった。

 この、誰か一人がでかい声を出したら、すぐに別の場所から声が返ってくる感じが。


「どうですか」


 ポルが聞いた。


「うめえ」


「どっちが」


「両方」


 ポルが黙った。


 ガルドは皿を見た。


「……何だよ。うめえぞ、本当に」


「甘い方と、辛い方なんですけど」


「どっちもうめえんだから、いいだろ」


「僕が決められないから、聞いてるんです」


 バッシュが二本線の皿を指した。


「俺はこっち。こっちの方が飯食える」


「串で売るんだよ。飯は出ねえ」


 エルンが言った。


「じゃあ飯も出せ」


「仕事を増やすな」


 ポルは少し考えて、紙の端へ何か書いた。


「じゃあ、パンと食べたときも、今度試します」


「増えてんじゃねえか」


「それは、僕が試したいので」


 エルンはポルを見た。

 それから、工具を取り直した。


「……台は増やさねえぞ」


「はい」


 ガルドが残りの皿へ手を伸ばす。

 ポルに、腕を止められた。


「それ、まだ食べてない人のです」


「俺、二口しか食ってねえぞ」


「二口ずつです」


「俺の口でかぞえたら、損だろ」


「僕もそう思ったので、切りました」


 ラグが膝を叩いた。


 ガルドは空になった自分の皿を見下ろし、でかい声で笑った。


     *


 人が集まってきたので、エルンが作業台の周りを空けろと怒鳴った。


 誰かが板を運び、誰かが空箱に座った。

 頼まれてもいないのに、焼き台を持ち上げようとする奴がいて、もう一度怒鳴られた。


 ガルドは壁に背を預けた。


「あの赤茶の、そんなに強かったか?」


 三年の一人が聞いた。


「何発か、いいのもらったぞ」


「でも、勝ったろ」


「おう」


 頬を、指の背でこすった。


 もう痛くはない。

 けれど、あの日の拳は覚えていた。


 こっちが打ち込めば、向こうも殴り返してきた。

 顔を歪めても、身体が折れても、また来た。


 最後には、立てなくなった。


 あいつを背負って帰っていく鳴鐘の背中を、ガルドは見送った。


 今日、門の前に立っていたレオの顔は、そのときとは違った。


 ただ、余裕たっぷりという顔でもなかった。

 差し出された紙の端は曲がっていたし、やけに強く、こっちを睨んでいた。


 それでも、来た。


 七日後だと、勝手に決めて。


「何か、隠し玉でもあるんじゃねえの」


 誰かが言った。


「じゃなきゃ、もう一回なんて来ねえだろ」


「でっけえ奴を連れてくるとか」


「タイマンだって言ってんだろ」


 ガルドが返すと、相手は肩をすくめた。


「向こうは負けてんだぞ。何するかわかんねえじゃん」


「そん時ゃ、そいつごとぶっ倒す」


「それ、もうタイマンじゃねえだろ」


 バッシュの声に、周りが笑った。


 ガルドも笑った。


 だが、別の誰かが来る気はしなかった。


 レオは、自分の拳で勝つつもりで来ていた。

 他人に殴らせる話をしに、あんな顔でここまで来る奴はいない。


 ポルが空いた皿を重ねた。


「……負けたら、どうするんですか」


 皿の触れ合う音が、妙に大きく聞こえた。


 一年が、ポルの方を向いた。


「お前、ガルド先輩が負けるわけ――」


「またやる」


 ガルドが言った。


 ポルが顔を上げた。


「え」


「負けたら、もう一回やるに決まってんだろ」


 言ってから、胸のポケットを叩いた。


「こいつみてえにな」


 自分がこの紙を持って、鳴鐘へ行く。

 門の前で、レオを呼べと言う。


 想像すると、腹の中がむずむずした。


 あの赤茶の頭が、上から笑うのだ。

 また寝かされに来たのかと、今日自分が言ったように。


 たぶん、七日も待てない。


「……でも、やっぱ嫌だな」


 ガルドがつぶやくと、ラグが鼻を鳴らした。


「当たり前だろうが」


 ガルドはラグを見た。


 長い脚を投げ出して、そこにいる。

 自分に負けた三年が。


「お前、俺に勝ったあと、どんだけでけえ声出してたと思ってんだ」


「でけえ声は、前からだろ」


「前からうるせえのが、もっとだ」


 ガルドは口を開けて笑った。


 ラグは笑わなかった。


「次やったら、俺が勝つ」


 その声で、笑いが喉の奥に引っかかった。


 目が合った。


 ラグの目は、あの土場で見たのと同じだった。


 ガルドは、壁から背を離した。


「やってみろよ」


「ああ」


 間にいた一年が、尻をずらした。


「待て」


 バッシュが口を挟んだ。


「先に俺だろ、ラグ」


 ラグの顔が、そちらへ動いた。


 バッシュは手を持ち上げた。

 包帯はなかった。


「今朝、取れた」


 指を握る。

 開く。

 それから、もう一度握った。


「明日。西の土場でやれ」


 ポルが皿を置いた。


 ガルドは、バッシュの横顔を見た。


「……お前ら、いつの間に」


「お前が肉食ってる間だよ」


「いつだ、それ」


「しょっちゅうだろ」


 エルンの声に、周りがどっと笑った。


 バッシュは笑わず、ラグを見ていた。


「放課後でいいな」


「いいぞ」


 ラグが立ち上がった。


 座っていた板が軋んだ。

 並ぶと、背の高いバッシュより、まだ少し大きかった。


「もう包帯、捨てたか」


「捨てたよ」


「惜しいことしたな。明日使うぞ」


「てめえの分なら、自分で用意しろ」


 今度は、ラグが笑った。


 近くにいた三年が、ラグの背中を叩いた。


「負けんじゃねえぞ、また二年に」


「うるせえ。お前も来い」


「行くよ。笑ってやる」


「笑わせねえよ」


 ガルドは、二人を交互に見た。


 明日、こいつらがやる。


 ラグは、バッシュを甘く見ているような口をきいていた。

 バッシュは、もう勝ったように顎を上げていた。


 どちらも、相手の手を見ていた。


「俺も見る」


 ガルドが言うと、バッシュがようやく顔を向けた。


「お前は黙って見てろ」


「無理だろ」


「少しは考えてから言えよ!」


 また笑いが起きた。


 ポルは、バッシュの袖を引いた。


「僕も行きます」


「おう」


「バッシュ先輩の方、応援します」


「俺の目の前で言うなよ」


 ラグが言った。


 ポルの肩が上がった。


 けれど、皿を抱え直して、ラグを見た。


「……言っといた方が、いいと思って」


 ラグはしばらくその顔を見ていた。


「俺の飯まで減らすなよ」


「それは減らしません」


「ならいい」


 バッシュがポルの肩を小突いた。

 ポルは半歩よろけたが、皿は落とさなかった。


 ガルドは、その様子を見ていた。


 さっき門にいた、もう一人の鳴鐘を思い出した。


「あのドワーフ、お前に何か言ってたな」


「トマな」


 バッシュが言った。


「ベンチ直したってよ」


「おう。直ったか」


 エルンが工具を動かしながら、短く言った。


 バッシュは頷いた。


「喧嘩の話はしてねえ。でも、あいつも来るぞ」


「分かんのか」


「分かるよ」


 返事が早かった。


 ガルドは、バッシュの顔を見た。


 水門で、二人がどんな殴り合いをしていたのか。

 全部は見ていない。


 レオを相手にしていて、見る暇がなかった。


 だが、今の顔なら、分かった。


「負けんなよ」


「お前がな」


 すぐに返ってきた。


「俺がそこへ行く前に、鳴鐘なんぞにやられてんじゃねえぞ」


 バッシュの顎が、ガルドを指した。


 その横で、ラグが首を鳴らした。


「お前も、明日俺に勝ってから喋れ」


「勝つから言ってんだろ」


「先に喋っとかねえと、明日は喋れねえかもしれねえもんな」


「まだやるか、その口」


 ガルドは、二人の間へ腕を突っ込んだ。


 引き離すためではなかった。


 それぞれの肩へ手を置いて、顔を寄せた。


「どっちが来ても、俺が勝つけどな」


「うるせえ!」


 二人分の声が、耳元で響いた。


     *


 焼き台が立ち上がる頃には、西日が実習棟の壁を赤くしていた。


 新しい脚をつけた台を、エルンが両手で揺らした。

 がたつかない。


「よし。外すぞ」


「つけたばっかだろ」


「外せるようにしたんだよ」


 エルンが留め具を引き抜くと、ガルドの持っていた脚が、すぽりと抜けた。


「お」


「そっちも」


 四本の脚が箱へ収まった。

 残った台を、ガルドとバッシュが持ち上げる。


 今度は、戸口をまっすぐ通れた。


「……おお」


 ガルドが振り返ると、エルンは腕を組んでいた。


「柱、削らずに済んだな」


「まだ言ってんのか」


「傷は消えねえからな」


 ポルが箱を抱えて入ってきた。


「これなら、お祭りの日も、運ぶの楽になりますね」


「おう。飯の場所まで、真っすぐ持ってけるな」


「売る場所です」


「俺も食うだろ」


「買ってくださいね」


 台を置いたガルドは、ポケットから紙を出した。


 作業をしていたせいで、さっきより折り目が深くなっていた。


 七日後。


 たったそれだけで、ひっくり返されてたまるかと思った。


 この前、自分が勝った。

 ラグにも勝って、鉄門の頭だと叫んだ。


 この場所まで来たのだ。


 もう一度やりたいと言ってきた奴に、今度はそっちの番だなんて、譲る気はなかった。


 バッシュも、ラグも、こっちを見ている。

 七日後には、レオが来る。


 腹の奥が、熱くなった。


「おい、バッシュ」


「あ?」


「裏の坂、走るぞ」


 バッシュが顔をしかめた。


「急に何だよ」


「脚、余ってんだろ」


「余ってる脚なんかねえよ」


 ガルドは学園服を脱いだ。

 紙を入れたまま畳んで、鞄の上へ置く。


 バッシュが、それを見た。


「……お前も、気になってんじゃねえか」


「気になるよ」


 ガルドは答えた。


 バッシュの口が、わずかに止まった。


「俺をぶっ倒すって言いに来たんだぞ。気になるだろうが」


「余裕ぶっこいてたくせに」


「勝つ気でいるのと、何にもしねえのは違うだろ」


 足首を回した。


 レオが七日、何をするのかは知らない。


 自分にも、七日ある。


 バッシュは鼻を鳴らし、学園服を脱いだ。


「一本だけな。俺は明日だ」


「先に上の水桶まで行った方が勝ちだ」


「お前、勝負にしねえと走れねえのか」


「お前もだろ」


 バッシュが靴底を地面へこすりつけた。


「負けた方、桶の水替えろよ」


「いいぜ」


「ガルド先輩」


 ポルの声がした。


「何だよ」


「さっきの、負けたらどうするかって」


 ポルは、指先を学園服でぬぐった。


「負けると思って、聞いたんじゃないです」


「分かってるよ」


 ガルドは笑った。


 ポルは、今度は顔をそらさなかった。


「また、勝つところ見たいです」


 ガルドの胸が膨らんだ。


 でかい声で、任せろと言おうとした。


 その前に、バッシュが地面を蹴った。


「おい、てめえ!」


「話してろ!」


 背中が、もう遠ざかっていた。


 ガルドは飛び出した。

 裏坂へ曲がるバッシュを追う。


「待て、こら!」


「追いついてみろ!」


 坂は急だった。


 踏み込んだ足へ、身体の重さが返ってくる。

 腕を振る。

 もう一度、地面を蹴る。


 後ろで、ラグの声がした。


「負けんなよ、鉄門の頭!」


 面白がっている声だった。


 ガルドは振り返らなかった。


 先を走るバッシュの背中へ、手を伸ばしたくなる。

 届かない。

 だから、もう一歩を大きく踏み込んだ。


 追われるのも、追いかけるのも、どっちも腹が立つくらい楽しかった。


 でも、負けるのは嫌だった。


「次も俺が勝つ!」


 腹から、声が出た。


「まず追いつけ、馬鹿!」


 バッシュが怒鳴り返した。


 ガルドは歯を剥いた。


 七日後も。


 今、この坂でも。


 目の前の背中が、一歩ぶん近くなった。


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