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激情のディソナンス  作者: 白瀬余白


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第27話 今度は、こっちから

「ダン先輩、レオ先輩に勝ったって本当ですか!」


 鳴鐘学園の校門をくぐって、七歩目だった。


 ダンは足を止めた。


 隣のレオも止まった。

 その肩には、鞄が二つ掛かっていた。


 駆け寄ってきた一年が、その鞄を見た。


 目を見開いた。


「……もう、荷物まで持たせてる」


「殴るぞ」


 レオが言った。


 ダンが、包帯の巻かれた手を少し上げる。


「こいつ、こういうとこあるから。気をつけろよ」


「お前の鞄、今すぐ置くぞ」


「そこ、水溜まりあるからやめて」


 一年の後ろに、もう二人来ていた。


 そのうちの一人が、ダンの顔をまじまじと見る。


「ロッシュさんも倒したんすよね」


「そっちは、本当」


「そっちは、って何だよ」


 ダンがレオを見た。


「お前にも勝っただろ。二対一で」


「二対一?」


 一年たちの顔が変わった。


「二人相手にやったんですか」


「違えよ!」


 レオの声が、校門の中まで響いた。


 何人かがこちらを向いた。


「手合わせだ。顔に触ったら一本ってやつ。二本取ったのがこいつ」


「ああ、そういう」


 一年が少し肩を落とした。


 ダンはそれを見た。


「何だよ。悪かったな、期待どおりにレオをぶっ倒してなくて」


「いや、別に、そういうんじゃ」


「ロッシュとは、一対一。それは嘘じゃねえから」


 言うと、一年たちはまた顔を上げた。


「どうやって倒したんすか」


 ダンは少し顎を上げた。


 話せる。


 今なら、相当長く話せる。


「まず、向こうが俺に――」


「鐘、鳴るぞ」


 レオが歩き出した。


 鞄ごと先へ行く。


「おい。今、いいとこだろ」


「最初だろ」


「最初が大事なんだよ」


 ダンは追いかけようとして、歩幅を狭めた。


 昨日殴られた腹が、まだ動きについてこなかった。


 レオが足を緩めた。


 何も言わず、ダンが並ぶのを待った。


 一年たちが、少し離れてついてきた。


 その向こうで、また誰かが言った。


「あいつだって。ダン」


 ダンは、聞こえないふりをした。


 口元だけ、どうにもならなかった。


     *


 教室へ入っても、同じ話が待っていた。


「ロッシュを水門に沈めたって?」


「沈めてねえよ。水門にはいたけど」


「レオが止めたんだろ」


「止めてねえ。見てただけだ」


 答えたレオが、ダンの鞄を机へ置いた。


 ダンは椅子を引いた。


 ゆっくり座ったところへ、別の顔が寄ってくる。


「魔法使われたの?」


「使われてねえ」


「じゃあ、その顔、全部殴られたの?」


「全部じゃねえよ。転がった分もある」


「結構やられたんだな」


 ダンが相手を見た。


 隣で、レオの手が止まった。


 ダンは鼻に触れかけて、途中で手を下ろした。


「おう。すげえ痛かった」


 あっさり言った。


「でも、最後に倒れたの、向こうだから」


 机の周りが、少し静かになった。


 ダンは教科書を出そうとした。


 鞄の留め具が、包帯に引っかかった。


「……レオ。これ」


「ほら」


 レオが外した。


 ダンは教科書を引っ張り出し、机へ置いた。


「俺が勝ったってとこは、ちゃんと言っとけよ」


 相手が頷いた。


 その後ろから、また別の声がした。


「なあ。前の、先生の物真似した奴って、ダンだったの?」


「おう」


「あれ、本物だと思ったって聞いたぞ」


 ダンの背筋が伸びた。


「そこも聞きたい?」


「一回やってよ」


「しょうがねえな」


 ダンが顎を引き、息を吸った。


「いつまで入口を塞いでいる!」


 教室の戸口から声がした。


 何人かが、ダンを見た。


「すげえ。口、動いてなかった」


「今の俺じゃねえよ!」


 算術の教師が、扉のところに立っていた。


 集まっていた連中が、一斉に席へ散った。


 ダンは机へ向き直った。


 隣で、レオが肩を震わせていた。


「お前、あとで覚えてろよ」


「俺、何もしてねえだろ」


 教師が二人の前を通った。


 ダンの顔を見た。

 レオの顔も見た。


「今日は、そっちか」


「先生まで、その言い方する?」


「教科書を開け」


 ダンは黙って従った。


     *


 昼休みの屋上で、レオは紙へ向かっていた。


 膝の上へ置いた板の上に、一枚。


 トマが、それを横から見ていた。


「字、でけえな」


「読めりゃいいだろ」


「後ろ、入らねえぞ」


 レオは紙の端を見た。


 少しだけ、次の字を小さくした。


 ダンは壁に背を預け、弁当の容器から匙を抜いた。


「何書いてんの」


「ガルドに」


 匙が止まった。


 ニカがパンの包みを開く手を止めた。


 ミロも顔を上げた。


 レオは最後まで書き、紙を持ち上げた。


『もう一回やれ。

 七日後、放課後。水門で待つ。』


「……渡すの、それ」


 ニカが聞いた。


「今日」


 レオは答えた。


「鉄門へ行く」


 風が吹いた。


 紙の端が、指の間で鳴った。


 ダンが容器を置いた。


「七日後って、もう決めたのかよ」


「今、決めた」


「勝てそうになってからでも、いいんじゃねえの」


 レオは紙へ目を落とした。


 七日後。


 書いたのは自分なのに、その文字だけ、やけにはっきり見えた。


「……それ待ってたら、ずっと行けねえ気がする」


 ダンは黙った。


「またやるって言って、今日も言って、明日も言って」


 レオが紙の端を折った。


「あいつに言わねえまま、終わんの嫌だ」


 トマが、板を膝の上へ引き戻した。


「で、その七日、どうすんだ」


「付き合え」


「何に」


「手合わせ」


 トマはレオを見た。


 レオも見返した。


「殴って、そのまま前に残ってるから、全部もらうんだろ。俺」


「まあ、よく食らってるな」


「だから、当てたあとも動く。お前がつかむより先に、離れる」


「俺がつかんだら?」


「俺の負け」


 トマが少し考えた。


「なら、そのあとは俺がつかむ方だ」


「お前、今もつかむ方だろ」


「お前が最初から逃げる。俺は、つかんで倒すところまでやる」


 レオの目が、トマの手へ向いた。


 包帯はもうなかった。


「バッシュか」


「あいつ、一回投げても止まらなかったからな」


 トマは、板の端へ指をかけた。


「次も、同じところで手ぇ離すつもりはねえ」


 レオは頷いた。


「やろうぜ」


「あたしも入れて」


 ニカが言った。


「あんたら二人で、勝手に分かった顔して終わるの、腹立つし」


「終わる前から決めつけんなよ」


「あたしが殴られた分も、まだ終わってないから」


 レオはニカを見た。


 ニカは、もうパンを食べ始めていた。


 ダンが包帯の手を上げる。


「俺は?」


「見てろ」


「ずいぶん偉そうだな。昨日の勝者に」


「気づいたこと、言えよ。手ぇ出さねえで」


 ダンはレオを見た。


 少ししてから、顎を上げた。


「口は任せとけ」


「そこは誰も心配してねえ」


 トマが言った。


 ミロが、レオの持っている紙を見た。


「先輩。それ、名前がありません」


「誰からか、分かんだろ」


「ガルドって人、ほかにも喧嘩してるんじゃないですか」


 レオは黙って、紙を広げ直した。


 一番下へ、自分の名前を書き足した。


     *


 放課後、実習棟の裏では、レオがトマにつかまっていた。


 最初は袖。


 二度目は肩。


 三度目は、避けようとしたところでシャツの背中を取られた。


「待て。今、顔には触ったろ」


「そのあと逃げるんじゃなかったのか」


「そうだけど」


「じゃあ、つかまってる」


 トマが手を離した。


 ダンが、腰掛けた低い石から言った。


「お前、当てた瞬間、終わった顔すんのやめろ」


「してねえだろ」


「してる。『どうだ』って、毎回ちょっと止まる」


 レオはトマを見た。


 トマが頷いた。


「止まるな」


「……もう一回」


 レオが足を開いた。


 トマも向き合った。


 校庭の方では、球を追う声がしていた。

 実習棟の窓からは、木を削る音が聞こえる。


 トマの手が上がった。


 レオは、その腕を見た。


 触るだけ。


 顔へ手を伸ばした。


 トマの頬へ、指先が届いた。


 すぐ、引いた。


 今度は止まらなかった。


 けれど、足が真っ直ぐ後ろへ下がった。


 トマが追ってきた。


 胸元に、手が来る。


 レオの息が詰まった。


 下がる足が、もう一歩大きくなった。


 踵が土を削った。


 トマの手に、襟をつかまれた。


「……くそ」


 レオは奥歯を噛んだ。


 トマが襟を放す。


 何も言わず、元の場所まで戻った。


「先輩」


 ミロが呼んだ。


「何」


「さっきも、その前も、同じところまで下がってます」


 土の上を指した。


 レオの靴が削った跡が、何本も重なっていた。


 トマの足跡も、そこへ続いている。


 レオは跡を見た。


 これでは、追いやすい。


「お前、そこばっか見てたのか」


「足元なら、少しは分かるので」


 ミロは、少し肩をすくめた。


「僕、拳は速くて、よく見えないです」


 レオは靴の跡を、片足で消した。


「十分だよ」


 顔を上げた。


「もう一回」


 ニカが、トマの肩を軽く叩いた。


「交代」


「何で」


 レオが言った。


「あたしも入れてって、言ったでしょ」


 ニカが前へ出た。


「あたしは、つかむ代わりに顔へ返す。手ぇ開いてやるから」


「分かった」


 レオが向き直る。


 ニカが手を上げた。


 踏み込んだ。


 レオが避けた。


 避けた先へ、反対の手が来た。


 額を叩かれた。


「……早くねえか」


「こっちが来る前に、避ける方決めてんじゃないの」


 ニカが言った。


 ダンが後ろから口を挟む。


「今の、俺が言おうと思ってた」


「じゃあ、一人でいいだろ!」


「言う前に当てた方が早いじゃん」


「怪我人に言うなよ」


 トマが腕を組んだ。


「じゃあ、あとでニカもやれ」


「言われなくてもやるよ」


 ミロが小さく息を漏らした。


 レオがそちらを見る。


「何だよ」


「いえ。みんな、順番待ってるんだなって」


 ダンが、包帯の手を膝へ置いた。


「一人、待たされてんだけどな」


「そのうち、嫌になるほどやってもらう」


 レオが言った。


「お前のそれ、全然嬉しくねえ」


 ニカが手を振った。


「喋ってるなら、次あたしから行くけど」


「来いよ」


 レオが構え直した。


     *


 しばらくすると、エマが校舎の角から顔を出した。


 ダンが片手を上げる。


「俺、何もしてねえからな」


「まだ何も言ってない」


 エマは鞄を持ち直した。


「治療院、行くよ。診てもらう約束でしょ」


「分かってる。もうちょっと見たかっただけ」


 ダンが立った。


 レオは額を袖で拭った。


 息が上がっていた。


 ニカも、膝へ手を置いていた。

 トマの襟元には土がついている。


 交代してからは、誰も続けて勝てなかった。


 つかまえようとすれば逃げられた。

 逃げようとすれば、逃げた先へ手が来た。


 レオは一度だけ、トマの頬へ触ったあと、袖をつかまれる前に横へ抜けた。


 嬉しくなって振り返ったところで、追ってきた手に肩を取られた。


 ダンはそれを、まだ覚えている顔だった。


「最後、振り返って自慢すんなよ」


「うるせえ」


「一回抜けたの、ちゃんと見てたから」


 レオの口が止まった。


 ダンは鞄を左の肩へ掛けた。


 今度は自分で持った。


「明日、その続きからな」


「おう」


 レオが答えた。


 エマはレオの顔を見た。


 朝より髪が乱れていた。

 頬も赤かった。


「汗、拭いてから上着着なよ」


「分かってる」


「その袖じゃなくて」


 レオは使っていた袖を見た。


 ダンが先に笑った。


「言われてやんの」


「あんたは足元」


 エマが言った。


 ダンは慌てて、通路に出ていた木箱を避けた。


 二人が校舎の角を曲がるまで、声は続いていた。


     *


 レオは鞄から紙を取り出した。


 昼に書いた文字が、折り目で少し曲がっていた。


 もう一回やれ。


 親指で、折り目を伸ばした。


「やっぱり、今日行くのか」


 トマが聞いた。


「ああ」


「まだ一回も、最後まで逃げ切れてねえぞ」


「だから、七日やる」


 レオは紙を畳んだ。


 トマが自分の鞄を持った。


「俺も行く」


「ガルドには、俺が言うぞ」


「分かってる。俺はバッシュの顔見てくる」


 レオがトマを見た。


 トマは、いつもと同じ顔だった。


 けれど、持ち上げた鞄の紐を、少し強く握っていた。


「……じゃあ、行こうぜ」


 レオが歩き出した。


 実習棟の前で、ニカとミロが待っていた。


「明日、放課後もここ?」


 ニカが聞いた。


「おう」


「じゃあ、二人とも、今日殴り合ってくんなよ。練習相手いなくなるから」


「紙渡すだけだって」


「喧嘩売る紙でしょ」


 レオは答えず、鞄へ紙をしまった。


 ミロが少し近づいた。


「僕も、明日来ます」


「頼む。足、見ててくれ」


「はい」


 ミロの声が、少し大きくなった。


 校門を出て、二手に分かれた。


 レオとトマは、鉄門へ続く坂を上った。


     *


 鉄門学園の門は、鳴鐘のものより分厚く見えた。


 中から金属を叩く音がしていた。

 荷車を押す生徒たちが、レオとトマを見て足を緩めた。


 制服を見られている。


 レオは鞄の紐を持ち直した。


「誰だ、お前ら」


 門の脇にいた生徒が言った。


「ガルド、いるか」


「何の用だよ」


「本人に言う」


 相手の顔が険しくなった。


 もう一人が、こちらへ寄ってくる。


「鳴鐘が何しに――」


「待て」


 奥から声がした。


 バッシュだった。


 手にしていた木箱を、門の内側へ置いた。

 レオを見る。


 その目が、トマへ移った。


「……お前らか」


 トマが前へ出た。


 レオの隣で止まる。


「ベンチ、直したぞ」


 バッシュの眉が動いた。


「そうかよ」


「ああ」


 それだけだった。


 互いに、目をそらさなかった。


 レオは鞄を下ろした。


「ガルド呼べよ」


 バッシュがレオへ目を戻した。


「またやりに来たのか」


「その話しに来た」


 バッシュは、レオの手にある紙を見た。


 口の片側が上がった。


「待ってろ」


 振り返る。


「おい、ガルド!」


 実習棟の方へ、声を飛ばした。


「鳴鐘だ。お前に用だとよ!」


 何人もの顔がこちらを向いた。


 レオは門の中を見た。


 広い肩が見えた。


 ガルドが歩いてきた。


 あの日と同じように、大きく見えた。


 肩も、胸も。

 歩くたびに動く腕も。


 レオの腹の奥が、固くなった。


 ついさっき、トマの手から逃げ切れなかった足が、地面へ張りついた。


 ガルドが止まった。


「おう、レオ」


 名前を呼ばれた。


 レオは、握っていた紙を見た。


 端が曲がっていた。


 それでも、差し出した。


「もう一回やれ」


 ガルドが紙を受け取った。


 開く。


 文字を見てから、レオの顔を見た。


「七日後か」


「放課後。水門で、タイマンだ」


 ガルドが笑った。


 レオは、その顔を睨んだ。


「何がおかしい」


「来たと思ったら、もう日まで決めてやがる」


「嫌なら、そう言えよ」


 ガルドの笑いが、少し変わった。


 紙を畳んだ。


「受けてやる」


 門のそばにいた鉄門の生徒たちが、ざわついた。


「また寝かされに来るってんなら、付き合うぜ」


 レオの顎が上がった。


「今度は、そっちが寝ろ」


 バッシュが低く笑った。


 トマは、ガルドを見ていた。


 レオは、握り込んでいた手を開いた。


 もう、用は伝えた。


 逃げずに帰るのも、案外、難しかった。


 背を向ける前に、もう一度ガルドを見た。


「七日後だからな」


「聞いたよ」


 ガルドが、畳んだ紙を持ち上げた。


 レオはトマと坂を下り始めた。


 門から離れたところで、ようやく息を吐いた。


 足は、まだ少し頼りなかった。


「……明日もやるぞ」


 レオが言った。


「分かってる」


 トマが答えた。


「今度は、俺の番からな」


 レオは頷いた。


 七日後。


 ガルドが、待っている。


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