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激情のディソナンス  作者: 白瀬余白


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第14話 お前は、俺がやる

 水門へ下る坂の途中で、怒鳴り声が聞こえた。


 ミロが振り返るより先に、レオが横を抜けた。


 広場へ駆け込む。


 最初に見えたのは、ニカの赤い口元だった。


 次に、その前に立つ鉄門の男。


 ニカが右の拳を振った。

 男が腕で受け、身体を寄せる。


 短い拳が、ニカの脇腹へ入った。


 息の詰まる音がした。


「ニカ!」


 ダンが腕を伸ばす。


 よろけたニカが、片足で踏みとどまった。

 それでも顔を上げる。


「まだ――」


 鉄門の男が前へ出た。


 その間に、レオが入った。


 男の肩を押す。

 ほぼ同時に、胸ぐらをつかまれた。


「何だ、お前」


「そいつのダチだよ」


 レオも相手の襟をつかんだ。


 近くで見ると、男の口も切れていた。

 頬には、赤く腫れたところがある。


 ニカも、ただ殴られていたわけではなかった。


「レオ!」


 後ろから声が飛ぶ。


「あたしがやってんの!」


「分かってる!」


「分かってないだろ!」


「一回、息しろ!」


 ニカが何か言い返そうとした。


 しかし、そこで咳き込んだ。


 ダンがその肩を支える。


 鉄門の男は、レオから目を離さなかった。


「代わりに来たってか」


「お前がバッシュか」


「だったら」


 レオが襟を離した。


 バッシュも、乱暴に手を放す。


 半歩。


 互いの間に、拳一つより少し広い隙間ができた。


「レオ・アーデン」


 レオが言った。


「覚えとけ」


 バッシュの目が、わずかに変わった。


「ああ。鳴鐘の」


 それ以上は続かなかった。


 レオが踏み込んだからだ。


     *


 トマは、広場へ入ってすぐに足を止めた。


 ベンチが傾いていた。


 片側の脚が開いている。

 座板の端が地面につき、もう片方だけが、不自然に浮いていた。


 折れた横木が、その下に落ちている。


 新しく入れた木だった。


 トマはしゃがんだ。


 木片を拾う。


 斜めに裂けたところへ親指を当て、途中で止めた。


 割れ目のすぐ横に、浅い傷があった。


 レオが釘を曲げたときに、金槌を滑らせてつけた傷。


 表面を少し削れば消せた。

 けれど、座るところではないから、そのままにしておいた。


「トマ先輩」


 ミロの声がした。


 トマは返事をせず、もう一つの破片を拾った。


 合わせてみる。


 折れ口が、うまく重ならない。


 細い木の筋が、何本も飛び出していた。


「……ここまで割れたか」


 呟く。


 すぐ近くで、拳の当たる音がした。


 レオとバッシュが殴り合っている。

 どちらも退かず、短い距離で腕を振っていた。


 トマは一度そちらを見てから、木片を座板の上へ置いた。


「荷下ろしで、脚を当てた」


 鉄門のエルフが言った。


 機械の横から、こちらを見ている。


「壊したのは俺たちだ。材料は出す」


 トマは立ち上がった。


「直すのは俺だ」


「……直せないって言ってるわけじゃない」


「俺がやる」


 もう一度言うと、相手の眉が寄った。


 トマはその横を通ろうとして、足を止めた。


 石畳に、肉の串が落ちていた。


 拾い集めているドワーフの一年生が、顔を上げる。


「そこ、踏まないでください」


 声は小さかったが、はっきりしていた。


 トマは靴をずらした。


「踏まねえよ」


 別の場所へ足を置く。


 木箱の中にも、砂のついた串が戻されていた。

 表面には、細かく刻んだ香草がまぶしてある。


 少し見れば、手間がかかっていることくらい分かった。


「これ、ニカが落としたんだな」


 少年が、ためらってからうなずいた。


 トマは一度、唇を結んだ。


「そうか」


 それ以上、何も言わなかった。


 顔を上げると、レオの身体が横へ揺れた。


 バッシュの拳を肩で受けたところだった。


 レオがすぐに打ち返す。

 今度はバッシュの顔が上を向いた。


「バッシュ!」


 鉄門の生徒が一人、駆け寄った。


 横から、レオの腕をつかもうとする。


 トマが、その手首を取った。


「邪魔すんな」


「あ?」


 男が振り向いた。


 肩で押される。

 トマは足を引かなかった。


 男の腕を抱え、腰を入れる。


 石畳へ背中が落ちる音が、広場に響いた。


 男が息を詰まらせた。


 トマは手を離した。


 いつものように、余計なことは言わなかった。


 ただ、顔から表情が消えていた。


     *


「おい、そいつ!」


 もう一人の鉄門が、トマへ向かった。


 ダンが、その前へ出る。


「待てって、もう増やすな!」


「どけ!」


 振られた腕を、ダンがのけぞって避けた。


 避けたつもりだった。


 拳が口元をかすめる。


「いって……!」


 ダンの顔が変わった。


「言ってるそばから殴んなよ!」


 伸びてきた腕の袖をつかみ、足を引っかける。


 相手が体勢を崩す。

 ダンも一緒に倒れかけ、慌てて踏ん張った。


「おっとと――」


 横から、ニカが相手の肩を押し飛ばした。


「何やってんの、ダン!」


「お前こそ休んでろよ!」


「うるさい!」


 言い返した直後、ニカが脇腹を押さえた。


 ダンが舌打ちする。


 相手の鉄門は、転ばずに立ち直っていた。


 その向こうでは、エルンが機械を引いている。


「ポル、箱ごとこっち!」


「でも、まだ」


「あとで拾える! 今は離れろ!」


 ポルは箱を抱えた。


 立ち上がったところへ、殴り合うレオとバッシュが流れてくる。


 ミロが、ポルの袖を引いた。


 二人ともよろけた。


 レオの足が、ついさっきまでポルの膝があった場所を踏む。


 ポルはミロを見た。


 ミロも見返した。


 何かを言う暇はなかった。


 エルンが荷車を押し、二人の間へ入ってきた。


 広場の端まで退く。


 鉄の車輪が、石畳をこすって鳴った。


 その音を越えて、レオの声がした。


「結構やんじゃねえか!」


「てめえもな!」


 バッシュが打つ。


 レオが受ける。


 受けた腕ごと押し込まれ、レオが歯を食いしばった。


 強い。


 軽く殴っているわけではないのに、バッシュは止まらなかった。

 間合いを外すつもりもないらしい。


 だったら、こっちも退かない。


 レオは肩をぶつけた。


 バッシュが半歩下がる。

 そこへ拳を振り込む。


 頬を捉えた。


 バッシュの顔が横へ向く。


 けれど、足は残った。


 次の拳が返ってくる。


 レオが腕を上げた、そのときだった。


「バッシュ!」


 太い声が、坂の上から落ちてきた。


 バッシュの拳は止まらなかった。

 レオも、目をそらさなかった。


 一発ずつ打ち合ってから、ようやく二人が離れた。


 坂の上に、鉄門の制服があった。


 肩幅の広いドワーフだった。


 片手に紙袋を持っている。

 もう片方の手の甲には、白い包帯が見えた。


 ガルドは広場を見た。


 傾いたベンチ。


 石畳に残った肉汁の染み。


 口を切ったバッシュ。

 倒れたところから起き上がろうとしている、同じ学校の生徒。


 最後に、ポルの腕の中を見た。


 砂のついた肉の串。


 ガルドの顔から、いつもの笑みが消えた。


     *


「ガルド先輩」


 ポルの声が、少し震えた。


「肉、落ちちゃって」


 ガルドは紙袋を、汚れていない石の上へ置いた。


 中から香草がのぞいている。


「お前、怪我は」


「してないです。でも、これ」


「見えてる」


 ガルドは箱を見た。


 一本、串の途中で折れていた。


 ポルが紙に書いていた分量を思い出す。


 肉の厚さをそろえるために、何度も切り直していたのも。


 ガルドは箱へ手を伸ばしかけた。


 やめた。


「あとで、俺も片づける。今はそこで持ってろ」


 ポルがうなずく。


 エルンが近づいた。


「ベンチを壊したのは、こっちだ」


 ガルドが目を向ける。


「荷下ろしで当てた。直すって話をしたんだけど、場所のことで揉めた。それで荷車を動かされて、串が落ちた」


 エルンは、ニカの方を見た。


 ニカも、こちらを見ていた。


「……殴ったのも、あたしが先だよ」


 口元の血をぬぐいながら言う。


 その目は、まだバッシュから外れない。


 ガルドは一度、息を吐いた。


「そうか」


 それから広場の中央へ歩いた。


 バッシュが振り向く。


「入ってくんな」


 ガルドの足が止まる。


「こいつとは俺がやってる」


「見りゃ分かる」


「じゃあ――」


「お前だけか、ここにいんの」


 バッシュが口を閉じた。


 肩で息をする仲間。

 機械の前に立つエルン。

 箱を抱えたまま動かないポル。


 ガルドは、その前へ出た。


 レオが見返す。


 背は、自分より低い。


 それなのに、近づいてくると、ずいぶん大きく見えた。


 首。

 肩。

 まくった袖から出た腕。


 レオは、ゆっくり顎を上げた。


「お前が、鉄門の頭か」


「ガルドだ」


 短く答える。


「鳴鐘のレオってのは、お前か」


「そうだよ」


 ガルドの目が、一瞬だけレオの後ろへ動いた。


 トマが立っていた。


 その横に、壊れたベンチがある。


「あれは、俺らが壊したんだな」


 トマは答えなかった。


 ガルドは続けた。


「始末はつける。材がいるなら用意する」


「直すのは俺だ」


 トマが言った。


 声が低かった。


 ガルドはそちらを見た。


 トマは、ベンチの方を見ていた。


「……今日も、座るつもりだったんだよ」


 広場に、短い間ができた。


 トマの目が、割れた座板の端へ落ちる。


 そこには、誰かが座った跡も、学校の名前もない。


 ただ、数日前までささくれていた木が、きれいに削ってある。


「店の棚、直したら、ここ来て」


 トマはそこで口を閉じた。


 指が一度、開いた。


 また閉じる。


 レオは、何も言わなかった。


 さっきまで殴り合って熱くなっていた身体の奥が、別の熱を持った。


 トマが、顔を上げた。


「壊れたのは見た。飯が落ちたのも見た。何があったかも、ミロから聞いた」


 ガルドではなく、バッシュを見る。


「それでも、腹立つんだよ」


 バッシュは黙って聞いていた。


 口の中の血を吐く。


「……だったら、どうする」


 トマが一歩、前へ出た。


「お前は、俺がやる」


 レオが横を向く。


「トマ」


「代われ」


 短い言葉だった。


 いつもの、飯の皿を取ってくれという声とは違った。


 レオは、トマの顔を見た。


 怒っていた。


 滅多に見ないくらい、はっきりと。


「……分かった」


 レオが横へずれる。


 バッシュが、二人を見比べた。


「勝手に決めてんじゃねえぞ」


「嫌なら帰れ」


 トマが言った。


 バッシュの目が据わる。


「帰るわけねえだろ」


 握られた拳が、腰の横へ下がった。


 トマも構えた。


 ガルドは止めなかった。


 レオも止めなかった。


     *


 橋の上で、何人かが足を止めていた。


 声を聞きつけた生徒が、坂の途中から広場をのぞく。


「鳴鐘じゃねえか、あれ」


「鉄門とやってんのかよ」


 誰かが言った。


 その声は、レオたちのところまで届かなかった。


 ダンがニカの横へ立つ。


 ニカはまだ前へ出たそうだった。

 だが、息を吸うたびに眉が寄った。


「ちょっとだけだぞ」


 ダンが言う。


「何が」


「休むの。お前、今、息吸えてねえだろ」


「……分かってる」


 ニカは石の縁へ腰を下ろした。


 ミロが水筒を差し出す。


 受け取ったニカが、ミロを見上げた。


「呼んできてくれたんだ」


「はい」


「そっか」


 それだけ言って、水を口に含んだ。


 ミロは、その隣に立った。


 逃げるための道ではなく、広場の方を見ていた。


 ガルドが、レオの正面に立つ。


「ベンチを壊した分は、こっちが持つ」


 もう一度、言った。


「けどよ。俺の仲間が殴られてんの見て、そのまま荷物まとめて帰る気はねえ」


「こっちだって、そうだよ」


 レオが返す。


「こいつら置いて、俺だけ引けるわけねえだろ」


 ガルドの口元が、わずかに動いた。


 笑い声は出なかった。


「じゃあ、話は早えな」


「おう」


 レオが拳を握る。


 ガルドも、両手を上げた。


 包帯の下で、指がしっかり曲がる。


 レオは、それを見た。


 昨日今日ついた傷ではない。

 それでも、まだ新しい傷だった。


「その手で、やれんのかよ」


「お前が決めることじゃねえ」


 ガルドが言った。


 レオの口が、吊り上がる。


「そうかよ」


 先に動いたのは、レオだった。


 石畳を蹴る。


 踏み込みながら、右の拳を振り込む。


 ガルドの腕が上がった。


 拳が、その外側へ当たる。


 重い感触。


 だが、押せないほどではない。


 レオはもう一歩、前へ出ようとした。


 ガルドの身体が、低く沈んだ。


 拳が来る。


 見えた。


 レオは両腕を寄せた。


 受けた。


 ――はずだった。


 衝撃が、腕を突き抜けた。


 胸まで押される。


 靴底が、石畳を擦った。


 一歩。


 もう一歩。


 レオは後ろ足で踏みとどまった。


 ガルドは、その場に立っていた。


 まだ一発しか打っていない。


 レオが腕を下ろす。


 指の先が、じんじんしていた。


 それでも、拳を開かなかった。


「……上等だ」


 唇の端を上げる。


 そして、もう一度、前へ出た。


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