↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
激情のディソナンス  作者: 白瀬余白


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/33

第12話 じっとしていられない

「ガルドさん。こっちへどうぞ」


 呼ばれると、ガルドはすぐに立ち上がった。


 エマの後について診察室へ入る。

 白い布の敷かれた診察台と、薬棚。窓辺には、乾燥させている薬草がいくつか吊るされていた。


 奥にいた師匠を見ると、ガルドは軽く頭を下げた。


「お願いします」


 待合で胸を張っていたときより、少しだけ声が小さい。


 エマはその背中を見てから、手洗い場へ向かった。


「昨日の喧嘩だそうです。学校で手当てをしてもらって、手の腫れが残っているから、こちらでも診てもらうようにと」


「分かりました。まず、手を見せてください」


 ガルドが両手を出す。


 包帯をほどいていくと、腫れた指の付け根が現れた。

 エマは受け取った布を脇へまとめる。


「痛むのは、この辺り?」


「そこは平気――いって!」


「ここですね」


「そこは痛え」


「今、聞いていますからね」


 ガルドが口を閉じた。


 エマは思わず下を向いた。

 笑ってはいけないところだ。


 けれど、肩が一度だけ揺れてしまった。


「笑っただろ」


「ちょっと」


「正直だな」


「痛いところも、正直に言ってください」


「言ってるだろ。痛えって」


「声はよく聞こえています」


 師匠が静かに言った。


 エマは今度こそ、唇を結んだ。


     *


 手の腫れを師匠が診ている間、エマはガルドの口元の傷を確かめることになった。


「そこはエマに任せます。急がずに」


「はい」


 返事をしてから、丸椅子をガルドの前へ寄せる。


「エマっていうのか」


「うん。まだ言ってなかったね」


「俺は――」


「ガルド・バルケン。さっき書いた」


「そうだった」


 にっと笑おうとして、また傷を引きつらせる。


 エマは小さく息を吐いた。


「少し、じっとしてて」


「おう」


 指先を傷の近くへかざす。


 淡い光が灯った。


 ガルドの目が、少し大きくなる。


「お」


「動かないで」


「まだ動いてねえぞ」


「口が動いてる」


 ガルドは唇を結んだ。


 エマが傷に意識を戻す。


 大きな傷ではない。

 けれど口元は、少し動くだけで形が変わる。表面だけを急いでつないでも、きれいには治らない。


 習ったことを思い出す。


 焦らず。

 見えているところだけに気を取られず。


 光が、傷の縁に沿ってゆっくり広がった。


「昨日、そんなに強い人とやったの?」


「おう。ラグって――」


 傷が動いた。


 光がぶれた。


「あっ、喋らないで」


「聞いたのそっちだろ!」


 二人とも止まった。


 横で、師匠が一度だけ咳をした。


 エマの耳が熱くなる。


「……今のは、私が悪かった」


 ガルドは笑いそうになっていた。


 明らかに、笑いそうになっていた。


「笑うのも、もう少し待って」


 ガルドが、唇を結んだままうなずく。


 肩が揺れている。


「肩も」


 今度はエマまで笑いそうになった。


 いったん手を下ろす。

 息を整える。


 ガルドは、おとなしく待っていた。


 大きな両手を師匠に預け、膝を開いて座ったまま、窓の外へ目を向けている。

 動かないようにしているのが、見ていて分かった。


 エマも、笑うのをやめた。


「もう一回、やるね」


 今度は、途中で話しかけなかった。


 薄い光が傷を覆う。


 少しずつ。

 さっきよりも、確かに。


 裂けていたところがつながるのを見届けてから、エマは手を離した。


「……よし」


 つい、声が出た。


 ガルドの目が戻ってくる。


「もう喋っていいか」


「いいよ」


「治った?」


「そこはね。頬の腫れは、まだ残ってるから」


 ガルドが口を動かす。


 慎重に。

 もう一度。


「おお」


 さっきより大きく笑った。


「切れてたとこ、痛くねえ」


 エマも、つられて笑った。


「うん」


「すげえな」


「……まあ、これくらいなら」


「さっき、あんなに難しい顔してたのに」


「それは言わなくていいの」


 すぐに返してから、エマは師匠を見た。


 見られていた。


 さっきまで得意になっていた顔を、慌てて引っ込める。


 ガルドが声を上げて笑った。


 今度は、止めなかった。


     *


 手の治療が終わっても、ガルドの拳は元どおりにはならなかった。


 腫れは引いた。

 だが、動かすとまだ痛みがある。


「しばらく休ませなさい。見た目がよくなったからといって、すぐ殴り合いに使えるわけではありません」


「……どんくらい」


「少なくとも、痛む間は」


 ガルドは自分の手を見た。


 少し考えた末に、指を曲げかける。


「今、確かめなくていいです」


 止められた。


 エマは新しい包帯を用意しながら、横目でその顔を見た。


 本当に残念そうだった。


 外で鈴が鳴る。


 師匠が受付へ出て、診察室には二人が残った。


「そんなに早く、また喧嘩したいの?」


 今度は口元の治療が終わっている。

 聞いても大丈夫だった。


「待ってる奴がいるからな」


「昨日やった人?」


「そいつもだけど。バッシュって奴」


「同じ学校?」


「おう」


 ガルドは嬉しそうに言った。


「俺が勝ったら、次は自分だってよ」


「……友達なんだよね?」


「ダチだよ」


「その友達が、あなたを殴りたいの?」


「倒してえんだと」


「あなたは?」


「勝つ」


 あまりに迷いのない返事だった。


 エマは包帯を持ったまま、しばらくガルドを見た。


「分かんないなあ」


「そうか?」


「そうだよ。私、友達と喧嘩したら、その日のうちに仲直りしたいもん」


「俺ら、仲悪くてやるわけじゃねえし」


「じゃあ、何でやるの」


「勝ちてえから」


 戻ってきてしまった。


 エマは諦めて、差し出された手に包帯を巻いた。


「喧嘩、好きなんだね」


「おう」


「痛いのに」


「痛えのは嫌だ」


「そこは嫌なんだ」


「当たり前だろ」


 エマが笑う。


 ガルドも笑った。


 大きな手は、さっきからちゃんと止まっていた。


「頭になってみて、どうだった?」


「最高」


 即答だった。


「昨日、門のとこで叫んだ」


「何て?」


「俺が鉄門の頭だ、って」


「……学校の門で?」


「おう。そしたら向かいの親父に怒鳴られた」


 エマの手が止まった。


「何してんの」


「だって、言いてえだろ」


「言いたくても、店先ではやめた方がいいと思う」


「バッシュにも笑われた」


「それは笑うよ」


 ガルドは不満そうな顔をしたが、すぐにまた笑った。


「今日もよ。ポルが、うまそうな煮込み持ってきてたんだ」


「ポル?」


「一年。料理がうめえんだよ、あいつ」


 エマは包帯の端を留める。


 ガルドは話し続けた。


「一口くれって言ったら、バッシュの分だから駄目だって」


「約束してたなら、そうでしょうね」


「頭になったのによ」


「関係なくない?」


 ガルドは一瞬、きょとんとした。


 それから、喉を鳴らして笑った。


「ねえんだな、これが」


 その顔を見て、エマも笑った。


 番長になった自慢話のはずだった。


 けれど聞いていると、次々に別の名前が出てくる。


 昨日負けたのに、もう次を狙っている三年生。

 人の昼飯を絶対に分けない友達。

 肉の切り方を、これから先輩たちに教えるらしい一年生。


「楽しそうだね、鉄門」


「おう」


 今度の返事は、さっきより少し大きかった。


     *


 診察室を出ると、待合には仕事帰りらしい人が二人、座っていた。


 ガルドは空いている椅子へ戻る。

 エマは受付に入り、治療の記録を書きつけた。


 その隣に、解きかけの問題が置いたままになっている。


「それ」


 ガルドが指した。


「鳴鐘って、今あんな難しいことやってんのか」


 エマが顔を上げる。


「何で鳴鐘って分かったの?」


「そこ、制服」


 椅子の背に掛けてある上着だった。


「ああ」


「二年か?」


「うん。ガルドも?」


「おう」


「三年かと思った」


「よく言われる」


 エマは問題の紙を引き寄せた。


「これは、学校のじゃないよ。夏に王都でやる、回復魔法の講習の試験」


「王都?」


「うん。選抜があるの」


「行くのか」


 エマの指が止まった。


「……行きたいとは、思ってる」


「じゃあ、受けりゃいいじゃねえか」


 ずいぶん簡単に言う。


 エマは、線だらけの答案を見た。


 その線を引いたのは、自分だった。

 答え合わせをして、三つ続けて間違っていた。


「受ければ受かるわけじゃないよ」


「そりゃそうだろ」


「落ちたら、そこまで勉強したのにってなるし。申し込むにも、お金かかるし。行くなら、こっちのお手伝いも休ませてもらわないとだし」


 言いながら、だんだん口が尖ってきた。


 ガルドは黙って聞いていた。


 エマは紙の端をそろえた。


「……あと、全然分かんない問題がある」


「さっき、にらんでたな」


「見てたの?」


「見えた」


 エマは答案を裏返しかけた。


 途中で、やめる。


 もう見られている。

 今さら隠した方が、余計に恥ずかしい。


「三問、続けて間違えたの」


「おう」


「そこで『受けりゃいい』って言われると、ちょっと腹立つ」


 ガルドが鼻の横をかいた。


「……なるほどな」


「分かった?」


「分かんねえ問題に腹立ってんのは分かった」


 エマはガルドを見た。


 ガルドも、エマを見ていた。


 悪気はなさそうだった。


 それが分かってしまって、エマは先に笑った。


「そうです。いま、かなり腹立ってます」


「俺に?」


「ちょっと」


「ちょっとかよ」


「だいぶ問題に」


 ガルドが笑う。


 待合の人が一人、こちらを見た。


 二人とも、少しだけ声を落とした。


「何しに行きてえんだ、その講習」


 エマは答案を表に戻した。


「ここで教えてもらってること以外にも、いろんな治療を覚えたいの。難しい怪我を診られるようになりたいし、今は師匠に任せきりのことも、自分でできるようになりたい」


 言いながら、ガルドの手を見る。


「今日だって、私は口の傷だけだったでしょう」


「治ったぞ」


「うん。それは、嬉しい」


 素直に言うと、少し照れくさかった。


「でも、手も治せるようになりたいんだよ」


 ガルドは膝の上の手を見た。


 さっきまで一つに見えていた治療に、別々の仕事があったことを、今になって知ったような顔だった。


「いつか、自分の治療院も持ちたいし」


「でっけえの?」


「大きさは、まだ分かんない」


「場所は?」


「それも、まだ」


「何か決まってねえのか」


「窓は広い方がいい」


 ガルドが瞬きをした。


 エマは続けた。


「日当たりがよくて、待ってる間、外が見えるの。あと、仕事着は自分で決めたい」


「服?」


「そう」


「場所より先に?」


「いいでしょ、別に」


 少し強く返す。


 ガルドは笑った。


「いいんじゃねえか」


「笑ってるじゃん」


「いや。そこは決まってんだなと思って」


 エマは頬を膨らませかけて、やめた。


 そうなのだ。

 決まっているところは、妙にはっきり決まっている。


 窓辺に置きたい鉢。

 看板の色。

 今より少しだけ、動きやすくてかわいい仕事着。


 そのくせ、そこへ行くための試験には、まだ申し込めていない。


 エマは紙の端を指で押さえた。


「治療の勉強も、ちゃんとするよ」


「してんだろ。今も」


 言われて、顔を上げた。


 ガルドは答案を見ていた。


 問題の意味なんて、一つも分からない顔で。


 エマは紙へ視線を戻す。


「……うん」


 さっき裏返そうとしたのが、少しだけ馬鹿らしくなった。


     *


 代金を受け取り、お釣りを返す。


 ガルドは包帯の巻かれた指で硬貨をつまもうとして、うまくいかなかった。


「あー、くそ」


「袋、開けておいてくれたら入れるよ」


「頼む」


 差し出された小さな革袋へ、エマが硬貨を落とす。


 最後に、治療の内容を書いた紙を渡した。


「師匠が言ったこと、覚えてる?」


「手を休ませろ」


「うん」


「痛むうちは殴るな」


「うん」


「飯は食っていい」


「それ、言ってないけど。食べていいよ」


 ガルドが満足そうにうなずいた。


 立ち上がり、扉へ向かう。


 途中で、ふと思い出したように振り返った。


「来月、鍛冶通りで祭りやるだろ」


「うん」


「俺ら、串焼き出すんだ。来いよ」


「ガルドが焼くの?」


「ポルが」


「さっきの、料理のうまい子?」


「おう。エルンって奴が、串を回す機械作っててよ。ラグが部品持ってきて、今日、でかくした」


 また名前が増えた。


 エマは受付に両手をつき、少し身を乗り出した。


「あなたは?」


「肉切る」


「これから習うんだっけ」


「切れるっつうの。大きさそろえろってうるせえだけで」


「それ、大事だと思うよ」


「味方しろよ」


「ちゃんと焼けたの食べたいもん」


 ガルドが笑った。


「じゃあ、ちゃんと焼いとく」


「私、その日お手伝いかもしれないから。休めたらね」


「おう」


 そこで帰るのかと思った。


 けれどガルドは、扉の前でもう一度足を止めた。


「エマ」


「ん?」


 呼んだ本人が、わずかに黙る。


 何かを言いかけたらしかった。


 エマが首をかしげると、ガルドは包帯の手を少し上げた。


「助かった。これ」


「口の方は私。手の方は師匠ね」


「分かってる」


「師匠にも伝えておく」


 エマが笑った。


 治療の終わりに向ける、丁寧な笑顔ではなかった。


 さっき、自分でうまく傷を治せたときと同じ顔だった。


 ガルドは、その顔をもう少し見ていたくなった。


 けれど、ほかに喋ることが思いつかない。


「……じゃあな」


「うん。手、お大事に」


 鈴が鳴った。


     *


 橋の上へ出ると、風が頬に当たった。


 ガルドは歩きながら、口を動かしてみた。


 切れていたところは、もう痛まない。


 代わりに、頬の奥がまだ少し痛んだ。

 手も。

 腹も。


 ラグの拳は、どこまでもしつこかった。


「……強かったな、あの野郎」


 一人で呟く。


 それから、橋の向こうを見た。


 明日は、バッシュに何を言われるだろう。

 また勝負をせがまれるだろうか。


 手は、しばらく使えない。


 そう言えば、あいつも待つだろう。

 文句は言うだろうが。


 ガルドは足を止めて、治療院を振り返った。


 窓の向こうで、エマが机に向かっていた。


 鉛筆を持っている。

 何かを書いて、止まる。


 また、あの問題をにらんでいるらしかった。


 ガルドは小さく笑った。


 祭りの日には、休みが取れるといい。


 そんなことを考えてから、自分で少し不思議になった。


 さっきまでは、早く治療を済ませて帰りたかった。


 今は、もう少し喋ってくればよかったと思っていた。


     *


 エマは、四問目を途中まで解いたところで手を止めた。


 やっぱり分からない。


「……悔しいなあ」


 紙の隅に、小さく印をつける。


 あとで師匠に聞こう。

 どこから分からなくなったのか、自分で説明できるようにしてから。


 扉の方へ目を向けた。


 変わった子だった。


 あんなに痛そうなのに、勝った話をすると嬉しそうで。

 自分が頭になった話の途中で、何人もの友達の話をする。


 料理を教わる顔は、少し見てみたい。


 エマは机へ向き直った。


 次の問題を、最初から読み直す。


 受付の片隅で、鉛筆の音がまた動き始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。