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第39話②、残された異変

 戦場となった森の入口には、まだ緊張が残っていた。

 折れた木々。

 踏み荒らされた地面。

 魔物の爪痕が深く刻まれた岩。

 そして、あちこちに残る戦闘の痕跡。

 騎士たちは負傷者の搬送を終えたあとも、周囲の警戒と調査を続けていた。

「こちらの区域に残っていた魔物は、すべて討伐を確認しました!」

「分かりました。周囲に取り残された個体がいないか、引き続き確認してください!」

 アルフォンスの指示が飛ぶ。

 白地に赤い線の入った第一騎士団の制服は、泥や血で汚れていた。

 それでも騎士たちは持ち場を離れず、黙々と作業を続けている。

 一方、少し離れた場所では、セドリックがリュミエール王国の騎士たちを指揮していた。

「ミレーヌ、東側の確認は?」

「終わりました。小型の魔物が数体倒れていましたが、周囲に新たな足跡はありません」

「分かった。念のため、もう一度だけ確認を頼む」

「了解です」

 ミレーヌは頷き、部下たちとともに森の東側へ向かった。

 その様子を見届けたヴィルヘルムは、腕を組んで森の奥を見つめていた。

「……静かすぎるな」

 呟きに、アルフォンスが振り向く。

「魔物の群れは、ほぼ鎮圧しました。周囲にも目立った動きはありません」

「それは分かってる。だが、あれだけの数が一斉に森から出てきたんだ。原因が分からないまま終わりってわけにはいかねえ」

「同感です」

 アルフォンスは、戦場の中央に視線を移した。

 そこには、最初に現れた巨大な魔物が横たわっていた。

 黒くねじれた角。

 岩のような装甲に覆われた身体。

 赤い瞳は閉じられ、巨体はぴくりとも動かない。

 戦闘の終盤、後から現れた魔物を恐れるような動きを見せていた個体だ。

 現在は、周囲に複数の騎士が配置され、再び動き出さないよう警戒が続けられている。

 さらに森の奥では、もう一体の巨大な魔物が、イリスの放った光によって拘束されていた。

 こちらも、まだ討伐されたわけではない。

 光の拘束がいつまで続くのかも分からず、騎士たちは慎重に監視を続けていた。

「……死んだんですかね」

 近くにいた騎士が、恐る恐る尋ねた。

「まだ断定するな」

 ヴィルヘルムは短く答えた。

「呼吸の有無だけで判断するな。魔力の反応も含めて調べろ。危険がないと確認できるまでは、誰も近づきすぎるなよ」

「はっ!」

 調査を担当する魔法師が、慎重に黒い角の魔物へ近づいた。

 杖の先に小さな光が灯る。

 通常なら、魔物の身体には何らかの魔力反応がある。

 強い個体ほど、その反応も明確になるはずだった。

 しかし――。

「……おかしいですね」

 魔法師が眉をひそめた。

「どうした?」

 アルフォンスが尋ねる。

「魔力の反応が、ほとんどありません」

「ほとんど?」

「はい。これほどの巨体です。通常なら、もっと明確な反応があってもおかしくないのですが……」

 魔法師は杖を持ち直し、もう一度調べた。

 光が魔物の身体をなぞる。

 角。

 首。

 胴体。

 前脚。

 どこを調べても、結果はほとんど変わらなかった。

「……生きている魔物なのか?」

 ヴィルヘルムが低く尋ねた。

「生体反応は確認できます。ただ、魔力については……私にも、説明がつきません」

 沈黙が落ちた。

 魔物の群れが現れた理由も。

 最初に現れたこの個体が、後から現れた魔物を恐れていた理由も。

 そして、これほどの巨体が、なぜ通常の魔物とは異なる反応を示すのかも。

 今のところ、何ひとつ分かっていない。

「身体の表面を調べろ。何か変わったところがないか確認するんだ」

「承知しました」

 魔法師が、今度は魔物の脚元に目を向けた。

 そこで、ふと手を止める。

「……これは?」

 地面に、黒い染みのようなものが広がっていた。

 血ではない。

 泥とも違う。

 岩の隙間に染み込むように広がったそれは、よく見ると、かすかに光を反射している。

「総長、こちらを」

 ヴィルヘルムとアルフォンスが近づいた。

「何だ、これは」

「分かりません。魔物の身体から流れ出たものかもしれませんが……」

 魔法師は杖の先を近づけた。

 淡い光が、黒い染みを照らす。

 その瞬間だった。

 黒い染みの一部が、音もなく崩れた。

「なっ……!」

 魔法師が反射的に杖を引く。

 黒い粒子は風に舞うこともなく、地面へ吸い込まれるように消えていった。

 残ったのは、わずかな変色だけだった。

「今のは……」

 アルフォンスが目を細める。

「見間違いではありません」

 魔法師は顔を青ざめさせていた。

「確かに、何かがありました。ですが、魔力の反応は……」

 杖の先を再び向ける。

 何も反応しない。

 まるで、最初から何もなかったかのようだった。

 ヴィルヘルムはしばらく地面を見つめていたが、やがて口を開いた。

「記録を残せ。場所も、状態も、全部だ。採取できるものがあれば、慎重に採取しろ」

「はっ!」

「それから、この件は俺の許可なく外部へ報告するな。隠蔽しろと言ってるわけじゃねえ。確かなことと、分からないことを分けて扱え。憶測だけが先に広がるのは避けたい」

「承知しました」

 ヴィルヘルムは森の奥へ視線を戻した。

 木々の間には、まだ濃い影が残っている。

 何かがそこに潜んでいるような気がした。

 だが、どれほど目を凝らしても、何も見えなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー



「……というわけで、調査は継続中です」

 数十分後。

 騎士団本部として使われている建物の一室で、アルフォンスは報告を終えた。

 集まっていたのは、ヴィルヘルム、アルフォンス、セドリックの三人だった。

「黒い角の魔物には生体反応がある。しかし、魔力の反応が極端に薄い。さらに、正体不明の黒い物質が確認されたものの、採取する前に消失した……ということですね」

 セドリックが報告書に目を落とした。

「そうだ。現時点では、どれも断定できねえ」

「これまでの記録と照合する必要がありそうです。リュミエール側でも、過去の魔物の出現記録を確認します」

「頼む。こちらも調べる」

 アルフォンスは別の書類を机に置いた。

「もうひとつ、気になることがあります」

「何だ?」

「魔物の群れが出現した際、森の奥から逃げてきた個体が多かったことです。最初の巨大な魔物が現れる前から、動物たちの様子がおかしかったという証言もあります」

「つまり、あの個体が群れを追い立てていた可能性がある、と?」

「はい。ただし、あの個体自身も、後から現れた魔物を警戒しているように見えました。現場での動きだけを見るなら、単純にほかの魔物を率いていたとは考えにくいでしょう」

 セドリックは難しい顔をした。

「魔物同士の縄張り争いという可能性は?」

「否定はできません。しかし、あれほど多くの種類が同じ方向から逃げてくるのは不自然です」

 ヴィルヘルムは椅子の背にもたれ、目を閉じた。

「……森の奥に何かがある。そう考えるのが自然だろうな」

「調査隊を編成しますか?」

 アルフォンスの問いに、ヴィルヘルムはすぐには答えなかった。

 負傷者はまだ多い。

 騎士たちの疲労も深刻だ。

 そして、原因が分からない以上、森の奥へ進むことは危険を伴う。

「今すぐ大規模な調査隊を送るのはやめておく。まずは周辺の安全を確保し、負傷者の治療を優先する。そのうえで、少人数の調査隊を組む」

「承知しました」

「それまでは、森への立ち入りを制限しろ。住民にも不用意に近づかないよう通達しておけ」

 セドリックが頷いた。

「こちらでも警戒を強めます」

 話が一区切りついたところで、扉が控えめに叩かれた。

「失礼します」

 入ってきたのは、伝令の騎士だった。

「総長、団長。イリス殿が今朝、再び目を覚まされたとのことです」

「そうか」

 アルフォンスの表情がわずかに和らいだ。

「容体は?」

「意識ははっきりしており、会話も可能とのことです。ただ、まだ安静が必要だと治療師から指示が出ております」

「分かりました。引き続き無理をさせないように」

「はっ!」

 伝令が退室すると、ヴィルヘルムは小さく息を吐いた。

「……あいつも、無事でよかった」

「はい」

 アルフォンスは静かに頷いた。

 あの光がなければ、戦況はどうなっていたか分からない。

 それは紛れもない事実だった。

 しかし、彼らはイリスにすべてを尋ねるつもりはなかった。

 彼女が自ら話すと決めたことだけを、受け止める。

 それが、今の彼らにできることだった。


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