第39話①、残された異変
翌朝。
私が再び目を覚ましたとき、最初に聞こえたのは、窓の外を吹き抜ける風の音だった。
「……ん」
ゆっくりと目を開ける。
見慣れない天井。
消毒用の薬草の匂い。
身体を包み込む柔らかな寝具。
ここがどこなのかを思い出すまで、少し時間がかかった。
「……あ、そっか」
救護所だ。
昨日、魔物との戦いが終わってから、私はここに運ばれてきたんだった。
魔物の大群。
崩れていく陣形。
傷ついた騎士たち。
そして――自分の手から溢れ出した、白い光。
昨日の出来事が、少しずつ頭の中に蘇ってくる。
ティアと再会したことも。
ノアと話したことも。
全部、夢じゃなかった。
「……よかった」
小さく呟いてから、私はふと気がついた。
そういえば、魔物たちはどうなったんだろう。
昨日は、みんなが無事だったことを聞いて安心してしまったけれど、森の様子までは詳しく聞いていない。
気になった私は、勢いよく起き上がろうとした。
「っ……!」
全身に鈍い痛みが走る。
「い、いたた……」
「起き上がるのは、もう少し待ってください」
すぐそばから声がした。
驚いて振り向くと、椅子に座ったアルフォンス団長がこちらを見ていた。
いつもと変わらない落ち着いた表情。
けれど、机の上には何枚もの報告書が積まれ、団長の目の下には薄く疲労の色が浮かんでいた。
「団長……!」
「おはようございます、イリスさん。気分はいかがですか」
「だ、大丈夫です! それより、みんなは……魔物はどうなりましたか?」
「順番に説明します。まず、あなたの身体についてですが、魔力の消耗が激しく、いくつか打撲もあります。左腕の傷も、まだ治りきっていません。幸い、命に関わるような状態ではありませんが、しばらく安静が必要です」
「……はい」
私は、包帯の巻かれた左腕に目を落とした。
少し動かしただけでも、じんじんと痛む。
昨日よりは楽になった気がするけれど、まだ自由に動かせそうにはなかった。
「それで、みんなは?」
団長は、少しだけ表情を和らげた。
「負傷者は出ました。現在も治療が続いています。避難した住民にも大きな被害はありませんでした」
「……本当ですか?」
「はい。総長も、リュミエール王国の騎士たちも、懸命に動いてくださいました」
「そっか……よかった……」
ほっとした瞬間、身体から力が抜けた。
私は枕に頭を預け、目を閉じた。
よかった。
本当によかった。
あのとき、自分がもっと早く動けていたら。
もっと上手に力を使えていたら。
そんな考えが、頭の隅に浮かんでくる。
けれど、今はそれを口にしなかった。
自分ひとりで戦ったわけではない。
みんながいたから、守れたものがあった。
ノアが。
団長が。
総長が。
そして、たくさんの騎士たちが。
だからこそ――。
「……もっと、強くならなきゃ」
「イリスさん」
団長の声に、私は目を開けた。
「反省することと、自分を責めることは違います」
「……!」
「あなたが何を考えているのか、すべてを理解しているわけではありません。ですが、今のあなたに必要なのは、まず身体を休めることです」
いつもと同じ、静かな口調だった。
それなのに、どうしてだろう。
まるで、心の中を見透かされているような気がした。
「……はい」
「それから」
団長は、机の上に置いていた水差しを手に取った。
「あなたが目を覚ましたと報告すれば、すぐに駆け込んでくる者が何人かいるでしょう。できれば、ひとりずつにしていただきたいものです」
「え?」
「特に、ノアさんあたりは」
「……ふふっ」
思わず笑ってしまった。
団長も、ごくわずかに口元を緩める。
「笑えるなら、ひとまず安心ですね」
「団長、私、そんなに心配かけましたか?」
「ええ。大変に」
「うぅ……」
「ですから、今度こそ無理をしないように」
「……はい」
私は素直に頷いた。
その返事を聞いてから、団長は立ち上がった。
「少し外の様子を確認してきます。何かあれば、近くの者に伝えてください」
「分かりました」
扉が閉まる。
静かになった部屋で、私はそっと胸元のペンダントに触れた。
「……みんな?」
声を潜めて呼びかける。
いつもなら、すぐに小さな光が集まってくる。
けれど、今日は違った。
窓辺に淡い光がひとつ現れ、しばらく揺れたあと、消え入りそうな声を落とした。
『イリス……』
「うん。どうしたの?」
『もりが……』
光が小さく震える。
『まだ、こわいの』
私は、思わず眉をひそめた。
「……まだ、何かいるの?」
返事はすぐにはなかった。
窓の外で、風が木々を揺らしている。
やがて、光は頼りなく瞬いた。
『わからない……でも、いやなかんじがする』
「そっか……」
私は、ペンダントを握りしめた。
魔物の襲撃は、ひとまず収まった。
けれど、森にいる精霊たちは、まだ怯えている。
それなら、自分にできることは――。
ひとりで森へ向かうことではない。
それは、もう約束した。
「教えてくれてありがとう。私、総長と団長に話してみるね」
『ひとりで、いかない?』
「うん。約束する」
そう答えると、光はほんの少しだけ明るくなった。
『……やくそく』
「うん。約束」
私は、もう一度頷いた。
精霊は安心したように小さく揺れ、やがて窓の外へと消えていった。
「……ちゃんと、伝えなきゃ」
そう呟いたものの、身体はまだ思うように動かなかった。
少し話しただけなのに、まぶたが重くなってくる。
やっぱり、まだ疲れているみたい。
私は枕に頭を戻した。
総長と団長には、あとで必ず話そう。
そう心に決めて、もう一度目を閉じた。
ほどなくして、私は静かな眠りに落ちていった。




