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第38話②、それでも、あなたに会いたかった

「……それにしても」


少し時間が経ち、ようやく落ち着きを取り戻したセレスティアが、ふと口を開いた。


「どうして、イリスと名乗っていたの?」


イリスの身体が、ぴくりと固まった。


「……えっと」


「それに、髪と瞳の色も……」


セレスティアは、言いかけて口を閉じた。


先ほど、ヴィルヘルムから聞いた話を思い出したのだ。


イリスが使った力は、通常の魔法とは異なるものだったという。


その秘密を、無理に聞き出すべきではない。


「……ごめんなさい。今は、答えたくないこともあるわよね」


「ティア……」


「話せるときに、話してくれればいいわ」


セレスティアは微笑んだ。


ぎこちない笑顔だった。


それでも、そこには以前のような冷たさはなかった。


「ただ、一つだけ聞かせて」


「うん?」


「あなたは……今、幸せ?」


イリスは目を見開いた。


思いがけない質問だった。


幸せか。


すぐには答えられなかった。


失ったものは、戻らない。


過去の記憶が消えたわけでもない。


夜になれば、今でも怖い夢を見ることがある。


それでも。


「……うん」


イリスは、ゆっくりと頷いた。


「まだ、悲しいこともあるけど……今は、守りたい人がいるから」


ノアの顔が浮かんだ。


ミレーヌの優しい言葉。


エドガーの温かな笑顔。


アルフォンスの、いつも変わらない落ち着いた声。


そして、ヴィルヘルムの不器用な優しさ。


「だから、これからもっと幸せになりたい」


その言葉を聞いて、セレスティアは目を伏せた。


「……そう」


寂しさがなかったわけではない。


自分の知らない時間を、リリアは歩いてきたのだ。


その間に、彼女を支えてくれる人たちと出会った。


自分がいなくても。


彼女は、前へ進んでいた。


少しだけ寂しい。


けれど、それ以上に嬉しかった。


「……よかった」


セレスティアは、心からそう言った。


「あなたが、生きていてくれて。本当によかった」


今度こそ、その言葉に嘘はなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


その頃、救護所の外では、ヴィルヘルムとアルフォンスが話をしていた。


「……姫様は、イリスと以前から面識があったようですね」


アルフォンスの言葉に、ヴィルヘルムは腕を組んだ。


「そうらしいな」


「しかし、彼女が使った力については、まだ何もわかっていません」


「ああ」


ヴィルヘルムは、森の方角へ視線を向けた。


あの光。


魔法陣も詠唱もなく、巨大な魔物の動きを止めた力。


あれが何なのか、気にならないはずがなかった。


だが、今はそれよりも優先すべきことがある。


「まずは負傷者の搬送だ。魔物の監視も続けろ。あれが本当に動けなくなったのか、確認が必要だ」


「承知しました」


「それと、イリスの力については、必要以上に話を広めるな。本人が隠してきた事情がある」


アルフォンスは頷いた。


「彼女との約束ですね」


「それだけじゃねえ」


ヴィルヘルムは、少しだけ目を細めた。


「あの歳の子供が、あそこまで必死に秘密を守ってきたんだ。


何も知らねえ俺たちが、勝手に暴き立てていい理由はねえだろ」


アルフォンスは、静かに目を伏せた。


イリスは、まだ十二歳だ。


騎士としては幼すぎるほど幼い。


それなのに、あの戦場で見せた覚悟は、決して年齢相応のものではなかった。


「……彼女には、戦い以外の時間も必要ですね」


「ああ。だからこそ、今は休ませてやれ」


二人はそれ以上、言葉を交わさなかった。


守るべきものは、戦場の人々だけではない。


彼らは今、改めてそれを実感していた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


しばらくして、救護所の入口からノアが顔を出した。


「……入ってもいい?」


イリスが振り返る。


「ノア!」


「よかった。起きてたんだね」


ノアはほっとしたように笑った。


それから、セレスティアの姿に気づき、少しだけ姿勢を正す。


「セレスティア姫殿下。お邪魔してしまいましたか?」


「いいえ。ちょうど話が終わったところよ」


セレスティアは、そっとイリスの手を離した。


「私は、そろそろ戻るわ。あなたも、まだ休まなければいけないでしょう?」


「……うん」


イリスは少し寂しそうに頷いた。


もう少し、話していたかった。


けれど、今は身体が重く、長く起きていることも難しい。


「また、来てもいいかしら?」


「もちろん!」


イリスは、今度こそ自然に笑った。


「待ってるね、ティア」


セレスティアは一瞬、目を見開いた。


それから、ゆっくりと微笑んだ。


「ええ。また来るわ、リリア」


彼女は救護所を後にした。


その背中を見送ってから、ノアが小さく息を吐く。


「……仲直り、できた?」


イリスは少し考えた。


「ううん。まだ、これからだと思う」


「そっか」


「でもね、またお話しできることになったの」


ノアは、嬉しそうに頷いた。


「それなら、よかった」


イリスは、寝台の上で少しだけ身体を起こした。


「ねえ、ノア」


「何?」


「私、ちゃんと戻ってこられたよ」


ノアは一瞬、きょとんとした。


それから、何のことを言っているのか理解したように、表情を和らげた。


「……うん。約束、守ってくれたね」


「えへへ。約束したからね」


「でも、次はもう少し自分のことも考えてほしいかな」


「……はい」


イリスは、素直に頷いた。


その返事に、ノアは小さく笑った。


「よし。じゃあ、今は休もう」


「うん!」


イリスは枕に頭を戻した。


窓の外から、穏やかな風が吹き込んでくる。


その風に、小さな光が一つ、混じっていた。


精霊だろうか。


イリスは目を細め、そっと微笑んだ。


「……ありがとう」


小さく呟く。


今日、すべてが元通りになったわけではない。


失ったものが戻ってきたわけでもない。


それでも。


新しく繋がったものがある。


もう一度、話をする約束。


秘密を守ってくれる仲間たち。


そして、自分がこれから守っていきたい日々。


イリスは、ゆっくりと目を閉じた。


今夜は、少しだけ。


穏やかな夢が見られるような気がした。


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