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第37話④、もう一度、あなたに

「……ティア?」


声が震えた。


セレスティアの身体が、びくりと揺れた。


私は、自分が何を口にしたのか、すぐには理解できなかった。


ずっと、胸の奥にしまい込んでいた名前。


もう呼べないと思っていた名前。


それなのに。


目の前に、彼女がいる。


「……ティア」


今度は、はっきりと呼んだ。


セレスティアの唇が震えた。


「……リリア?」


その声を聞いた瞬間。


私の瞳から、涙がこぼれた。


間違いない。


忘れたことなど、一度もなかった。


どれほど時間が経っても。


どれほど姿が変わっても。


どれほど傷つけられても。


私は、この声を覚えていた。


「……生きて、たんだ」


言葉が、うまく出てこない。


「ティア……本当に……」


胸がいっぱいだった。


ずっと、死んでしまったと思っていた。


もう二度と会えないと思っていた。


なのに。


目の前にいる。


ちゃんと、生きている。


「……リリア」


セレスティアの頬に、涙が伝った。


「本当に……生きていたのね……」


彼女は一歩、前へ進もうとした。


けれど、途中で足が止まった。


触れていいのだろうか。


今さら、近づいていいのだろうか。


そんな迷いが、その表情に浮かんでいた。


「……ごめんなさい」


セレスティアは、顔を伏せた。


「私……あなたに、ひどいことを……」


私は、何も言えなかった。


ただ、涙を流しながら、彼女を見つめていた。


嬉しい。


会えて、嬉しい。


ずっと、会いたかった。


でも。


傷つかなかったわけではない。


あの言葉が。


あの食事の席で起きたことが。


何でもなかったことになるわけではない。


怖かった。


どうして、あんなに冷たくされたのかわからなくて。


どうして、自分のことを見てくれないのかわからなくて。


ずっと、苦しかった。


それでも。


目の前で泣いている彼女を見ていると。


あの日々のことを、思い出してしまう。


暗い部屋で、二人で小さく笑ったこと。


怖い夜に、励まし合ったこと。


いつか外へ出られたら、何をしたいか話したこと。


あの頃のティアは、いつも私の隣にいてくれた。


だから。


私は、ゆっくりと右手を伸ばした。


「……ティア」


セレスティアが顔を上げる。


「私も……会いたかった」


その一言で、彼女の表情が崩れた。


「……っ」


声にならない嗚咽が漏れる。


「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!」


セレスティアは、その場に膝をついた。


泣きながら、何度も謝った。


私は、伸ばした手を下ろせなかった。


どうすればいいのか、わからなかった。


許したい。


でも、まだ少し怖い。


会えて嬉しい。


でも、傷ついた気持ちも残っている。


そんな自分が、嫌だった。


昔みたいに、何も考えずに笑えたらいいのに。


そう思った。


けれど。


「……ティア」


私は、もう一度名前を呼んだ。


「今は……まだ、うまく言えないけど」


声が震える。


「でも……会えて、嬉しいよ」


セレスティアは、涙に濡れた顔を上げた。


「……リリア」


「……うん」


私は、小さく頷いた。


「本当に……嬉しい」


その言葉だけは、嘘ではなかった。


◇◇◇


ヴィルヘルムとアルフォンスは、少し離れた場所から二人を見守っていた。


ノアも、何も言わずに視線を落としている。


先ほど、セレスティアが口にした名前。


リリア。


それが、イリスの本当の名前なのだろうか。


アルフォンスは、少女が以前に打ち明けた言葉を思い出していた。


髪と瞳の色は、本当のものではない。


魔法で変えているのだ、と。


そして、今。


目の前の王女は、彼女を別の名前で呼んでいる。


何か、深い事情があるのだろう。


だが。


アルフォンスは、何も尋ねなかった。


ヴィルヘルムも同じだった。


今、二人に必要なのは、問い詰めることではない。


失われた時間を、少しずつ取り戻すことだ。


長い時間が、二人の間に横たわっている。


言えなかった言葉も。


傷ついた心も。


すぐに元通りになるわけではない。


それでも。


再び出会えたという事実だけは、確かだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……ティア」


私は、涙を拭いながら彼女を見つめた。


「……なに?」


「また……お話ししてくれる?」


セレスティアの瞳が、大きく揺れた。


私は、少しだけ笑った。


「昔みたいに、とは……まだ言えないけど」


胸の奥が、きゅっと痛む。


それでも、続けた。


「でも、今度は……ちゃんと話したい」


セレスティアは、何度も頷いた。


「……ええ」


涙に濡れた声だった。


「私も……あなたと、ちゃんと話したい」


私は、そっと息を吐いた。


それだけで、少しだけ胸が軽くなった気がした。


失った時間は、戻らない。


傷ついたことも、なかったことにはできない。


でも。


これから、もう一度。


少しずつ、話していくことはできるかもしれない。


「……よかった」


私は、小さく呟いた。


それから、ふと昔のことを思い出した。


暗い部屋。


小さな窓。


その向こうに見えた、ほんの少しの青空。


あの頃、私は何度も言っていた。


いつか、外で一緒に笑おうね、と。


その約束を、もう一度思い出してもいいのだろうか。


「……ティア」


「……ええ」


私は、涙に濡れた顔で微笑んだ。


「……おかえり」


セレスティアの瞳から、また涙がこぼれた。


「……ただいま、リリア」


その声は、昔と同じように優しかった。


私は、そっと目を閉じた。


もう二度と会えないと思っていた人が。


今、目の前にいる。


それだけで、胸がいっぱいだった。


窓の外では、森を抜ける風が、静かに吹いていた。


遠くの戦場には、まだ警戒を続ける騎士たちがいる。


拘束された魔物も、完全に消えたわけではない。


何もかもが、終わったわけではなかった。


それでも。


今、この瞬間だけは。


もう一度出会えたことを、喜んでいたかった。


ずっと、会いたかった。


もう一度。


あなたに。


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