第37話②、もう一度、あなたに
その頃。
リュミエール王国の王宮では、セレスティアが部屋を飛び出していた。
「姫様、お待ちください!」
侍女の声が背後から聞こえる。
けれど、足を止めることはできなかった。
森の方角に見えた、あの光。
胸の奥に蘇った、懐かしい声。
そして、思わず口にしてしまった名前。
――リリア。
間違いかもしれない。
人違いかもしれない。
それでも、確かめずにはいられなかった。
「騎士団の方々は、まだ森に?」
「は、はい。先ほど、大規模な魔物の襲撃があったと報告が……」
「負傷者は?」
「多数いると聞いております。現在、救護と周辺の警戒を進めているようですが……」
「……そう」
セレスティアの表情が強張った。
負傷者がいる。
あの光が、戦場から立ち上っていた。
もしも。
もしも、あの少女がそこにいたのなら。
「馬車を用意してちょうだい」
「姫様!?」
「護衛もお願い。現場へ向かいたいの」
「ですが、森はまだ危険です! 陛下のご許可も――」
「わかっています」
セレスティアは振り返った。
その顔には、いつもの冷静さが戻っていた。
けれど、握りしめた手は震えている。
「だから、護衛をつけてほしいの。危険な場所へ、勝手に飛び込むつもりはありません」
「……姫様」
「お願い。確認したいことがあるの」
侍女は困ったように眉を寄せた。
それでも、セレスティアの表情を見て、すぐに近くの騎士へ連絡を取りに走った。
セレスティアは、廊下の窓から森の方角を見つめた。
もう二度と、後悔したくなかった。
あの日。
大切な人を失ったと思った日から、ずっと。
自分は、何もかもを諦めてきた。
誰かを信じることも。
誰かを大切にすることも。
また失うくらいなら、最初から近づかなければいい。
そう思っていた。
けれど、もしも。
もしも、あの子が生きているのなら。
自分は、今度こそ。
「……会いたい」
小さな声が、こぼれた。
誰にも聞かれたくない本音だった。
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セレスティアが現場近くに到着した頃には、負傷者の搬送が進み、森の外縁には臨時の救護所が設けられていた。
戦場の中心部へ続く道は、騎士たちによって封鎖されている。
遠くには、淡い光に包まれた巨大な魔物の姿が見えた。
その周囲では、騎士たちが警戒を続けていた。
「姫様!」
リュミエール王国の騎士が、驚いたように駆け寄ってくる。
「なぜこちらへ……!」
「状況を教えてちょうだい」
セレスティアは、落ち着いた声で尋ねた。
「大規模な魔物の襲撃がありましたが、現在は一体の巨大個体が拘束されています。ただし、ほかにも危険な魔物が残っているため、周辺の警戒を継続しています」
「……そう」
「負傷者の救護は進んでおります。ですが、まだ安全が確認されたわけではありません」
「わかったわ。指示には従います」
セレスティアは頷いた。
けれど、その視線は何度も周囲をさまよっていた。
探しているのは、一人の少女。
白い髪。
琥珀色の瞳。
まだ幼い、あの騎士。
「……イリスは?」
口にした名前が、自分でも驚くほど震えていた。
騎士は一瞬、ためらった。
「アルセリア王国の、イリス殿でしょうか」
「ええ」
「先ほど、戦場で大きな力を使われたようです。現在は意識を失い、救護所で治療を受けています」
セレスティアの心臓が跳ねた。
「……意識を?」
「はい。ただ、命に関わる状態ではないと聞いております」
「どこにいるの?」
「こちらの救護所です。ですが、現在は安静が必要で――」
「……案内してちょうだい」
セレスティアは、騎士の言葉を遮らないように、静かに頼んだ。
今すぐ駆け出したかった。
けれど、負傷者の治療を妨げるわけにはいかない。
それに。
もし、本当にあの子だったとしても。
今の自分が、いきなり会いに行っていいのか。
その答えは、まだ見つかっていなかった。
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簡易の救護所には、負傷した騎士たちが並んでいた。
治療師たちが慌ただしく行き交い、薬品の匂いと人々の声が入り交じっている。
その一角。
衝立で区切られた場所に、小さな少女が横たわっていた。
白い髪。
閉じられた琥珀色の瞳。
青白い顔。
左腕には包帯が巻かれ、鎧はすでに外されていた。
その姿を見た瞬間、セレスティアの足が止まった。
「……あ」
声が出なかった。
目の前にいるのは、見知らぬ騎士のはずだった。
けれど。
あの光を見た。
幼い頃、何度も目にした、不思議な輝き。
そして、何より。
眠っている少女の顔には、記憶の中の面影が残っていた。
髪の色も違う。
瞳の色も違う。
それでも。
「……リリア?」
震える唇から、その名前がこぼれた。
返事はなかった。
少女は、静かに眠っている。
セレスティアは、そっと一歩を踏み出した。
けれど、そのとき。
「姫様」
背後から、落ち着いた声が響いた。
振り返ると、ヴィルヘルムが立っていた。
黒い髪。
片目を覆う眼帯。
戦場を指揮していた総長は、疲労の色を浮かべながらも、セレスティアをまっすぐに見つめていた。
「この子に、何か?」
セレスティアは、答えられなかった。
ただ、寝台の上の少女を見つめる。
ヴィルヘルムは、その様子を注意深く観察した。
先ほど、確かに別の名前が聞こえた。
リリア。
イリスが、自分たちに明かしていない名前。
それを、この王女は知っているのだろうか。
「……以前から、ご存じなのですか」
その問いに、セレスティアの肩が揺れた。
「私は……」
言葉が続かない。
知っている。
知っているはずなのに。
もしも、本当にリリアだったら。
どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。
どうして、あんなにも冷たくしてしまったのだろう。
歓迎の席で、彼女を突き放した。
食事の席では、彼女をひどく傷つけてしまった。
訓練場でも、何も知らないふりをした。
あの子が、どれほど苦しんでいたのかも知らずに。
「……私、あの子に……」
セレスティアの目に、涙が滲んだ。
けれど、すぐに顔を背けた。
「……まだ、わかりません」
その声は、ひどく弱かった。
「ただ、確かめたいことがあるんです」
ヴィルヘルムは、しばらく彼女を見つめていた。
問い詰めることもできた。
しかし、少女の顔を見つめるセレスティアの表情には、単なる好奇心とは違うものがあった。
深い後悔。
そして、長い間、胸の奥に閉じ込めてきた悲しみ。
「……この子が目を覚ましたら、本人の意思を確認しましょう」
ヴィルヘルムは、静かに告げた。
「今は、休ませてやってください」
「……はい」
セレスティアは、小さく頷いた。
それから、もう一度だけ寝台の上の少女を見つめた。
――お願い。
もしも、本当にあなたなら。
今度こそ、ちゃんと話がしたい。
そう願いながら。




