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第36話③、白き光に宿るもの

 目の前では、森の奥から現れた魔物が、なおも暴れていた。


 光の拘束が、少しずつ軋み始める。


 このままでは、長くは持たない。


「……っ」


 私は息を詰めた。


 力が足りない。


 まだ、足りない。


 もっと深く。


 もっと強く。


 精霊たちの声を聞かなければ。


 彼らの力を、ただ借りるのではなく。


 心を通わせて。


 一緒に、戦う。


「みんな……!」


 私は右手を伸ばした。


「私と一緒に、戦って!」


 次の瞬間。


 無数の光が、私の周囲へ集まった。


 それは、これまでにないほど眩しい輝きだった。


 風が渦を巻き、大地が淡く光る。


 森の木々から、小さな光が次々と飛び立っていく。


 まるで、森そのものが応えているかのように。


『イリス!』


『いっしょに!』


『みんなを、まもろう!』


「……うん!」


 私は頷いた。


 怖くないわけじゃない。


 身体だって、もう限界に近い。


 それでも。


 今は、もう一人で頑張らなくていい。


 精霊たちがいる。


 ノアがいる。


 アルフォンスがいる。


 ヴィルヘルムがいる。


 私を信じて、守ってくれる仲間たちがいる。


「……大丈夫」


 自分に言い聞かせるように、呟く。


「私は、一人じゃないから」


 その瞬間、視界が淡い水色に染まった。


 瞳の奥に、魔力が満ちていくのを感じる。


 私の足元から、巨大な光の波紋が広がっていった。


 戦場を包み込むほどの、温かな輝き。


 それは、破壊するための光ではなかった。


 傷ついた人々を守り、暴れる魔物たちを鎮め、そして森の奥から現れた脅威を封じ込めるための光だった。


 魔物の巨体を包む光の糸が、幾重にも重なっていく。


 前脚が止まる。


 後脚が地面に縫い留められる。


 振り上げられた頭部さえ、少しずつ動きを失っていった。


 それでも、魔物の視線は、私を捉え続けていた。


 その視線に、胸の奥がざわつく。


 ――どうして。


 どうして、そんな目で私を見るの。


 答えは、わからなかった。


 今は、考えている余裕もない。


 私は、最後の力を込めて手を伸ばした。


「――お願い。みんなを、守って」


 光が、弾けた。


 眩しい白が、戦場を覆い尽くす。


 その中心で、森の奥から現れた魔物の動きが、完全に止まった。


 倒したわけではない。


 消し去ったわけでもない。


 ただ、無数の精霊たちが紡いだ光によって、その巨体は確かに拘束されていた。


 私は、ゆっくりと息を吐いた。


「……よかった」


 小さく呟く。


 止められた。


 みんなの力で。


 ちゃんと、止めることができた。


 そう思った瞬間。


 膝から、力が抜けた。


「……あれ?」


 身体が、ぐらりと傾く。


 視界の端で、光が揺れた。


『イリス!?』


『だいじょうぶ!?』


 精霊たちの声が聞こえる。


 大丈夫。


 そう答えたかった。


 でも、声がうまく出なかった。


 身体が、重い。


 左腕だけではない。


 指先も、足も、まるで自分のものではないみたいだった。


 それでも。


 私は、笑おうとした。


 だって。


 みんなを、守れたのだから。


「……えへへ」


 小さく笑ったつもりだった。


 けれど、その直後。


 視界が、ふっと暗くなった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「イリスさん!」


 アルフォンスが駆け出した。


 光の中心で、小さな身体が崩れ落ちる。


 その姿を見た瞬間、彼は迷わず地面を蹴っていた。


「イリス!」


 ノアの叫び声も重なる。


 アルフォンスは倒れかけた少女の身体を受け止めた。


 軽い。


 あまりにも、軽かった。


 あれほどの力を使い、巨大な魔物を拘束した少女が。


 今は、腕の中で力なく目を閉じている。


「イリスさん、聞こえますか」


 呼びかける。


 返事はない。


 アルフォンスの表情が強張った。


 だが、すぐに少女の呼吸を確かめる。


 呼吸はある。


 意識を失っているだけのようだった。


 それでも、安心するには早い。


「衛生班! こちらへ!」


 アルフォンスが声を張り上げた。


「負傷者です! 至急、確認をお願いします!」


 近くにいた騎士が、すぐに走り出す。


 ノアも駆け寄ってきた。


「団長! イリスは……!」


「呼吸はあります。ただ、意識が戻りません」


「……そんな」


 ノアの顔が青ざめる。


 つい先ほどまで、あんなに強く立っていたのに。


 自分たちを守ろうと、必死に戦っていたのに。


 今は、目を開けてくれない。


「……イリス」


 ノアは小さく呟いた。


 約束したじゃないか。


 ちゃんと戻ってくるって。


 そう言いたかった。


 けれど、言葉にはならなかった。


 そのとき。


「アルフォンス!」


 ヴィルヘルムが駆け寄ってきた。


「イリスはどうした!」


「意識を失っています。呼吸はありますが、負傷もしています」


「……ちっ」


 ヴィルヘルムは短く舌打ちした。


 だが、少女を責める言葉は口にしなかった。


 代わりに、森の方へ視線を向ける。


 そこでは、無数の光に包まれた巨大な魔物が、動きを止めていた。


 先ほどまで戦場を圧倒していた存在が。


 今は、まるで見えない鎖に繋がれているかのように、身動き一つ取れずにいる。


 そして、少し離れた場所では、黒い角の魔物が森の方へと後退し始めていた。


 周囲の魔物たちも、先ほどまでの勢いを失っている。


 だが、戦いが完全に終わったわけではない。


 拘束がいつまで続くのか。


 黒い角の魔物が再び襲いかかってこない保証もない。


「……アルフォンス」


「はい」


「イリスを後方へ運べ。衛生班に診せろ」


「承知しました」


「ノア、お前も一緒に行け」


「……はい!」


 ヴィルヘルムは黒い剣を握り直した。


「残りは俺たちで何とかする」


 アルフォンスは一瞬、何かを言いかけた。


 だが、ヴィルヘルムの表情を見て、静かに頷いた。


「……お願いします」


「ああ」


 ヴィルヘルムは、拘束された魔物を見据えた。


 あの少女は、自分たちを信じて力を使った。


 ならば。


 今度は、自分たちが応える番だった。


「全隊に告ぐ!」


 総長の声が、戦場に響き渡る。


「巨大個体への不用意な接近を禁じる! 負傷者の搬送を最優先! 残存する魔物を警戒しながら、陣形を立て直せ!」


「了解!」


 騎士たちが、一斉に動き出した。


 その日。


 リュミエール王国の森で、誰も見たことのない魔法が発動した。


 白い髪の小さな騎士が放った、未知の光。


 それは、森の奥から現れた脅威を拘束し、崩壊寸前だった戦場に、わずかな希望をもたらした。


 けれど、その光を見た者たちは、まだ知らない。


 それが、失われたはずの古代魔法であることを。


 そして、その力を使った少女が、どれほど多くの秘密を抱えているのかを。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 遠く離れた王宮で、セレスティアは窓の外を見つめ続けていた。


 森の上空に広がっていた光が、少しずつ弱まっていく。


 その光を見ていると、どうしても思い出してしまう。


 幼い頃。


 いつも隣にいた、あの少女のことを。


 優しく笑っていた顔。


 自分を「ティア」と呼ぶ声。


 そして、ずっと忘れようとしていた名前。


「……リリア」


 気づけば、その名が唇からこぼれていた。


 セレスティアは、はっと息を呑んだ。


 なぜ、今。


 あの名前を口にしてしまったのだろう。


 森で輝いていた光。


 あの少女が見せてくれた、不思議な魔法。


 そして、白い髪の小さな騎士。


 まだ、何も確かめられていない。


 それなのに。


 胸の奥で、消えたはずの希望が、かすかに灯り始めていた。


「……お願い」


 セレスティアはペンダントを握りしめる。


「もし、本当にあなたなら……」


 その先の言葉は、声にならなかった。


 ただ、一筋の涙が頬を伝った。



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