第36話②、白き光に宿るもの
「……っ」
息が詰まった。
見られている。
あの魔物が、私を見ている。
周囲には、まだ大勢の騎士たちがいる。
ヴィルヘルムも、アルフォンスも、魔物を警戒している。
それなのに。
あの魔物は、まるで他の誰も目に入っていないかのように、私だけを見つめていた。
胸の奥が、ざわつく。
嫌な感覚だった。
初めて見るはずなのに。
知らない魔物のはずなのに。
どこかで、似たような気配を感じたことがある。
冷たい空気。
閉ざされた扉。
暗い部屋。
何かを観察するような、感情の読めない視線。
「……違う」
私は小さく首を振った。
ここは、あの場所じゃない。
目の前にいるのは、研究者たちじゃない。
今は、思い出している場合ではない。
『イリス!』
『きをつけて!』
『あれ、こわい!』
精霊たちの声が、次々と響く。
「……うん。わかってる」
私は小さく答えた。
すると、森の奥から現れた魔物が、ゆっくりと身体を沈めた。
次の瞬間。
――グオオオオオオオオッ!!
凄まじい咆哮が響いた。
空気が震える。
地面が揺れる。
周囲の木々が大きくしなり、枝葉が舞い落ちた。
そして。
巨大な影が、動いた。
「イリス!」
ノアの声が聞こえる。
私を守ろうと、こちらへ駆け出そうとしている。
でも。
私は、もう逃げなかった。
だって、今は。
一人じゃないから。
「……みんな」
私は精霊たちへ呼びかけた。
「お願い。あの子を、止めて」
その瞬間。
風が、吹き荒れた。
いや、違う。
風だけではない。
地面から淡い光が立ち上り、魔物の足元を包み込む。
周囲の木々が揺れ、枝葉の間から無数の光がこぼれ落ちた。
光は細い糸のように伸び、魔物の身体へと絡みついていく。
「グオオッ!?」
魔物が身をよじった。
その巨体が、一瞬だけ動きを止める。
私は息を呑んだ。
――止まった。
あれほど周囲の魔物たちを怯えさせていた存在が。
精霊たちの光によって、足を止められている。
「……お願い」
私は右手を掲げた。
すると、周囲に浮かんでいた光が、次々と空へ昇っていく。
淡い輝きが、森の上空へと広がった。
まるで、夜空に星が生まれるように。
「もう、誰も傷つけないで……」
その願いに応えるように、光が強く輝いた。
大地から伸びた光が、魔物の四肢を包み込む。
風が巨体を押さえ、水のような輝きがその身体を覆っていく。
魔物は激しく暴れた。
地面が揺れる。
木々が折れる。
それでも、光は消えなかった。
少し離れた場所では、黒い角の魔物が身を低くしたまま、こちらを見つめていた。
先ほどまでの凶暴さは、もう感じられない。
その赤い瞳は、拘束されている魔物と、私の周囲に集まる光を交互に見つめていた。
まるで、何が起こっているのか理解できないかのように。
「……っ!」
私は歯を食いしばった。
身体の奥から、力が流れ出していく。
簡単ではない。
やはり、これほどの相手を止めるには、大きな力が必要だった。
膝が震える。
左腕の痛みが、鋭く走る。
視界が、わずかに揺れた。
「……まだ」
私は一歩、前へ踏み出した。
「まだ、終わってない……!」
今、私が止めなければならないのは、目の前の魔物だけではない。
この存在が、再び森の外へ向かえば。
逃げ惑う魔物たちが、さらに広い場所へ押し寄せてしまうかもしれない。
その先には、街がある。
人々の暮らしがある。
守らなければならない命が、たくさんある。
だから。
ここで、止めなければならない。
「お願い、みんな……!」
光が、さらに強くなった。
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遠く離れた王宮の一室で、セレスティアが顔を上げた。
「……え?」
窓の外。
森の方角から、淡い光が立ち上っていた。
雲の切れ間から差し込む光とは違う。
魔法師たちが使う魔法とも違う。
懐かしくて。
優しくて。
胸が痛くなるほど、覚えのある光だった。
「……そんな、まさか」
セレスティアは椅子から立ち上がった。
胸元のペンダントを、無意識に握りしめる。
昔。
まだ、あの施設にいた頃。
暗い部屋の中で、いつも自分の隣にいてくれた少女がいた。
その少女は、不思議な光を操っていた。
風に話しかけるように笑い。
小さな光に手を伸ばし。
誰かが泣いていれば、迷わず駆け寄っていく。
――ティア、見て!
――精霊さんが、遊んでくれるんだよ!
幼い日の声が、耳の奥で蘇った。
あの場所で過ごした日々は、決して幸せなものではなかった。
怖いことも、苦しいことも、たくさんあった。
それでも。
あの少女と一緒にいる時間だけは、少しだけ息ができた。
笑うことができた。
明日も頑張ろうと、思うことができた。
「……違うわ」
セレスティアは首を振った。
あの子は、もういない。
あの日から、ずっと。
会いたくても会えなかった。
探しても、見つからなかった。
だから、諦めたはずだった。
なのに。
どうして今になって、こんな光を見せるの。
「……イリス」
気づけば、彼女はその名を呟いていた。
食事の席で。
訓練場で。
自分が冷たい言葉を投げかけた、あの小さな騎士。
泣いていたのに、翌朝にはまた笑っていた少女。
どうして、あんなにも懐かしく感じたのか。
どうして、目を離せなかったのか。
どうして――。
「……まさか」
セレスティアの指が、ペンダントを強く握りしめた。
胸の奥が、痛い。
確かめたい。
けれど、怖かった。
もしも違ったら。
もしも、自分の願いが勝手に作り出した幻だったら。
今度こそ、立ち直れないかもしれない。
「……お願い」
セレスティアは窓の外を見つめた。
「どうか……生きていて」
その祈りが誰に向けられたものなのか。
彼女自身にも、まだはっきりとはわからなかった。




