第35話②、信じるという選択
「……総長! 団長!」
私は声を張り上げた。
戦場の喧騒にかき消されそうになりながらも、二人はすぐにこちらを向いた。
「イリスさん?」
アルフォンスが振り返る。
ヴィルヘルムも、魔物の動きを警戒しながら視線を向けた。
「どうした! 怪我がひどいのか!」
「いえ……そうじゃ、ありません!」
私は首を横に振った。
「お二人に、どうしてもお話ししたいことがあります!」
ヴィルヘルムの眉が動いた。
その直後、巨大な魔物が再び地面を踏み鳴らす。
「総長! こちらはまだ持ちこたえられます!」
近くの騎士が声を上げた。
ヴィルヘルムは素早く周囲を確認し、部下へ指示を飛ばす。
「無理に攻めるな! 防御に徹しろ! 異変があればすぐに知らせろ!」
「了解!」
アルフォンスも副団長のエドガーへ前衛の指揮を引き継ぐと、私のもとへ駆け寄ってきた。
ヴィルヘルムも続く。
「それで、何だ」
私は二人を見上げた。
何から話せばいいのかわからない。
けれど、時間はなかった。
巨大な魔物が、騎士たちの防御を押し崩そうとしている。
ここで立ち止まっている余裕はない。
「お二人に、お願いがあります」
声が震えた。
それでも、私は二人の目を見た。
「……私のことを、少しだけ信じてくれませんか?」
ヴィルヘルムの眉が動いた。
アルフォンスは、何も言わずに私の言葉を待っている。
「私は……皆さんが使っている魔法とは、違う魔法を使えます」
言ってしまった。
もう、後戻りはできない。
「普通の魔法とは、少し違うんです。詠唱も、魔法陣も必要ありません。
それに……精霊たちの声を聞いて、その力を借りることもできます」
言葉にすればするほど、胸の奥が締めつけられた。
これまで誰にも話さなかったこと。
誰にも知られないように、必死に隠してきたこと。
それを、今、自分の口で伝えている。
「それから……」
私は一度、唇を噛んだ。
「この髪と瞳の色も、本当の色ではありません。魔法で変えています」
二人の表情を窺う。
驚かれるだろうか。
疑われるだろうか。
危険な存在だと、思われるだろうか。
どんな言葉が返ってきても、受け止めなければならない。
そう覚悟していた。
けれど。
「……そうか」
最初に口を開いたのは、ヴィルヘルムだった。
思いのほか、落ち着いた声だった。
「それで?」
「……え?」
「まだ話があるんだろう」
私は目を瞬かせた。
怒っていない。
少なくとも、今のところは。
アルフォンスも静かに頷いた。
「続けてください。今、あなたが伝えようとしていることを、最後まで聞きます」
「……はい」
胸の奥が、じんわりと熱くなった。
話を聞いてくれる。
すぐに否定せずに。
自分が何者なのか、問い詰めることもなく。
ただ、聞こうとしてくれている。
それだけで、泣きそうになった。
「私の魔法なら……あの魔物を止められるかもしれません」
私は戦場の中心にいる巨大な魔物を見た。
「でも、どこまでできるのか、今の状況ではわかりません。
周りには、まだたくさんの魔物もいますし……」
自分の力を使うこと自体は、初めてではない。
けれど、こんなに多くの人がいる場所で、隠してきた魔法を使うのは初めてだった。
力を使ったあと、何が変わるのか。
誰に、どこまで知られてしまうのか。
それが、怖かった。
「それでも、使いたいんです」
私は拳を握った。
「このままじゃ、皆さんが傷ついてしまう。
ノアも、団長も、総長も……みんな、守りたいんです」
言葉の最後が、かすれた。
「だから……お願いします」
私は深く頭を下げた。
「私の秘密を、守ってください」
戦場の音が遠くなったような気がした。
返事が怖かった。
顔を上げることができない。
もしも、ここで拒絶されたら。
もしも、秘密を明かすように命じられたら。
自分は、どうすればいいのだろう。
そのとき。
「顔を上げろ、イリス」
ヴィルヘルムの声がした。
いつもより少しだけ、柔らかい声だった。
私はゆっくりと顔を上げる。
「お前が何者で、どんな力を持っていようと、今ここで俺たちがやることは変わらねえ」
「……総長」
「目の前の人間を守る。それが俺たち騎士の仕事だ」
ヴィルヘルムは、まっすぐに私を見つめた。
「お前の力が必要なら、力を貸してくれ。
だが、無理をして倒れることまで許した覚えはねえぞ」
「……っ」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
叱られているような言葉なのに。
どうして、こんなにも温かいのだろう。
アルフォンスも、静かに口を開いた。
「イリスさん。あなたが何を隠してきたのか、今ここで無理に聞くつもりはありません」
「……いいんですか?」
「ええ。ただし、戦いが終わったあと、話せることがあれば聞かせてください。あなた自身を理解するためにも、必要なことだと思いますから」
アルフォンスは一度、巨大な魔物へ視線を向けた。
「そして、あなたの力を使うのであれば、私たちも全力で援護します。
あなた一人に、すべてを背負わせるつもりはありません」
「団長……」
「あなたは、私たちの仲間ですから」
その一言が、胸に落ちた。
仲間。
自分が、その言葉を受け取ってもいいのだろうか。
秘密を抱えている自分でも。
本当の名前さえ、明かしていない自分でも。
この人たちは、仲間だと言ってくれるのだろうか。
「……ありがとうございます」
私は笑おうとした。
けれど、うまくいかなかった。
目の奥が熱くなって、視界が滲んでしまう。
それでも、今度は無理に笑わなかった。
泣きそうな顔のまま、二人を見つめた。
「私……やってみます」
「ああ」
「ですが、約束してください」
アルフォンスの声が、少しだけ厳しくなる。
「ご自身の命を、軽く扱わないこと。助けが必要なときは、必ず私たちに伝えることです」
私は驚いたように目を見開いた。
それから、小さく頷いた。
「……はい」
「よし。話は終わりだ」
ヴィルヘルムが踵を返す。
「アルフォンス、第一騎士団の陣形を組み直せ。あの魔物の動きを止める時間を作る」
「承知しました」
「イリス」
ヴィルヘルムが振り返った。
「お前が力を使う間、俺たちが道を作る。だから、遠慮せずに頼れ」
私は胸元のペンダントを握りしめた。
精霊たちの声が、優しく響く。
『イリス』
『よかったね』
『ひとりじゃ、ないね』
「……うん」
小さく答える。
そうだ。
もう、一人ではない。
すべてを話したわけではない。
自分の本当の名前も。
過去に何があったのかも。
まだ、誰にも伝えていない。
それでも。
秘密を抱えたまま、誰かを信じることはできるのだと。
今、初めて知った。




