第34話①、守りたいもの、隠したいもの
アルフォンスの剣が、悲鳴を上げていた。
巨大な魔物の前脚を受け止めた刃は、強烈な圧力に押し込まれ、少しずつ角度を変えている。
足元の地面には亀裂が走っていた。
あと、どれだけ耐えられるのか。
それは、アルフォンス自身にも分からなかった。
「アルフォンス!」
ヴィルヘルムが駆ける。
だが、周囲にはまだ魔物が溢れていた。
総長の進路を塞ぐようにグレイウォルフが飛び出し、左右から騎士たちへ襲いかかる。
「邪魔だ!」
ヴィルヘルムは剣を振るい、魔物を退けた。
その一瞬で、アルフォンスの身体が大きく沈む。
「団長!」
私は思わず叫んだ。
アルフォンスは私を見なかった。
「イリスさん、下がりなさい!」
いつもと変わらない、落ち着いた声だった。
こんな状況でも。
自分の命が危うい状況でも。
アルフォンスは、私を守ろうとしている。
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
どうして。
どうして、みんな自分よりも他人を優先するのだろう。
……ううん。
私だって、同じだ。
守りたいから。
失いたくないから。
だから、無茶だと分かっていても、身体が動いてしまう。
それでも、誰かを守ろうとするたびに、自分の力が足りないことを思い知らされる。
「……っ」
私は、剣を握り直した。
左腕はまだ痺れている。
無理に動かせば、痛みが走った。
それでも、今はそんなことを気にしている場合ではない。
アルフォンスを助けなければ。
ヴィルヘルムが間に合わなければ、アルフォンスが危ない。
そう思った瞬間、胸元のペンダントがかすかに温かくなったような気がした。
『イリス』
小さな声がした。
風の音に紛れてしまいそうな、か細い声。
『もう、がまんしなくていいよ』
私は息を呑んだ。
「……だめ」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「まだ、だめなの……」
さっき、決めたはずだった。
誰かを失うくらいなら、秘密が知られても構わない、と。
でも。
いざその時が近づくと、どうしても怖くなってしまう。
使ってしまえば、きっと元には戻れない。
白い髪も、琥珀色の瞳も、ただの偽りにすぎない。
隠してきた魔法も。
知られたくなかった過去も。
すべてが繋がってしまうかもしれない。
自分が何者なのか。
どうして、ここにいるのか。
どうして、誰にも本当のことを話せないのか。
そのすべてを説明しなければならなくなるかもしれない。
怖かった。
力を使うことよりも。
秘密を知られたあと、目の前の人たちが自分を見る目が変わることが。
今までと同じように、名前を呼んでもらえなくなることが。
信じてもらえなくなることが。
怖かった。
それでも。
「――っ!」
アルフォンスの剣が、ついに押し切られた。
衝撃で身体が弾かれ、彼は地面を滑る。
「アルフォンス!」
ヴィルヘルムの叫び声。
巨大な前脚が、再び振り上げられた。
その下に、倒れたアルフォンスがいる。
私の身体は、勝手に動いていた。
考える余裕などなかった。
剣を握り、走る。
「団長!」
届かない。
間に合わない。
そう思った瞬間、耳に精霊たちの声が重なった。
『イリス、こっち!』
『わたしたちがいるよ!』
『ひとりじゃないよ!』
その声に背中を押されるように、私は地面を蹴った。
そして――。
「伏せて!」
アルフォンスの身体へ飛び込み、無事な右腕で彼を引き寄せる。
二人の身体が、地面を転がった。
直後、巨大な前脚が地面を叩き割った。
轟音。
土煙。
飛び散る岩片。
私はアルフォンスを庇うように身体を丸めた。
背中に衝撃が走る。
痛みで息が詰まった。
それでも、私は腕を離さなかった。
やがて、轟音が遠のいた。
「……団長?」
恐る恐る顔を上げる。
アルフォンスは、すぐ目の前にいた。
驚いたように目を見開いている。
「イリスさん……」
「よかった……」
声が震えた。
「よかった……生きてる……」
安堵した瞬間、身体から力が抜けそうになった。
けれど、アルフォンスはすぐに表情を引き締めた。
「あなたこそ、無事ですか」
「わ、私は平気です!」
「その腕で、ですか」
「……う」
返す言葉がなかった。
アルフォンスは起き上がろうとしたが、私は慌てて声を上げた。
「動かないでください!」
「それは私の台詞です」
「でも……!」
「あなたが無事であることを確認するのが先です」
静かな声だった。
叱責ではない。
けれど、譲るつもりもない声だった。
私は唇を噛んだ。
どうして、この人は。
どうして、こんなときまで。
「……私は」
言いかけて、言葉が止まる。
自分は、何を言おうとしたのだろう。
秘密を打ち明けようとしたのか。
助けられなかったと謝ろうとしたのか。
それとも。
ただ、怖かったと伝えたかったのか。
答えが見つからないまま、私は視線を落とした。
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「二人とも、無事か!」
ヴィルヘルムが駆け寄ってきた。
その声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
「はい。私は問題ありません」
アルフォンスが答える。
「イリスは?」
「……大丈夫です」
イリスは笑おうとした。
いつものように。
何でもないふりをして。
しかし、うまく笑えなかった。
ヴィルヘルムは、その顔を見て眉を寄せた。
「お前、また無茶をしたな」
「……すみません」
「謝れとは言ってねえ」
彼は短く言い、イリスの無事な方の肩に手を置いた。
「よく助けてくれた。だが、次は自分の命も勘定に入れろ」
イリスは目を瞬かせた。
怒られると思っていた。
勝手な行動をしたことを。
負傷しているのに戦場へ飛び出したことを。
きっと、叱られると思っていた。
なのに。
「……はい」
小さく頷く。
ヴィルヘルムはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、周囲へ視線を向け、すぐに指示を出す。
「アルフォンス、立てるか」
「問題ありません」
「なら、後方の指揮を頼む。俺があの化け物を引きつける」
「総長、それは危険です」
「分かってる」
ヴィルヘルムは、巨大な魔物を見据えた。
「だが、誰かが止めなきゃならねえ」
「私も同行します」
「お前は指揮を続けろ。今ここで指揮系統を崩すわけにはいかねえ」
アルフォンスは一瞬、言葉を失った。
そして、静かに頭を下げた。
「……承知しました」
ヴィルヘルムは踵を返した。
その背中を見送るイリスの胸に、不安が広がる。
まただ。
また、誰かが危険な場所へ向かっていく。
このままでは、ヴィルヘルムまで。
アルフォンスも。
ノアも。
誰かが傷つくたびに、自分は何もできないまま、その背中を見送ることになる。
そんなのは、嫌だった。
絶対に。




