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第33話①、崩れる陣形

森の奥から、新たな巨大な魔物が姿を現した。


黒くねじれた角。


岩のような外殻に覆われた巨体。


そして、暗闇の中でもはっきりと見える、赤い瞳。


先ほどまで騎士たちを苦しめていた巨大な魔物とは、どこか異なる威圧感があった。


その姿が完全に露わになった瞬間、戦場を駆けていた魔物たちの動きが変わった。


グレイウォルフが、突然進路を変える。


騎士たちへと向かっていた群れが、新たに現れた巨大な魔物から逃れるように左右へ散った。


別の魔物は、仲間を踏みつけながら森へ戻ろうとする。


そして、最初に現れた巨大な魔物までもが、低く唸りながら後ずさっていた。


まるで、今そこにいるものこそが、何よりも恐ろしい存在であるかのように。


「……何だ、あれは」


誰かが呟いた。


その声には、隠しきれない動揺が滲んでいた。


騎士たちは魔物との戦いに慣れている。


どれほど凶暴な相手でも、習性を見極め、弱点を探し、仲間と連携すれば倒せる可能性はある。


しかし、目の前の魔物は違った。


大きいだけではない。


周囲の魔物が怯えている。


それなのに、その魔物自身は暴れ回る様子もなく、ただ静かに戦場を見渡していた。


まるで、何をすれば自分たちが崩れるのか、確かめているかのように。


「全員、警戒を維持しろ!」


ヴィルヘルムの声が戦場に響いた。


「負傷者を後方へ! 前衛は不用意に近づくな!

 魔物の群れを巨大個体に近づけるな!」


「了解!」


騎士たちが一斉に動く。


アルフォンスも剣を構え直し、第一騎士団の隊員たちへ指示を飛ばした。


「第一隊は正面を維持。第二隊は左翼の補強を。

 弓兵は巨大個体への射撃を控え、周囲の魔物を優先してください!」


「はっ!」


「負傷者の搬送を最優先に。動けない者を置いていくことは許しません!」


白い鎧に走る赤い線が、土煙の中を行き交う。


それぞれが自分の役割を果たそうとしていた。


けれど。


戦場は、騎士たちの思惑どおりには動かなかった。


新たな巨大な魔物が、一歩、前へ進んだ。


たった、それだけだった。


それだけで、地面が震えた。


「来るぞ!」


誰かが叫ぶ。


次の瞬間、魔物の巨体が大きく傾いた。


その動きは、巨体に似合わないほど速かった。


「散開しろ!」


アルフォンスの指示が飛ぶ。


騎士たちは左右へ跳んだ。


直後、巨大な前脚が地面を叩き割る。


轟音。


石が砕け、土が舞い上がり、衝撃が足元から身体を突き上げた。


「うわっ!」


近くにいた騎士の一人が体勢を崩した。


その隙を逃さず、横から飛び込んできたグレイウォルフが牙を剥く。


「危ない!」


私は駆け出した。


剣を振るい、グレイウォルフの横腹へ斬り込む。


魔物が悲鳴を上げて横へ倒れた。


「大丈夫ですか!」


「あ、ああ……助かった!」


「立てますか? 後ろへ下がってください!」


騎士の腕を支え、近くの隊員へ引き渡す。


その間にも、別の場所から叫び声が上がった。


「右翼が押されている!」


「援護を回せ!」


「間に合いません!」


視線を向けた先では、魔物の群れが折り重なるように騎士たちへ押し寄せていた。


一体一体なら、対処できる。


だが、数が多すぎた。


前の魔物を斬っても、その向こうから次が来る。


足元には倒れた魔物と砕けた石が散らばり、思うように動けない。


隊員たちが互いの背中を守りながら戦っていたが、少しずつ、少しずつ、押し込まれていた。


「ノア!」


私が呼ぶ。


「こっちは大丈夫!」


ノアは剣を振るいながら答えた。


濃い青の髪が揺れる。


彼は一体のグレイウォルフを退け、すぐさま隣の騎士の援護へ回った。


「イリス、前!」


「っ!」


声に反応して身をひねる。


爪が、頬のすぐ横を掠めた。


私は踏み込み、魔物の懐へ潜り込む。


一閃。


グレイウォルフが倒れた。


息を吐く暇もない。


次の魔物が迫ってくる。


剣を構え直し、受け流し、斬り返す。


何度も繰り返す。


けれど、視界の端には、助けを求める騎士たちの姿が映り続けていた。


左翼で倒れた人。


後退しようとして足を取られた人。


負傷者を庇いながら、複数の魔物に囲まれた人。


助けに行きたい。


すぐにでも駆け出したい。


でも、目の前の魔物を無視すれば、自分も、隣にいる仲間も危険に晒される。


「くっ……!」


剣で爪を受け止める。


腕に衝撃が走った。


重い。


さっきよりも、明らかに力が強い。


私は足を踏ん張り、魔物の攻撃を横へ流した。


体勢を崩した相手へ、剣を振り抜く。


魔物が倒れる。


それでも、休めなかった。


剣を握る手がじんじんと痺れている。


呼吸が浅くなる。


汗が額を伝い、目に入りそうになった。


それでも、私は笑おうとした。


(大丈夫)


まだ戦える。


まだ、守れる。


そう思わなければ、足が止まってしまいそうだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「左翼、後退!」


アルフォンスの声が響いた。


第一騎士団の一隊が、負傷者を抱えて後方へ下がる。


だが、退路を塞ぐように魔物が回り込んでいた。


「団長、前方に複数!」


「無理に突破しないでください! 盾を並べて時間を稼ぎます!」


アルフォンスはすぐさま状況を見極めた。


今ここで前衛が崩れれば、後方の負傷者に魔物が流れ込む。


何としても、陣形を維持しなければならない。


「第二隊、左翼へ!」


指示を受けた隊員たちが駆ける。


しかし、その直後だった。


新たな巨大な魔物が、再び動いた。


今度は、騎士たちが固まっている場所へ向かって。


「まずい……!」


アルフォンスが駆け出す。


巨大な前脚が振り上げられた。


「全員、退避!」


声が届いた者は、間一髪でその場を離れた。


だが、一人の騎士が倒れた仲間を引き起こそうとして、逃げ遅れていた。


巨大な影が、その頭上を覆う。


「――っ!」


私は、考えるより先に地面を蹴っていた。


「逃げて!」


倒れていた騎士へ飛びつき、その身体を横へ押し出す。


次の瞬間。


轟音とともに、巨大な前脚が地面へ叩きつけられた。


衝撃が全身を襲う。


私は吹き飛ばされ、地面を転がった。


「イリス!」


ノアの叫び声が聞こえた。


痛い。


肩が熱い。


身体を起こそうとすると、左腕に鋭い痛みが走った。


「だい、じょうぶ……!」


立ち上がろうとする。


けれど、左腕に力が入らなかった。


鎧の一部がひしゃげ、肩から腕にかけて痺れが走っている。


折れてはいない。


……たぶん。


でも、剣を振るうには厳しかった。


「無理するな!」


駆け寄ってきたノアが、私の前に立つ。


「でも、あの人が……!」


「助かってる! だから今は自分のことを考えて!」


ノアの声は、いつもより強かった。


彼の視線の先では、先ほどの騎士が別の隊員に支えられ、後方へ運ばれていた。


助けられた。


ちゃんと、助けられたのだ。


その事実に、私はほんの少しだけ息をついた。


けれど。


「……ノア、後ろ!」


巨大な魔物の身体が、こちらへ向き直っていた。


赤い瞳が、二人を捉えている。


その視線に、背筋が冷たくなった。


魔物は吠えなかった。


唸り声すら上げなかった。


ただ、こちらを見ていた。


そして、ゆっくりと前脚を持ち上げる。


「走れ!」


ノアが私の腕を掴み、横へ引いた。


二人が飛び退いた直後、地面が砕けた。


破片が頬を打つ。


私は転びそうになりながら、何とか踏みとどまった。


その間にも、巨大な魔物は次の標的を探すように首を動かしている。


近くにいた騎士が剣を振り下ろした。


刃は、魔物の脚を覆う硬い外殻に弾かれた。


「なっ……!」


騎士が目を見開く。


もう一度、別の角度から斬りつける。


それでも、傷ひとつつかなかった。


魔物は騎士を振り払うように身体を揺らした。


たったそれだけで、騎士の身体が宙を舞う。


「隊員を回収しろ!」


アルフォンスが叫ぶ。


「正面からの攻撃は通りません! 無理に接近しないでください!」


命令を聞いた騎士たちは、すぐに距離を取った。


だが、相手の動きが速すぎる。


距離を取ろうとした者へ、別の魔物が襲いかかる。


巨大な魔物を避ければ、群れが迫る。


群れを抑えれば、巨大な魔物が動く。


どちらかに集中することができない。


戦場の均衡が、崩れ始めていた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「このままでは、持ちませんね」


アルフォンスは剣を構えたまま、戦場を見渡した。


額には汗が滲んでいる。


負傷者は増えていた。


騎士たちはまだ戦っている。


それでも、陣形のあちこちに隙間が生まれ始めていた。


後方への搬送も追いついていない。


魔物の数が多すぎるのだ。


「アルフォンス!」


ヴィルヘルムが声を張った。


「右翼の状況は!」


「崩壊寸前です! 第二隊を回していますが、巨大個体が動けば維持できません!」


「ちっ……!」


ヴィルヘルムは舌打ちした。


視線は、巨大な魔物から離れない。


あれを止めなければ、騎士たちの陣形を立て直すこともできない。


しかし、正面から斬り込んでも効果が薄い。


魔法も、外殻に阻まれている。


ならば、関節か、眼か、動きを止められる場所を狙うしかない。


だが、そこへ近づくこと自体が危険だった。


「セドリック!」


ヴィルヘルムが呼ぶ。


リュミエール王国の騎士たちを指揮していたセドリックが、すぐに応じた。


「はい!」


「第三騎士団と連携し、負傷者の搬送路を確保しろ! 森側へは近づくな!」


「承知しました!」


セドリックは周囲の騎士たちへ指示を飛ばす。


「ミレーヌ隊は後方の防衛を! 搬送路を確保したら、負傷者を王都側へ移送してください!」


「了解!」


ミレーヌが仲間を率いて駆けていく。


二つの王国の騎士たちは、互いに声を掛け合いながら、何とか戦場を支えようとしていた。


けれど、誰もが分かっていた。


このままでは、いずれ限界が来る。

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