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第32話②、森の奥から来るもの

戦況は、急速に悪化していた。


巨大な魔物は、騎士たちを追い回すように暴れ続けている。


その巨体が動くたびに木々が倒れ、地面が抉られ、戦場の地形そのものが変わっていった。


しかも、厄介なことに。


「攻撃が……通らない!」


一人の騎士が叫んだ。


数人がかりで放った攻撃が、魔物の外殻に弾かれていた。


剣の刃が滑り、火花が散る。


魔法師が放った炎も、黒灰色の体毛を焦がしただけで、致命傷には至らない。


「防御が硬すぎる……!」


「関節を狙え! 外殻の隙間を探すんだ!」


アルフォンスが指示を飛ばす。


しかし、魔物の動きは予想以上に速かった。


巨体からは想像できないほど俊敏に身体をひねり、騎士たちの攻撃を避ける。


振り回された尾が地面を叩き、土煙が舞い上がった。


「ぐあっ!」


騎士の一人が弾き飛ばされる。


「下がれ!」


ヴィルヘルムが前へ出た。


腰を落とし、迫る尾を剣で受け流す。


凄まじい衝撃が腕に走った。


それでも、彼は一歩も退かなかった。


「……なるほどな」


ヴィルヘルムは低く呟いた。


この魔物は、ただ力任せに暴れているだけではない。


騎士たちの攻撃を受けるたび、こちらの動きを観察するような素振りを見せていた。


そして、攻撃が届きにくい場所を選ぶように動いている。


知能が高いのか。


それとも、何か別の理由があるのか。


考える時間はなかった。


魔物が再び咆哮し、前脚を振り上げた。


「総長!」


アルフォンスが声を上げる。


ヴィルヘルムは身をひねり、攻撃をかわした。


だが、振り下ろされた前脚が地面を叩いた瞬間、衝撃波のような揺れが広がった。


足元が崩れる。


ヴィルヘルムの身体がわずかに傾いた。


その隙を、魔物は見逃さなかった。


巨体が迫る。


「総長、危ない!」


アルフォンスが駆け出す。


しかし、間に合わない。


そう思った瞬間だった。


ヴィルヘルムは剣を地面に突き立て、崩れかけた足場を踏みしめた。


「――舐めるなよ」


低い声とともに、彼は魔物の突進を紙一重でかわした。


そのまま剣を振り抜き、外殻の隙間へ刃を叩き込む。


ギィンッ!


甲高い音が響いた。


刃は確かに隙間へ届いた。


だが、魔物は怯むどころか、さらに激しく身体を振った。


「ちっ……!」


ヴィルヘルムは距離を取る。


魔物の赤い瞳が、彼を捉えていた。


その目を見た瞬間、ヴィルヘルムは確信した。


これは、通常の討伐任務で対処できる相手ではない。


そして、今この場にいる騎士たちだけで、いつまでも持ちこたえられる保証もなかった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「イリス、後ろ!」


ノアの声が響く。


私はすぐに振り返り、迫ってきたグレイウォルフの攻撃を受け流した。


刃が牙を弾き、魔物が体勢を崩す。


そこへ踏み込み、剣を振り抜く。


グレイウォルフが倒れた。


しかし、休む間もなく次の魔物が迫ってくる。


「……っ、きりがない!」


息が苦しい。


腕が重い。


剣を握る指先は、とうに感覚が鈍くなっていた。


それでも、私は動き続けた。


前へ出すぎない。


ノアから離れない。


アルフォンスの指示を守る。


頭では分かっている。


けれど、視界の端で誰かが倒れるたび、身体がそちらへ動きそうになる。



助けなければ。


誰かが、傷ついてしまう前に。


――また、失ってしまう前に。



「……っ!」


脳裏に、遠い日の記憶がよぎった。


冷たい床。


閉ざされた扉。


届かなかった手。


名前を呼んでも、返事をしてくれなかった人。



私は強く目を閉じた。


(……違う)


ここは、あの場所ではない。


今、そばにいるのは、研究者たちではない。


ノアがいる。


アルフォンスがいる。


ヴィルヘルムがいる。


みんな、自分を仲間として扱ってくれている。


だからこそ。


失いたくなかった。


「……イリス?」


ノアが不安そうに呼びかける。


「大丈夫?」


「うん……大丈夫」


私は笑おうとした。


けれど、うまく笑えなかった。


そのとき。


森の奥から、再び精霊たちの声が響いた。



『こわい』


『くるよ』


『もっと、おおきいのが』



背筋が凍った。


「……え?」


今のは、何?


巨大な魔物なら、もう目の前にいる。


これ以上、大きなものが来るというのだろうか。


私は森の奥を見つめた。


木々の向こう。


巨大な魔物が現れた場所よりも、さらに深い闇。


そこから、何かがこちらを見ている。


姿は見えない。


気配も、はっきりとは掴めない。


それなのに。


確かに、いる。


そして、私は気づいてしまった。


目の前の魔物たちが、森から逃げてきた理由。


この巨大な魔物でさえ、恐れているものの存在に。


「……そんな」


声が、かすれた。


その瞬間、巨大な魔物が動きを止めた。


騎士たちへ向けていた赤い瞳が、ゆっくりと森の奥へ向けられる。


魔物の全身が震えた。


低い唸り声が、喉の奥から漏れる。


まるで、怯えているかのように。


「……あいつ、何を見ている?」


ヴィルヘルムが呟いた。


誰も答えられなかった。


次の瞬間。


森の奥から、地鳴りが響いた。



ドン。


ドン。


ドン。



一歩ごとに、地面が揺れる。


木々が左右に押し広げられ、枝が折れ、葉が降り注いだ。


そして、闇の向こうに。


巨大な影が、ゆっくりと浮かび上がった。


赤い瞳の魔物が、後ずさる。


騎士たちの顔から、血の気が引いていく。


私は、ただ立ち尽くしていた。


思わず胸元のペンダントを握りしめる。


精霊たちの声が、悲鳴のように響いた。



『イリス』


『にげて』


『おねがい、にげて』



唇が、わずかに開いた。


けれど、声は出なかった。


森の奥から現れようとしているもの。


それは、目の前の巨大な魔物でさえ恐れる存在だった。


そして、その気配は。


私が、決して思い出したくなかった過去の記憶を、静かに呼び起こしていた。


(……どうして)


心の中で呟く。


どうして、また。


どうして、今になって。


森の奥で、何かが笑ったような気がした。


その瞬間。


巨大な影が、一歩、森の外へ踏み出した。



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