第31話②、守りきれない戦場
どれほどの時間が経ったのか、分からなかった。
太陽はまだ高い位置にある。
けれど、私には何時間も戦い続けているように感じられた。
騎士たちは必死に戦っていた。
ヴィルヘルムは前線で魔物の群れを押し返し、アルフォンスは隊列を維持しながら、負傷者が出るたびに配置を調整している。
セドリックも、ミレーヌも、部下たちを鼓舞しながら戦い続けていた。
誰も手を抜いてなどいない。
誰も諦めてなどいない。
それなのに、状況は少しずつ悪化していた。
「負傷者が増えています!」
「治療班が足りません!」
「街道の封鎖が間に合いません!」
報告が届くたび、胸が締めつけられた。
(……守らなきゃ)
もっと頑張らなきゃ。
そう思うのに、身体は一つしかない。
腕は重くなり、息は乱れ、握った剣の柄が汗で滑る。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
目の前に魔物がいる。
その向こうには、逃げ惑う人々がいる。
そして、耳の奥では――。
『イリス』
『こわいよ』
『たすけて』
精霊たちの声が、途切れることなく響いていた。
私は胸元のペンダントを強く握りしめた。
(……どうして)
どうして、こんなことになっているの。
森の奥で何が起きているの。
精霊たちは、何を恐れているの。
考えても答えは出ない。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
(……このままじゃ、守りきれない)
私は唇を噛んだ。
使ってはいけない。
この力を知られてはいけない。
そう言い聞かせてきた。
正体を隠して騎士になったのも、魔法を隠しているのも、すべて理由がある。
もし知られたら。
もし、またあの場所へ連れ戻されたら。
そう考えるだけで、指先が冷たくなる。
けれど。
(……目の前の人たちを、見捨てるの?)
心の奥から、もう一人の自分が問いかけてきた。
私は答えられなかった。
目の前では、騎士たちが傷つきながらも魔物を押し返している。
その後ろで、誰かが泣いている。
誰かが助けを求めている。
それなのに、自分にはまだできることがある。
それを知っているのに。
「……私は」
声が震えた。
笑わなければ。
大丈夫だと、言わなければ。
どんなにつらくても、笑っていればきっといつか良いことがある。
姉が教えてくれた言葉を、ずっと信じてきた。
でも今は、笑顔を作ることさえできなかった。
(……怖い)
失いたくない。
もう二度と、誰かを失いたくない。
「イリス!」
ノアの声が、すぐ近くから聞こえた。
振り向くと、ノアは腕に傷を負いながらも、こちらを気遣うように見つめていた。
「大丈夫? 無理してない?」
私は答えようとした。
いつものように笑って。
大丈夫だよ、と言おうとして。
けれど、声が出なかった。
ノアは一瞬だけ目を見開いたあと、そっと言った。
「……一人で抱え込まないでね」
その言葉が、胸に刺さった。
(……違う)
一人で抱え込みたいわけじゃない。
ただ、誰にも知られたくないだけ。
大切な人たちを守るために、隠してきたものだから。
それでも。
今、守りたいものが目の前にある。
私は再び森の奥を見つめた。
木々の向こうで、青白い光が一瞬だけ揺れた。
精霊たちの光だ。
その光が、助けを求めるように明滅している。
『イリス』
『もう、だめ』
小さな声が聞こえた。
私の瞳が揺れる。
「……ごめんね」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
精霊たちに。
目の前で戦う騎士たちに。
それとも、ずっと自分の力を恐れてきた自分自身に。
私は剣を握りしめた。
もう、時間がない。
このままでは、本当に守りきれなくなる。
そして、森の奥から。
それまでの魔物とは明らかに違う、重く不気味な気配が近づいてきた。
ヴィルヘルムが、ゆっくりと顔を上げる。
「……おい。あれは何だ」
木々が大きく揺れた。
魔物たちが、恐怖に駆られたように一斉に進路を変える。
その向こうに見えたものを前に、騎士たちの動きが止まった。
まだ、終わりではない。
むしろ――。
本当の脅威は、これからだった。




