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第30話②、鳴り響く警報


森の奥へ進むにつれて、空気が少しずつ重くなっていった。


第三騎士団の騎士たちは、慣れた様子で周囲を警戒しながら進んでいる。


「この辺りで、昨日も魔物の痕跡が確認されています」


ミレーヌが地面を指し示した。


そこには、いくつもの大きな足跡が残されていた。


「グレイウォルフ……それも、かなりの数ですね」


ノアが呟く。


「ええ。ですが、気になるのは数だけではありません」


ミレーヌの表情が曇った。


「足跡の向きが、すべて同じなんです」


「同じ?」


私は聞き返した。


「森の奥から、街道の方へ向かっています。昨日も、一昨日も」


ミレーヌは森のさらに深い場所を見つめた。


「まるで、何かから逃げているように」


その言葉を聞いた瞬間、胸がざわついた。


(……逃げている)


精霊たちも、同じことを言っていた。


森の生き物たちが、奥から逃げている、と。


「……ミレーヌさん」


「なあに?」


「この森の奥に、何かあるんでしょうか?」


ミレーヌは少し考えたあと、静かに首を振った。


「まだ分からないわ。だからこそ、慎重に調べる必要があるの」


「そう、ですよね……」


私は森の奥を見つめた。


木々の隙間は暗く、その先がどこまで続いているのかも分からない。


そのときだった。


『……イリス』


(……え?)


ふいに、頭の奥で声が響いた。


思わず顔を上げる。


けれど、周囲にいるのは騎士たちだけだった。


『……こわい』


今度は、はっきりと聞こえた。


小さな、小さな声。


いつもそばにいてくれる精霊たちの声だった。


私は思わず息を呑んだ。


(……みんな?)


返事はない。


ただ、怯えたような気配だけが伝わってくる。


「イリス?」


ノアが心配そうに顔を覗き込んだ。


「顔色が悪いよ。大丈夫?」


「う、うん。大丈夫……」


そう答えながらも、私の視線は森の奥から離れなかった。


精霊たちが、怯えている。


昨夜も怖がっていたけれど、今はもっと切迫しているように感じられた。


何かがいる。


この森の奥に、精霊たちでさえ恐れる何かが。


(……団長に伝えたほうが――)


そう思った、その瞬間。




――ドンッ!!




遠くで、何かが地面を叩くような音が響いた。


続いて、木々が激しく揺れる。


「何だ!?」


騎士の一人が声を上げた。


全員が一斉に森の奥を振り返る。



――ドンッ! ドンッ! ドンッ!



音が近づいてくる。


地面が、かすかに震え始めた。


「……まさか」


セドリックの表情が険しくなった。


「全員、警戒態勢!」


ミレーヌが叫ぶ。


その直後。


森の木々の間から、黒い影が飛び出してきた。


一匹。


二匹。


三匹。


(……え?)


次々と現れる魔物たち。


十匹、二十匹。


数えることすら難しいほどの魔物が、こちらへ向かって駆けてくる。


グレイウォルフだけではない。


巨大な角を持つ魔物。


鋭い爪を地面に食い込ませる魔物。


普段なら深い森から出てくることのない、危険度の高い魔物たちまで混じっていた。


「魔物の群れだと!?」


「数が多すぎる!」


「街道へ向かっているぞ!」


騎士たちの声が飛び交う。


けれど、私はすぐに気づいた。


(……違う)


魔物たちは、こちらを狙っているわけではない。


ただ、何かから逃れるように。


後ろから迫る恐怖に追い立てられるように。


我先にと森の外へ駆け出してくる。


その進路上に人間がいることなど、気にも留めずに。


「これは……魔物の暴走か!」


ヴィルヘルムが険しい声で叫んだ。


「セドリック! 住民への警告は出ているか!?」


「まだです! この規模は想定していませんでした!」


「なら、今すぐ王都へ連絡しろ! 街道を封鎖し、周辺の住民を避難させろ!」


「はっ!」


セドリックが部下へ指示を飛ばす。


伝令の騎士が、すぐさま街道へ向かって駆け出した。


その直後。


森の外から、甲高い鐘の音が鳴り響いた。




カン、カン、カン、カン――!




何度も、何度も。


緊急事態を知らせる警報だった。


王都の方角からも、少し遅れて同じ鐘の音が重なって聞こえてくる。


それは、平穏な朝を切り裂く音だった。


(……王都まで)


あの城壁の向こうには、たくさんの人が暮らしている。


今朝も、いつもどおりの一日が始まるはずだった。


もし、この群れが街道を越えてしまったら。


(……絶対に、止めなきゃ)


「第一騎士団、陣形を組め!」


アルフォンスの声が響いた。


「負傷者を出さないことを最優先とする! 魔物の進路を見極め、住民の避難路を確保しろ!」


「了解!」


騎士たちが、瞬く間に隊列を整える。


ヴィルヘルムは剣を抜き、迫り来る魔物の群れを睨み据えた。


「いいか、無理に追うな! 押し寄せる群れを止めることだけ考えろ!」


「了解!」


ノアも剣を構え、私の隣に立った。


「イリス、僕から離れないで」


「……うん」


私は剣の柄に手をかけた。


けれど、目は森の奥へ向けられたままだった。


魔物たちは恐怖に駆られている。


精霊たちも怯えている。


そして、森の奥からは――。


今まで感じたことのない、冷たい気配が近づいていた。


まるで、森そのものが悲鳴を上げているかのようだった。


『……イリス』


『……たすけて』


精霊たちの声が、次々と胸に響く。


私はぎゅっとペンダントを握りしめた。


(……助けたい)


いつだって、そう思ってきた。


目の前で苦しんでいる人がいるなら。


誰かが泣いているなら。


手を伸ばせる自分でありたい。


けれど、今は騎士としてここにいる。


隠さなければならないものがある。


知られてはいけない力がある。


それでも。


(……私に、できることはあるはず)


魔法を使わなくても。


一人で飛び出さなくても。


この剣で、仲間と一緒に守れるものがある。


「……お願い」


誰にも聞こえないほど小さな声で、私は呟いた。


「みんなを、守らせて」


次の瞬間。


森のさらに奥で、ひときわ大きな咆哮が轟いた。


空気が震え、木々が一斉に揺れる。


押し寄せていた魔物たちが、さらに激しく走り出した。


「来るぞ!!」


誰かが叫んだ。


私は剣の柄を握り直した。


もう、逃げ場はない。


目の前には、数えきれない魔物の群れ。


背後には、守るべき人々がいる。


そして、森の奥には――。


まだ誰も知らない、恐ろしい何かが潜んでいた。


鳴り響く警報は、いつまでも止まなかった。



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