第27話②、優しかったあなた
一方、その頃。
セレスティアは王宮の自室に戻っていた。
「……お疲れではありませんか、殿下?」
侍女が心配そうに尋ねる。
「いいえ。問題ないわ」
セレスティアはいつものように答えた。
「それより、先ほどの休憩室の件ですが……」
「何かしら」
「アルセリア王国の騎士様が、突然お部屋を出ていかれたと聞きました。お加減が悪かったのでしょうか?」
セレスティアの手が止まった。
脳裏に浮かぶのは、泣きながら去っていった少女の姿。
白い髪。
琥珀色の瞳。
震える声。
そして、何度も繰り返された謝罪。
『ごめんなさい、ごめんなさい……!』
「……知らないわ」
セレスティアは書類に視線を落とした。
「私は何も聞いていないもの」
「そうですか……」
侍女はそれ以上追及しなかった。
扉が閉じる。
一人になった部屋で、セレスティアはゆっくりと目を閉じた。
どうして、あんなに泣いたのだろう。
自分は、ただ注意しただけだ。
騎士ならば、立場にふさわしい振る舞いをするべきだと。
それは間違っていない。
間違っていないはずなのに。
あの少女の顔が、頭から離れなかった。
「……どうしてよ」
誰に向けたものなのか、自分でも分からない。
セレスティアは胸元に手を当てた。
そこには、普段から身につけている小さなペンダントがあった。
それに触れると、閉じ込めていた記憶が蘇りそうになる。
小さな部屋。
薄暗い廊下。
泣き声を押し殺す夜。
そして――。
『ティア、だいじょうぶ?』
幼い少女の声。
セレスティアは、はっと目を開いた。
「……やめて」
震える手でペンダントを握りしめる。
「もう、思い出したくない……」
声が掠れた。
あの日のことを思い出すと、胸が苦しくなる。
誰かを信じることも。
誰かを大切に思うことも。
もう、したくなかった。
大切に思った人を失うくらいなら、最初から誰とも親しくならなければいい。
期待しなければ、傷つかずに済む。
そうやって、自分の心を守ってきた。
だから、あの少女にも冷たく接した。
相手が誰であっても、近づけないように。
それなのに。
「……あの子、泣いていたわ」
セレスティアは呟いた。
自分の言葉で。
自分の目の前で。
あんなにも、苦しそうに泣いていた。
その姿を思い出すたびに、胸の奥が痛んだ。
「……私は、間違っていない」
そう言い聞かせる。
「私は……」
言葉が途切れた。
自分が正しかったのか。
本当は、何を恐れているのか。
考えようとすると、心の奥に閉じ込められた記憶が扉を叩く。
セレスティアは、それ以上考えることをやめた。
ペンダントを服の下に隠し、背筋を伸ばす。
王女として。
誰にも弱さを見せない自分に戻るために。
「……もう、忘れたことよ」
そう呟いた声は、ひどく小さかった。
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午後。
私は休憩室の窓辺に座り、ぼんやりと庭を眺めていた。
少し眠ったおかげで、頭は落ち着いている。
けれど、胸の奥に残った痛みは消えていなかった。
「……イリス?」
扉の向こうから声がした。
「ノア?」
「入ってもいい?」
「うん」
ノアは手に小さな包みを持っていた。
「これ、持ってきたんだ」
「……なに?」
「お菓子。さっき厨房の人に分けてもらったんだ。甘いもの好きでしょ」
包みを開くと、小さな焼き菓子がいくつか入っていた。
私は目を丸くした。
「……私に?」
「うん。もちろん」
「でも……」
「お昼も、あんまり食べられなかったでしょ?」
ノアは困ったように笑った。
「無理に食べなくてもいいけど、食べられそうならどうぞ」
私は焼き菓子を見つめた。
温かな食べ物。
誰かが、自分のために用意してくれたもの。
それだけのことなのに、胸がいっぱいになった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
私は一つ手に取り、小さくかじった。
甘い。
ほんのりとバターの香りがする。
「……おいしい」
自然と、笑みがこぼれた。
今度は、無理に作った笑顔ではなかった。
ノアはほっとしたように微笑んだ。
「よかった」
しばらく、私たちは並んで窓の外を眺めた。
ノアは、何があったのかを聞かなかった。
私も、何も話さなかった。
それでも、不思議と気まずくはなかった。
「……ノア」
「ん?」
「私、ちゃんと騎士になれるかな」
ぽつりと零れた言葉だった。
ノアは少し驚いたように目を瞬かせたあと、真剣な表情で答えた。
「なれるかどうかは、これからのイリス次第だと思う」
「……そっか」
「でも、僕はイリスが頑張ってるのを知ってるよ。だから、簡単に諦める人だとは思ってない」
私は、手の中の焼き菓子を見つめた。
「……うん」
頑張ろう。
もう少しだけ。
今はまだ、昔のように笑い合うことができなくても。
いつか、もう一度。
あの子と、心から笑える日が来るのなら。
その日まで、私は騎士として歩き続けよう。
胸元のペンダントをそっと握る。
そして、窓の外に広がる青い空を見上げた。
遠い昔に交わした約束は、まだ胸の奥に残っている。
けれど、その約束が私たちを再び結びつけるのか。
それとも、さらに遠ざけることになるのか。
今の私には、まだ分からなかった。




