第26話①、床に落ちた食事
翌朝。
「……よし」
私は鏡の前で、両手で頬を軽く叩いた。
少しだけ目が腫れている。
けれど、泣いたことが分かるほどではない……はず。
「大丈夫。今日も元気に!」
にこっ。
鏡に向かって、いつもどおりの笑顔を作る。
昨日は、少しだけ泣きすぎてしまった。
まさか、あんなに涙が止まらなくなるなんて思わなかった。
けれど、精霊たちがそばにいてくれたおかげで、最後にはちゃんと眠ることができた。
だから、もう大丈夫。
今日こそは、きちんと騎士として振る舞おう。
そう決意して、私は胸元のペンダントにそっと触れた。
「……ティア」
思わず、昔の呼び名が口からこぼれる。
すぐに、唇を結んだ。
「……違う。セレスティア様、だよね」
自分に言い聞かせるように呟く。
昔のように呼ぶことはできない。
今のあの子は、この国の王女様なのだから。
それに――。
昨日のあの子の目には、私の知っている優しさが見つからなかった。
「……いってきます」
誰もいない部屋に告げて、私は扉を開けた。
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「イリスさん、少し顔色が悪いようですが」
「えっ? そ、そうですか?」
朝の集合場所で、団長に顔を覗き込まれた。
(……しまった)
笑顔を作るのに気を取られて、うまく隠せていなかったらしい。
「昨夜は眠れましたか?」
「はい! ぐっすりです!」
「……本当に?」
「ほ、本当です!」
アルフォンスはしばらく私を見つめていたけれど、やがて小さく息を吐いた。
「無理をする必要はありません。体調が悪いなら、遠慮なく申し出なさい」
「ありがとうございます。大丈夫です!」
「……分かりました。ただし、少しでも異変を感じたら、すぐに知らせること。いいですね?」
「はい!」
アルフォンスはそれ以上追及しなかった。
けれど、その視線には心配の色が残っていた。
その隣から、ノアがひょいと顔を出す。
「イリス、朝ご飯はちゃんと食べた?」
「食べたよ!」
「本当に?」
「団長と同じこと聞かないでよ!」
「ははっ。じゃあ、お昼は一緒に食べようか」
「うん!」
ノアの何気ない言葉に、私は少しだけ肩の力を抜いた。
いつもどおりに話しかけてくれる人がいる。
それだけで、ずいぶん気持ちが楽になる。
(……今日も、ちゃんと笑える)
そう思った。
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午前中は、リュミエール王国の騎士たちとの合同訓練に向けた打ち合わせと、訓練施設の見学が行われた。
私はアルフォンスの指示に従いながら、真剣に説明を聞いていた。
リュミエール王国の騎士たちは、アルセリア王国とは少し異なる隊列を組むらしい。
魔法師と剣士の連携を重視し、少人数でも魔物の足止めができるよう工夫されている。
「なるほど……!」
私は思わず感心した。
「興味深いですか?」
隣にいたセドリックが尋ねる。
「はい! アルセリア王国とは違うところがたくさんあって、勉強になります!」
「それはよかった。せっかくの機会だからね。いろいろ吸収していくといい」
「はい!」
そのとき、訓練施設の入口が少し騒がしくなった。
「セレスティア殿下がお見えになりました」
その声に、心臓が跳ねた。
(……ティア)
振り向きたい。
けれど、すぐには振り向けなかった。
昨日の言葉が、頭の中によみがえる。
――せいぜい頑張ることね。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
「皆様、ごきげんよう」
澄んだ声が響く。
私はゆっくりと振り返り、ほかの騎士たちに合わせて頭を下げた。
「おはようございます、セレスティア殿下」
口にしたのは、正しい呼び方。
けれど、本当は。
(……おはよう、ティア)
そう言いたかった。
「……あなたも来ていたのね」
セレスティア様の視線が、私に向いた。
「はい。合同訓練に向けて、こちらの騎士の皆様からお話を伺っておりました」
「そう」
それだけだった。
セレスティア様は、まるで初めて会った相手にするように、淡々と頷いた。
私は笑顔を保った。
昨日の夜、精霊たちが言ってくれた。
泣いてもいい。
無理をしなくてもいい。
その言葉を、私は覚えている。
けれど、今は任務中だ。
だから、もう少しだけ頑張ろう。
(……大丈夫)
まだ、大丈夫。




