第19話②、旅路の魔物
昼を過ぎた頃、一行は街道沿いの広場で休憩を取ることになった。
馬の様子を確認する人。
周囲の警戒に当たる人。
食事を済ませる人。
騎士たちはそれぞれ、慣れた様子で行動している。
私も馬車から降りて、軽く身体を伸ばした。
「んーっ! やっぱり外の空気は気持ちいい!」
長い間馬車に揺られていたせいか、少し身体が固まってしまった気がする。
そんなことを考えていると、少し離れた場所から声がした。
「イリス!」
「あっ、ノア!」
手を振って駆け寄ってきたノアに、私も笑顔で応える。
「そっちはどう?」
「今のところ順調だよ。第3騎士団の人たちが先に道を確認してくれているし、問題はないみたい」
「そっか! よかった!」
「イリスのほうは?」
「馬車の中で団長に注意されてた!」
「……何をしたの?」
「何もしてないよ?!」
即座に反論すると、ノアはくすくすと笑った。
「それなら、何で注意されたの?」
「窓から身を乗り出しそうだったからって……」
「それは注意されても仕方ないんじゃないかな」
「ノアまで!」
私はぷくりと頬を膨らませた。
すると、ノアはますます楽しそうに笑う。
「ふふっ。ごめんごめん」
「もう!」
まったく、みんなして心配しすぎなんだから。
……でも。
こうして誰かと笑い合える時間は、やっぱり嬉しい。
「……イリス」
「ん?」
「何かあったら、ちゃんと周りを頼ってね」
「うん?」
「一人で何とかしようとしないこと。約束したでしょ?」
私は一瞬だけ目を瞬かせた。
そういえば、出発前にも同じことを言われたっけ。
アルフォンス団長にも、ヴィルヘルム総長にも。
(……そんなに信用ないのかなぁ)
少しだけ複雑な気持ちになる。
けれど、ノアが心配してくれているのは分かっている。
だから、私はいつもの笑顔で答えた。
「大丈夫! ちゃんと頼るよ!」
「……本当に?」
「本当だってば!」
「ならいいけど」
ノアは少しだけ安心したように微笑んだ。
そのときだった。
「全員、警戒態勢!」
鋭い声が、広場に響いた。
私たちは同時に振り返る。
街道の先。
森へと続く道の向こうから、一人の騎士が馬を走らせて戻ってきていた。
「前方に魔物を確認! 数は五体以上! こちらへ向かってきています!」
その報告を聞いた瞬間、周囲の空気が一変した。
休憩していた騎士たちは即座に武器を手に取り、馬車の周囲に防衛線を築いていく。
「第1騎士団は護衛位置へ! 第3騎士団は周辺の警戒を続けてください!」
アルフォンスの指示が響く。
「イリスさん、ノアさん! それぞれの持ち場に戻りなさい!」
「はい!」
私たちは声をそろえて返事をした。
ノアはエドガー副団長たちのもとへ。
私はアルフォンスの指示に従い、馬車を守る騎士たちの一角に加わった。
先ほどまでの楽しい気持ちは、もうない。
私は腰の剣を抜き、街道の先を見据えた。
やがて、低い唸り声が聞こえてくる。
木々の間から姿を現したのは、灰色の毛皮に覆われた大型の魔物だった。
鋭い牙。
発達した前脚。
そして、獲物を見定めるような赤い瞳。
「グレイウォルフ……!」
近くにいた騎士が、魔物の名を呟いた。
グレイウォルフ。
単体でも危険な魔物だ。
それが複数で行動しているとなれば、油断はできない。
一体、二体、三体……。
木々の間から次々と姿を現す。
「六体確認! 後続は現時点では見当たりません!」
前方の騎士から報告が上がった。
「第3騎士団からの事前報告では、この周辺で魔物の活動が活発になっているという情報はありませんでしたが……」
アルフォンス様が眉をひそめる。
その隣で、ヴィルヘルム総長が街道の先を見据えていた。
「原因を考えるのは後だ。まずは護衛対象と馬車の安全を確保する」
総長の落ち着いた声が響く。
「アルフォンス、指揮は任せる」
「かしこまりました」
アルフォンス様は頷くと、素早く指示を出した。
「前衛は魔物の進行を阻止! 中央の護衛は持ち場を維持してください! 後衛は周辺からの接近に注意を!」
「「「はっ!」」」
騎士たちの声が重なる。
次の瞬間。
グレイウォルフたちが、一斉に地面を蹴った。
「来ます!」
鋭い咆哮とともに、魔物たちが襲いかかってくる。
剣と牙がぶつかり、金属音と咆哮が響き渡った。
私は剣を握り直し、目の前の魔物を見据えた。
その動きは速い。
けれど、私には十分に見えていた。
踏み込みの癖。
攻撃へ移る直前の重心。
次に狙われる位置。
どれも、はっきりと分かる。
(右から来る……!)
一体のグレイウォルフが、前方の騎士に向かって跳びかかろうとしていた。
このままでは危ない。
そう思った瞬間、私は反射的に一歩踏み出した。
「イリスさん! 持ち場を離れないでください!」
「っ!」
アルフォンスの声に、はっとする。
(いけない……!)
危うく、また勝手に動いてしまうところだった。
私は踏み出した足を止め、周囲の状況を確認した。
前方の騎士は、すでに魔物の攻撃に備えている。
その背後には、別の騎士が援護に入ろうとしていた。
(……大丈夫。私が行かなくても、みんながいる)
私は剣を構え直し、自分の持ち場に意識を戻した。
そのとき。
「イリスさん! 右側から一体接近しています! 迎撃を!」
「はい!」
アルフォンスの指示と同時に、私は右へと向き直った。
一体のグレイウォルフが、馬車の側面へ回り込もうとしていた。
鋭い爪が振り下ろされる。
私は剣を構え、その攻撃を受け流した。
ガキンッ!
衝撃が腕に響く。
けれど、姿勢は崩さない。
その勢いを利用して身をひねり、魔物の脇をすり抜ける。
(今だ!)
次の瞬間。
私の剣が、魔物の前脚を切り裂いた。
「ギャアッ!」
魔物が悲鳴を上げ、体勢を崩す。
「今です!」
私が声を上げると、近くにいた騎士がすぐに動いた。
鋭い一撃が、魔物を仕留める。
「助かった、イリス!」
「いえ! こちらこそ!」
私はすぐに周囲を確認した。
まだ戦闘は終わっていない。
仲間たちは、それぞれ魔物と交戦している。
(私にできることは……)
どこを守れば、被害を最小限に抑えられるだろう。
今、自分が守るべき場所はどこだろう。
私はアルフォンスの指示を思い出し、馬車の周囲から離れないように気をつけながら、剣を握り直した。
その後も騎士たちは連携して魔物を退けていった。
一体、また一体と、グレイウォルフが倒れていく。
そして、最後の一体が総長へと襲いかかった。
「グルルルッ!」
総長は慌てることなく、剣を構えた。
魔物が跳びかかった、その瞬間。
一閃。
総長の剣が、鋭く振り抜かれた。
次の瞬間には、グレイウォルフが地面に倒れていた。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
あまりにも速く、無駄のない一撃だった。
「周囲を確認しろ! 負傷者はいるか!」
総長の声が響く。
「こちらは問題ありません!」
「馬車も無事です!」
「軽傷者が一名! 手当てを行います!」
騎士たちから次々と報告が上がった。
幸い、大きな被害はなかったようだ。
私はほっと息を吐いた。
「……よかった」
そのとき。
「イリスさん」
背後から声がした。
振り返ると、アルフォンスが立っていた。
「はい!」
「先ほど、指示を受ける前に持ち場を離れようとしましたね」
「えっ……」
「自覚がないとは言わせませんよ」
私は思わず目を泳がせた。
確かに、魔物の動きを見た瞬間、身体が勝手に動いてしまった。
でも、すぐに止まったし……。
結局、持ち場を離れたわけではない。
「……すみません」
「今回は踏みとどまれましたね。それは良い判断でした」
「えっ?」
思わず顔を上げた。
アルフォンスは、いつもの真剣な表情で続けた。
「ですが、最初に動こうとしたことも事実です。戦場では、一瞬の判断が命取りになります。あなた一人の問題ではないのです」
「……はい」
「あなたが隊列を乱せば、周囲の騎士まで危険にさらすことになります。それを忘れないでください」
アルフォンスの声は厳しかった。
けれど、先ほどまでとは少し違って聞こえた。
私が無事なら、それでいいわけではない。
自分の行動が、誰かを危険にさらすこともある。
それは、分かっているつもりだった。
でも、実際に戦場に立つと、どうしても身体が先に動いてしまう。
「……気をつけます」
「ええ。それから、先ほどの連携は良かったですよ」
「……!」
「自分だけで倒そうとせず、近くの騎士と協力できていました。今後もその判断を忘れないようにしてください」
「はい!」
私は思わず顔を輝かせた。
アルフォンスは小さく頷くと、負傷者の確認へと向かった。
私はその背中を見送る。
そして、腰に下げた剣へそっと触れた。
(……もっと、頑張らなくちゃ)
強くなること。
それは、ただ剣が上手になることだけではない。
仲間と協力して、みんなで無事に帰ること。
それも、騎士として大切なことなんだ。
私は改めて、そう思った。




