第2話、実技試験
実技試験の前に筆記試験があった。
筆記試験を終えたイリスは、試験会場の外で大きく伸びをした。
「ふぅ……終わったぁ!」
空を見上げる。
雲一つない青空が広がっていた。
「たぶん、大丈夫……だよね?」
問題を思い返してみる。
魔法理論、歴史、騎士団の規則、魔物に関する知識。
どれも難しい問題ではなかった。
むしろ――少し簡単すぎるくらいだった。
「……よし!」
気持ちを切り替える。
次は、実技試験。
イリスにとって、こちらのほうが重要だった。
騎士になるために、どうしても越えなければならない試験。
そして――絶対に、目立ちすぎてはいけない試験でもある。
「魔法は……最低限」
小さく呟く。
「剣は……ほどほど」
そして、自分の手を見つめた。
「……うん。大丈夫」
自分に言い聞かせるように、笑った。
――私は、イリス。
リリア・アステリアではない。
ここにいるのは、ただの新人騎士候補。
それだけだ。
「笑う門には福来る!」
胸を張って、実技試験の会場へ向かった。
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実技試験の会場には、すでに多くの受験生が集まっていた。
剣を握る者。
槍を構える者。
魔法の詠唱を確認している者。
誰もが真剣な表情をしている。
イリスは、その様子を眺めながら目を輝かせた。
「すごい……!」
思わず声が漏れる。
騎士を目指す人たちが、こんなにもたくさんいる。
その事実が嬉しかった。
「受験番号、三百番以降の者はこちらへ!」
試験官の声が響く。
「はい!」
イリスも慌てて列に並んだ。
やがて試験官から、実技試験についての説明が始まる。
「実技試験は、基礎身体能力、剣術、魔法適性、そして模擬戦を行う!」
周囲から緊張した空気が漂う。
イリスも真剣に耳を傾ける。
「なお、魔法適性試験においては、危険性の高い魔法の使用を禁ずる。試験官の指示には必ず従うように!」
「……魔法、か」
イリスは小さく呟いた。
胸の奥に、ほんの少しだけ冷たいものが走る。
魔法。
それは、彼女が誰よりも隠したいもの。
この国では、魔法を使えること自体は珍しくない。
生まれ持った魔力を使い、詠唱と魔法陣によって発動する。
努力すれば、多くの者がある程度の魔法を扱える。
けれど――。
イリスが使えるものは、それとは違う。
精霊の声を聞き、古き力を借りる魔法。
それは、この国ではすでに失われたはずの力だった。
だからこそ。
「……絶対に、使っちゃ駄目」
誰にも聞こえない声で呟く。
「普通にやる」
そう言って、笑った。
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基礎身体能力の試験は、問題なく終わった。
「次、三百二十一番!」
「はい!」
イリスは軽々と課題をこなしていく。
ただし――本気は出さない。
跳躍も、走る速度も、あくまで十二歳として少し優秀なくらい。
試験官が記録を書き込んでいる。
「……年齢を考えれば、かなり優秀だな」
「ありがとうございます!」
イリスは笑顔で頭を下げた。
よし。
今のところ、順調。
次は剣術試験。
イリスは用意された木剣を手に取った。
ずしりとした重みが手に伝わる。
その瞬間。
不思議と心が落ち着いた。
剣を握っているときだけは、余計なことを考えなくていい。
「始め!」
試験官の合図とともに、木剣を振る。
一撃。
二撃。
三撃。
体が勝手に動く。
幼い頃から何度も繰り返してきた動き。
けれど――。
「……少し、遅いな」
自分に言い聞かせる。
もっと速く動ける。
もっと正確に打てる。
でも、それをしてはいけない。
十二歳の少女が、あまりにも完成された剣技を見せれば目立つ。
だから、わざと一つ一つの動きを遅くする。
それでも。
「合格!」
試験官から声がかかった。
「ありがとうございます!」
イリスは満面の笑みを浮かべた。
――よし。
まだ、大丈夫。
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そして。
「次は模擬戦を行う!」
その言葉に、会場の空気が変わった。
受験生たちの表情が一気に引き締まる。
模擬戦。
実際の騎士を相手に、どこまで戦えるかを見る試験だ。
イリスも木剣を握り直した。
「……誰が相手かな」
周囲を見回す。
試験官として立っている騎士たちの中には、見覚えのある顔もあった。
けれど――。
「……え?」
一人の男を見た瞬間。
息が止まった。
黒い髪。
見慣れた横顔。
騎士服を身にまとい、周囲の騎士たちと話している。
(……兄さん)
声には出さなかった。
三年ぶりに見る兄だった。
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
昔の記憶が蘇る。
『リリア、剣を握るときはもっと肩の力を抜け』
『ほら、もう一回』
『上手くなったじゃないか』
優しかった兄。
何度も剣を教えてくれた兄。
あの頃は――。
「三百二十一番!」
「……!」
呼ばれて、我に返る。
「前へ!」
「はい!」
イリスは急いで前へ出た。
そして。
「……私が相手をする、第15騎士団副団長ルーカス・アステリアだ」
目の前に立った男を見て、笑顔が固まった。
「…………」
「…………」
兄だった。
間違いない。
けれど、兄はイリスを見ても何の反応も示さない。
当然だ。
今の自分は、イリス。
白い髪に、琥珀色の瞳。
そして、本当の名前は――。
「よろしくお願いします!」
イリスは笑顔で頭を下げた。
兄は少し驚いたように目を細めた。
「……随分と小さいな」
「十二歳です!」
「……そうか」
兄は木剣を構えた。
「では、始める」
「はい!」
開始の合図が響く。
次の瞬間。
兄の姿が目の前から消えた。
「――!」
イリスは反射的に身を引いた。
木剣が、目の前を通り過ぎる。
速い。
やっぱり――。
(……兄さん、やっぱり強い)
思わず口に出そうになって、慌てて飲み込む。
イリスは笑った。
「すごいですね!」
「余裕があるな」
「え?」
「その顔だ」
兄が再び踏み込む。
今度は横薙ぎ。
イリスは剣で受け流した。
――重い。
でも。
まだ、全然本気じゃない。
兄も試験だから、手加減している。
イリスには、それが分かってしまう。
「……なら」
ほんの少しだけ。
こちらも速度を上げる。
剣と剣がぶつかる。
カンッ!
乾いた音が響いた。
周囲の受験生たちが振り返る。
「おい……あの子」
「今の攻撃、受けたぞ」
「十二歳だろ?」
兄の目が細くなる。
「……君」
「はい!」
「誰に剣を習った?」
「……秘密です! 」
イリスは笑った。
ルーカスは、その笑顔をじっと見つめた。
「そうか」
兄は再び構える。
イリスは内心で頭を抱えた。
(まずい……!)
これ以上は、駄目。
勝つことはできる。
けれど、圧倒してはいけない。
強すぎれば怪しまれる。
でも――。
(負けたら、騎士になれないかもしれない)
それだけは絶対に嫌だった。
なら。
「……ぎりぎり」
勝つ。
兄が踏み込む。
イリスは一歩下がる。
さらに一歩。
そして――。
兄が剣を振り下ろした。
その瞬間。
イリスは横へ滑り込んだ。
剣を受けるのではなく、懐へ。
兄の動きが一瞬だけ止まる。
その隙を逃さない。
木剣を跳ね上げる。
カンッ!
兄の手から、木剣が離れた。
地面に落ちる。
静寂。
「…………」
イリスも固まった。
やりすぎた。
絶対に、やりすぎた。
「勝負あり!」
試験官の声が響く。
周囲からざわめきが起こった。
「え……?」
「今の、十二歳の動きか?」
「第15騎士団の副団長を……?」
イリスは慌てて兄へ駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか!?」
兄は落ちた木剣を見つめたまま、動かなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……君は」
「はい?」
「妙な剣を使うな」
「そ、そうですか?」
「ああ」
兄はじっとイリスを見る。
その視線に、胸がざわついた。
――気づかないで。
お願いだから。
今だけは。
「……君は、誰に剣を習った?」
「えっと……」
一瞬、言葉に詰まる。
そして。
「……昔、少しだけ教えてもらったことがあるんです」
嘘ではない。
兄自身に。
けれど、兄は知らない。
「そうか」
兄はそれ以上聞かなかった。
「ありがとうございました!」
イリスは深く頭を下げる。
顔を上げたときには、いつもの笑顔だった。
「……」
兄はその背中を見つめていた。
なぜだろう。
あの少女を見ていると。
三年前に失った妹を思い出す。
剣の構えも。
あの笑い方も。
けれど――。
「……まさかな」
兄は小さく呟いた。
三年前。
俺たちの妹は、もういない。
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試験がすべて終わった。
イリスは会場の隅で、大きく息を吐いた。
「……危なかったぁ」
胸元に手を当てる。
服の下には、小さなペンダントが隠れている。
そこに刻まれた名前。
――リリア・アステリア。
イリスはその文字を指でなぞった。
「……ごめんね」
小さく呟く。
「まだ、戻れないんだ」
けれど。
「騎士には、なりたい」
顔を上げる。
そして、いつものように笑った。
「だって――」
あの日からずっと。
自分には、守りたいものがあったから。
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数時間後。
合格者の番号が掲示板に張り出された。
受験生たちが一斉に集まる。
「三百二十一……」
イリスは自分の番号を探す。
「あった!」
――合格。
「やったぁ!」
思わず両手を握る。
けれど。
「……え?」
その下に書かれていた文字を見て、イリスは固まった。
配属先――。
「第一騎士団……?」
イリスは目を疑った。
第一騎士団。
この国で最も強い騎士たちが所属する場所。
当然、自分には縁のない場所だと思っていた。
「なんで……?」
その理由を、今のイリスはまだ知らなかった。
周囲がざわめく。
「第一騎士団って、あの第一騎士団か?」
「嘘だろ?」
「十二歳だぞ……?」
イリスは掲示板を見上げたまま、口をぽかんと開けた。
「…………えええええ!?」
なぜ自分が。
そんな疑問を抱く少女の前で、
掲示板には、確かにその名前が記されていた。
――第一騎士団
――三百二十一番、イリス
こうして。
少女の、騎士としての人生が始まった。




