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第16話、何も覚えていません!

 翌朝。


「ふわぁ……」


 イリスは大きなあくびをしながら、寝台から起き上がった。

 窓の外は、気持ちのいい晴天。

 鳥たちのさえずりが聞こえ、朝の光が部屋いっぱいに差し込んでいる。


「……今日もいい天気!」


 イリスは伸びをして、にこっと笑った。

 昨日は初任務の討伐祝いだった。

 おいしいお肉をいっぱい食べて、みんなとたくさんお話をして――。


「…………」


 ……あれ?

 その先が、思い出せない。


「……うーん?」


 イリスは首を傾げた。

 何かあったような気がする。

 でも、何もなかったような気もする。

 まあ、いっか!

 考えても思い出せないものは仕方がない。

 イリスはぱんっと頬を叩くと、着替えを始めた。


「よーし! 今日も頑張るぞー!」


 そのとき。

 コン、コン。

 部屋の扉がノックされた。


「はーい!」


「失礼します」


 扉を開けて入ってきたのは、銀色の髪を整えたアルフォンスだった。


「あっ、アルフォンス団長! おはようございます!」

「おはようございます、イリスさん」


 アルフォンスはいつもどおり穏やかに微笑んだ。

 けれど、その目元には、どこか疲れが残っているように見えた。


「……?」


 イリスは不思議そうに首を傾げた。

 アルフォンスは彼女の前まで歩いてくると、静かに口を開いた。


「イリスさん」


「はい!」


「昨日のことを覚えていますか?」


「……昨日?」


 イリスは目をぱちぱちと瞬かせた。

 昨日。

 昨日といえば、初任務の討伐祝い。

 おいしいお肉。

 騎士の皆さん。

 楽しい宴会。

 それから――。


「…………」


 やっぱり、思い出せない。


「……えっと」


「はい」


「昨日、何かありました?」


「…………」


 アルフォンスは黙った。

 数秒。

 さらに数秒。

 そして。


「…………はぁぁぁ……」


 それはもう、深い深いため息だった。


「……?」


 イリスは目を丸くした。

 えっ。

 わたし、何か悪いことをしたのでしょうか?

 昨日はちゃんとお肉を食べて、皆さんとお話をして、それから……。

 ……それから?


「……あの、アルフォンス団長?」


「……いえ」


 アルフォンスは額に手を当て、ゆっくりと首を振った。


「何でもありません」


「……?」


「本当に、何でもありませんから」


 そう言いながらも、その表情はどこか諦めたようなものだった。


「……そうですか?」


「ええ」


 アルフォンスは一度だけイリスを見つめ、それから扉へと向かった。


「では、後ほど約束していた訓練でお会いしましょう」


「はい! 今日もよろしくお願いします!」


「……ええ。よろしくお願いします」


 扉が閉まる。

 部屋には、再び静けさが戻った。


「…………」


 イリスは、しばらく扉を見つめていた。


「……?」


 首を右に傾ける。

 左に傾ける。

 そして、もう一度、右に傾けた。


「……なんだったんだろう?」


 結局、何も分からなかった。

 イリスは小さく首を傾げたあと、いつもの笑顔に戻った。


「ま、いっか!」


 そして、元気よく部屋を飛び出していった。



ーーーーーーーーーーーーーーー



 一方、そのころ。

 廊下を歩いていたアルフォンスは、ぴたりと足を止めた。


「…………」


 昨日の夜のことが、頭をよぎる。

 魔法師団の在り方に疑問を投げかけた少女。

 魔法はもっと自由に使えるのだと。

 騎士を守る剣にもなれるのだと。

 そして、誰かを守れるくらい、もっと強い魔法使いになりたいのだと。

 あれほど真剣に語っていたというのに。


「……本当に、何も覚えていないんですね」


 アルフォンスは、もう一度ため息をついた。

 けれど、その口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。


「……まったく。困った方です」


 そう呟いて、再び歩き出す。

 少女の言葉は、まだ彼の心に残っていた。

 魔法は、もっと自由でいい。

 魔法は、騎士を守る剣にもなれる。

 それは、ただの酔っ払いの戯言として片づけるには、あまりにも真っ直ぐな願いだった。

 いつか。

 彼女が自分の言葉を覚えている日に、もう一度聞いてみよう。

 そう思いながら、アルフォンスは朝の光が差し込む廊下を歩いていった。



ーーーーーーーーーーーーーー



 こうして、イリスの初任務は幕を閉じた。

 魔物との戦い。

 仲間との絆。

 そして、酔った勢いで語られた、魔法への小さな理想。

 白い制服を着た少女は、まだ知らない。

 自分の何気ない言葉が、やがて騎士団と魔法師団の未来を変えるきっかけになることを。



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