第15話②、酔った少女
椅子に座り左右にフラフラ揺れながらずっと笑っているイリス。
少しの間雑がんが続いた。
そんなときイリスにヴィルヘルムは。
「なあ、イリスから見て魔法師団はどう思った?」
「ん~わたし、魔法師団って……ちょっと変だと思いました」
「…………」
アルフォンスが固まった。
ヴィルヘルムの眉が、ぴくりと動いた。
「……ほう?」
総長の低い声が落ちる。
しかし、酔った少女はまったく気づいていなかった。
「だって、魔法使いなのに魔物を倒せないんです!」
「…………」
「騎士が前に出て、騎士が守って、騎士が戦って……。魔法師団の人たちは、後ろから魔法を撃ってました!」
「……そうですね」
アルフォンスは、なんとか冷静な声を保った。
「でも、魔法使いって、もっと強いものじゃないんですか?」
イリスは、真剣な顔で二人を見上げた。
「魔法って、すごいものですよね?」
「…………」
「遠くから魔物を倒したり、仲間を守ったり、危ないところを助けたり……。もっと、いろんなことができるはずです!」
その声には、いつもの無邪気さだけではないものが混じっていた。
純粋な疑問。
そして、魔法に対する強い憧れ。
「なのに、どうしてあんなに弱いんですか?」
アルフォンスは言葉を失った。
ヴィルヘルムも、先ほどまでの笑みを消していた。
もちろん、魔法師団にも事情はある。
魔力の量、詠唱の時間、魔法陣の構築、実戦経験。
魔法を扱うことは、決して簡単ではない。
それでも――。
「騎士だって、魔物と戦うのは怖いです」
イリスは続けた。
「怪我だってするし、倒れちゃうこともあります。なのに、騎士が前で戦っている間、魔法使いの人たちが何もできなかったら……」
少女の声が、少しだけ小さくなる。
「……騎士が、かわいそうです」
その言葉に、二人は黙り込んだ。
イリスは、ふらふらと身体を揺らしながらも、真剣に話していた。
「魔法は、もっと自由なはずなんです」
「……自由?」
ヴィルヘルムが聞き返した。
「はい!」
イリスは大きく頷いた。
「決まった呪文を唱えて、魔法陣を作って、それから魔法を使う。それも大切なのかもしれません。でも、戦いの中では、いつも同じことができるとは限らないですよね?」
「…………」
「だったら、その場に合わせて魔法を変えたり、剣を持った騎士さんを守ったり、魔物の動きを止めたり……。もっと、自由に使えるのに」
イリスは両手を広げた。
「魔法は、ただ魔物を倒すためだけのものじゃないと思います!」
その言葉に、アルフォンスの表情が変わった。
先ほどまでの困惑とは違う。
彼は、少女の言葉を聞き逃すまいとするように、じっと見つめていた。
「魔法は、騎士を守る剣にもなれるんです!」
イリスは、にこっと笑った。
「騎士さんたちが前で戦ってくれるなら、魔法使いの人たちは、その騎士さんたちを守ればいいんです。後ろから攻撃するだけじゃなくて、攻撃を防いだり、足場を作ったり、怪我をした人を助けたり……。そうしたら、騎士たちは、もっと安心して戦えると思います!」
そこで、イリスはふと口を閉じた。
何かを思い出すように、視線を落とす。
「……わたし」
「……はい」
「もっと、強い魔法使いになりたかったです」
その声は、小さかった。
けれど、不思議なくらいまっすぐだった。
「誰かが怪我をするのも、誰かが苦しむのも、嫌なんです。剣だけじゃ守れないものも、きっとあるから……」
イリスは胸元に手を当てた。
「だから、魔法でも守れるようになりたかったです」
沈黙が落ちた。
先ほどまで酔って騒いでいた少女とは思えないほど、その表情は真剣だった。
アルフォンスは、しばらく何も言わなかった。
そして、静かに尋ねた。
「……イリスさんは、魔法が好きなんですね」
「そうですね!」
返事だけは、いつもどおり元気だった。
「だーいすきです!」
イリスは両手を広げて、満面の笑みを浮かべた。
「魔法って、すっごくきれいなんですよ! 火がぱあって広がったり、水がきらきらしたり、風がびゅーんって吹いたり!」
「……そうですね」
「それに、もっといろんなことができるんです! きっと、わたしたちが思っているより、ずっと!」
言いながら、イリスは自分の言葉にうんうんと頷いている。
「だから、魔法使いの人たちにも、もっと頑張ってほしいです!」
最後には、なぜか拳まで握っていた。
ヴィルヘルムは、しばらく少女を見つめていた。
やがて、ふっと息を吐く。
「……なるほどな」
「……総長?」
「いや。面白いことを言うと思ってな」
ヴィルヘルムの目は、いつになく真剣だった。
魔法をもっと自由に。
騎士を守る剣として。
魔物を倒すだけではなく、仲間を生かすために。
それは、幼い少女の夢物語として片づけるには、惜しい考えだった。
少なくとも、ヴィルヘルムはそう思った。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「……さて」
ヴィルヘルムは腕を組み、イリスを見下ろした。
「もうひとつ聞いてもいいか」
「はいっ!」
「昨日の初任務だ。実際に魔法師団を見て、どう思った?」
その問いに、イリスはぱちぱちと瞬きをした。
「……さっき、言いましたよ?」
「そうだな。だが、もう少し聞きたい」
ヴィルヘルムは、わざと普段どおりの声で続けた。
「お前なら、魔法師団に何ができると思う?」
イリスは、しばらく考え込んだ。
いつもなら、ここで笑ってごまかすかもしれない。
自分の考えを話しすぎないように、言葉を選ぶかもしれない。
けれど、今夜は違った。
酔いで頬を赤くした少女は、何のためらいもなく答えた。
「いっぱい、あります!」
「ほう」
「まず、先ほどと同じ騎士さんを守れます!」
イリスは指を一本立てた。
「魔物が攻撃してきたら、盾になる魔法を使ったり、攻撃が届かないようにしたり!それから、足元を凍らせたり、風で動きを変えたりしたら、騎士さんが攻撃しやすくなると思います!」
もう一本、指を立てる。
「それから、怪我をした人を助けることもできます! 回復魔法だけじゃなくて、出血を抑えたり、痛みを和らげたり、運ぶときに身体を支えたり!」
さらに、もう一本。
「それに、森の中なら、風や水を使って魔物の居場所を探したり、危ない場所を知らせたりできるかもしれません!」
「…………」
「魔法って、攻撃するだけじゃないんです!」
イリスは、得意げに胸を張った。
「魔法は、もっと自由なんです!」
ヴィルヘルムの口元が、わずかに緩んだ。
「……お前は、ずいぶん魔法に詳しいんだな」
「えへへ!」
イリスは、照れたように笑った。
「魔法のこと、考えるのが好きなんです!」
――本当は。
彼女は、誰よりも魔法を知っている。
古い時代から受け継がれた、失われたはずの魔法。
精霊と心を通わせ、世界そのものに力を借りる術。
それを扱える者が、今の時代にどれほどいるのか。
イリスは知っていた。
自分以外には、誰もいないことを。
だからこそ、彼女は願う。
自分だけが特別であることではなく。
誰もが魔法を使って、誰かを守れる世界を。
たとえ、その願いを口にするのが初めてだったとしても。
「……私、もっと強い魔法使いになりたいです!」
イリスは、もう一度言った。
「騎士さんたちを守れるくらい、強くなりたいです!」
その言葉を聞き、アルフォンスは静かに目を伏せた。
この少女は、何かを隠している。
それは間違いない。
だが、今の彼女が語った願いは、嘘ではないのだろう。
ヴィルヘルムは、イリスの頭に大きな手を置いた。
「……そうか」
「はい!」
「なら、強くなれ」
「……!」
「ただし」
ヴィルヘルムは、にやりと笑った。
「明日、二日酔いで動けなくなったら、訓練は倍だ」
「…………えっ?」
イリスの顔が、さっと青くなった。
「ふ、二日酔い……?」
「酒を飲んだんだ。そうなる可能性もあるだろう」
「そ、そんなぁ……!」
「はははは!」
「総長、笑い事ではありません」
アルフォンスが呆れたように言った。
「そもそも、十二歳に酒を飲ませたこと自体が問題です。今後は宴会の飲み物をきちんと管理します」
「分かってる。俺もそう思ってる」
「……本当に分かっていますか?」
「分かってるっての!」
二人が言い合っている間、イリスは自分の頬をぺたぺたと触っていた。
「……わたし、明日も訓練できるかなぁ……」
「それは、あなた次第ですね」
「アルフォンス団長ぉ……」
「まずは水を飲みましょう」
「はぁい……」
アルフォンスに杯を渡され、イリスは素直に水を飲んだ。
そして、にこっと笑う。
「……やっぱり、お水もおいしいです!」
「……そうですか」
アルフォンスは、もはや何も言えなかった。
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宴会が終わるころには、イリスはすっかり眠そうになっていた。
「……ねむいです」
「でしょうね」
アルフォンスは、イリスの身体を支えながら苦笑した。
「歩けますか?」
「あるけます!」
イリスは元気よく答えた。
そして、一歩踏み出す。
ふらっ。
「……あれ?」
アルフォンスが、すかさず支えた。
「……歩けていませんね」
「……おかしいです」
「ええ。そうですね」
ヴィルヘルムが、反対側からイリスを抱き上げた。
「うわっ!?」
「暴れるな。寮まで送っていくぞ」
「……そうそう! 寮!」
イリスは、ヴィルヘルムの腕の中で手を叩いた。
「ユナお姉ちゃんに、会いたいです!」
「そうか。なら、さっさと帰るぞ」
「はーい!」
ヴィルヘルムとアルフォンスは、騎士団本部を出て、第七騎士団の寮へ向かった。
夜風が頬を撫でる。
イリスは、ヴィルヘルムの腕の中で、こてんと首を傾けた。
「……総長」
「なんだ?」
「今日、楽しかったですねぇ」
「……ああ。そうだな」
「みんな、いっぱい笑ってました」
「そうだな」
「わたしも、いっぱい笑いました!」
「見れば分かる」
ヴィルヘルムは、呆れたように笑った。
しばらく歩いたあと、ふと思い出したように尋ねる。
「……イリス」
「はい?」
「さっきの話だが」
「……さっき?」
「魔法師団のことだ」
イリスは、きょとんとした。
「……まほうしだん?」
「ああ。魔法はもっと自由に使える。騎士を守る剣にもなれる。そう言っていただろう」
「…………」
イリスは、数秒間じっと考え込んだ。
そして。
「……えへへ」
笑った。
「わたし、そんなこと言ったんですかぁ?」
「……おい」
ヴィルヘルムが眉を上げる。
「覚えていないのか?」
「……よく、分かりません!」
にぱっ。
満面の笑顔だった。
アルフォンスは、思わず額に手を当てた。
「……全部忘れているようですね」
「みたいだな」
「……はぁ」
アルフォンスは深いため息をついた。
「明日、本人に覚えているか聞いてみましょう」
「やめておけ。たぶん、何も覚えていないぞ」
「それでもです。自分が何を話したのかくらいは、知っておくべきでしょう」
「ははっ、違いねえ」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
その間も、イリスは楽しそうに夜空を見上げていた。
「……お星さま、きれいですねぇ」
「……そうだな」
「えへへ……お姉ちゃんとおんなじ色だ………」
やがて、少女のまぶたがゆっくりと閉じていく。
すう、すう、と小さな寝息が聞こえ始めた。
「……寝ましたね」
「ああ」
ヴィルヘルムは、腕の中の少女を見下ろした。
昼間は剣を振るい、仲間を守ろうと前に出た少女。
夜には、魔法師団の在り方について、誰よりも真剣な理想を語った少女。
そして今は、何も知らない子どものように眠っている。
「……アルフォンス」
「はい」
「こいつ、面白いな」
「……ええ。本当に」
アルフォンスは、眠るイリスの白い髪を見つめた。
「ただ、あの考えは……酔っていたからといって、簡単に聞き流すべきではないでしょうね」
「同感だ」
ヴィルヘルムの声から、笑みが消えた。
「魔法は、もっと自由に使える。騎士を守る剣にもなれる、か……」
それは、まだ幼い少女の言葉だった。
けれど、彼女が見ているものは、ただ目の前の戦いだけではないのかもしれない。
騎士と魔法師。
剣と魔法。
互いに異なる力を持ちながら、同じものを守る者たち。
その関係を、変える可能性を秘めた言葉だった。
「……いつか、魔法師団にも聞かせてやりたいものですね」
アルフォンスが言った。
「そうだな」
ヴィルヘルムは頷いた。
「だが、今は寝かせておけ。明日の朝、どんな顔をするか楽しみだ」
「……まったく。あなたという人は」
二人は苦笑しながら、少女を第七騎士団の寮まで送り届けた。




