第13話、団長のお説教
初任務を終え、騎士団本部へ戻ってきた翌日。
イリスは、いつもどおり元気いっぱいに朝の訓練へ向かおうとしていた。
「今日も頑張るぞー!」
昨日の任務で少し怪我をしたものの、幸い大事には至らなかった。
体も問題なく動くし、朝ごはんもおいしかった。
つまり、今日も絶好調である。
――ただし。
「イリスさん」
「はいっ!」
背後から聞こえた声に、イリスはぴたりと足を止めた。
振り返ると、そこには銀色の髪を整えたアルフォンスが立っていた。
いつもどおり穏やかな笑顔。
いつもどおり落ち着いた声。
いつもどおり、隙のない立ち姿。
……なのに。
なぜだろう。
イリスの背筋に、ぞわりと何かが走った。
「少し、お時間をいただけますか?」
「は、はい!」
「ありがとうございます。こちらへ」
アルフォンスはにこりと微笑み、廊下の奥へ歩き出した。
イリスはその後ろを、とことことついていく。
途中ですれ違った騎士たちが、なぜか一斉に目をそらした。
……あれ?
皆さん、どうしてそんな顔をするんですか?
そして連れてこられたのは、第一騎士団長室だった。
扉が閉まる。
アルフォンスが椅子に座り、向かい側の椅子を手で示した。
「どうぞ、座ってください」
「失礼します!」
イリスはぴしっと背筋を伸ばして座った。
アルフォンスも姿勢を正し、机の上で両手を組む。
そして、穏やかな声で尋ねた。
「イリスさん」
「はい!」
「昨日の任務について、いくつか確認したいことがあります」
「はい!」
「まず――なぜ、あなたが指揮を執ったんですか?」
「…………」
イリスの笑顔が、ぴたりと固まった。
あ。
それ、聞かれちゃいます?
「……えっと」
「はい」
「その……気がついたら?」
「気がついたら、ですか」
「はい……」
アルフォンスは静かに頷いた。
「では、次です。なぜ前に出たんですか?」
「…………」
「イリスさん?」
「……えっと」
「はい」
「……魔物が、いたので?」
「魔物がいたから前に出た、と」
「……はい」
アルフォンスは、もう一度ゆっくり頷いた。
その顔には、怒りも苛立ちも浮かんでいない。
むしろ、いつも以上に穏やかだった。
穏やかすぎて、怖い。
「では、最後です」
「は、はい……!」
「なぜ、新人であるあなたが、騎士たちに指示を出していたんですか?」
「…………」
イリスはそっと視線を横へそらした。
窓の外はいい天気だ。
鳥も鳴いている。
訓練場からは、元気な掛け声が聞こえてくる。
ああ、なんて素晴らしい朝だろう。
できることなら、このまま窓から飛び出して――。
「イリスさん」
「はいっ!」
「こちらを見てください」
「はい……」
逃げ道が、なくなった。
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「では、お話ししましょうか」
「……はい」
「まず、あなたはまだ十二歳です」
「はい……」
「騎士になって、まだ数日しか経っていません」
「はい……」
「それにもかかわらず、昨日のあなたは、負傷者の後退を指示し、騎士たちの配置を判断し、魔法師団にも指示を出していましたね」
「……はい」
「さらに、自分自身も魔物の攻撃範囲へ飛び込んでいました」
「…………はい」
「そして、最後には尻尾の攻撃を受けて吹き飛ばされていました」
「………………はい」
ひとつ質問に答えるたび、イリスの肩が少しずつ下がっていく。
アルフォンスは一度言葉を切り、まっすぐにイリスを見つめた。
「イリスさん」
「はい……」
「実力があることと、無茶をしていいことは別ですよ」
その声は、少しも荒くなかった。
けれど、だからこそ言葉のひとつひとつが、まっすぐ胸に届いた。
「あなたの判断が、結果として多くの命を救ったことは事実です。あなたがいなければ、被害はもっと大きくなっていたかもしれません。私もあの魔物を皆さんにお任せした非はあるでしょう」
「……」
「ですが、それであなたが傷ついてもいいということにはなりません」
アルフォンスは、静かに息をついた。
「あなたが傷つけば、周囲の人間も傷つきます」
イリスは、膝の上でぎゅっと手を握った。
「……でも」
「はい」
「みんな、怪我をしていて……魔法師団の人たちも、どうしたらいいか分からないみたいで……」
「ええ」
「だから、わたしが何とかしなきゃって……」
「それは分かります」
「……っ」
「ですが、あなた一人で何とかする必要はありません」
アルフォンスの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「あなたには仲間がいます。私たちがいます。あなたが危険に陥ったとき、誰かが助けに行かなければならない。あなたが守ろうとした人たちに、今度はあなたを守らせてください」
「…………」
「騎士は、誰かを守るために戦います。ですが、自分が守られることを忘れてはいけません」
イリスは俯いた。
昨日、魔物の前に立ったとき。
怖くなかったわけではない。
誰かが傷つくのを見るのが嫌だった。
目の前で誰かが倒れることが、どうしても嫌だった。
だから、考えるより先に体が動いていた。
それが間違いだったとは思わない。
でも――。
「……ごめんなさい」
小さな声が、団長室に落ちた。
アルフォンスは、すぐには答えなかった。
イリスは膝の上で握った手を見つめたまま、続ける。
「わたし、自分のことばっかり考えてました……。皆を守れれば、それでいいって……」
「イリスさん」
「……はい」
「今の言葉は、少し違いますね」
「え……?」
「あなたは、自分のことばかり考えていたのではありません。周囲のことを考えすぎて、自分のことを忘れていたんです」
イリスは、ぱちりと目を瞬かせた。
アルフォンスは困ったように微笑んだ。
「それもまた、問題なのですが」
「……はい」
「ですから、これからは少しだけ、自分のことも大切にしてください」
「……はい」
「約束できますか?」
「……が、頑張ります」
「頑張る、ではなく」
「や、約束します!」
イリスは慌てて背筋を伸ばした。
アルフォンスは、ようやく小さく笑った。
「よろしい」
……終わった?
お説教、終わりですか?
イリスは恐る恐る顔を上げた。
すると、アルフォンスは机の上に置いてあった書類を一枚手に取った。
「それから、もうひとつ」
「まだあるんですか!?」
思わず声が裏返った。
言ってから、しまった、と思う。
アルフォンスは書類から顔を上げた。
「……まだありますよ?」
「ひゃいっ!」
返事が変な音になった。
アルフォンスは一瞬だけ目を丸くし、それから口元を手で覆った。
「……ふっ」
「……?」
「失礼。少し、面白くて」
「お、面白くないです!」
「ええ、そうですね。申し訳ありません」
そう言いながらも、アルフォンスの目元には笑みが残っていた。
イリスは頬を膨らませた。
むう。
絶対、面白がってますよね……!
「もうひとつというのは、今後の任務についてです」
「……はい」
「昨日のような状況では、あなたの判断力は非常に頼りになります。それは私も認めています」
「!」
「ですが、独断で動くことは認められません。特に、あなたが前線へ出る必要がある場合は、可能な限り周囲と連携すること。自分だけで判断せず、仲間に助けを求めること」
「……分かりました」
「よろしい。あなたの力を否定したいわけではありませんから」
アルフォンスは書類を机に戻した。
「むしろ、私はあなたの力をきちんと知りたいと思っています。何ができて、何ができないのか。どこまでなら任せられるのか。それを把握することも、団長である私の役目です」
「……アルフォンス団長」
「ですから、あなたが話したいと思った時には隠さずに話してくださいね。あなた自身のことも」
イリスの胸が、ほんの少しだけ痛んだ。
隠さずに。
その言葉を、今の自分はどこまで守れるだろう。
古代魔法のことも。
過去のことも。
本当の名前のことも。
いつか、すべて話せる日が来るのだろうか。
けれど、今はまだ――。
「……はい!」
イリスは、いつもの笑顔を浮かべた。
「わたし、もっと頑張ります!」
「……イリスさん」
「はいっ!」
「ですから、無茶をしないでくださいと言っているんです」
「あっ」
しまった。
またやってしまった。
アルフォンスは額に手を当て、深く息をついた。
「……先が思いやられますね」
「ご、ごめんなさい……!」
「いえ。これから少しずつ覚えていきましょう。あなたはまだ小さい子供ですから」
その声は、先ほどまでのお説教よりもずっと優しかった。
お説教後、イリスは騎士団本部の廊下を歩きながら、ほっと胸を撫で下ろしていた。
危なかった。
まさか、あんなに長いお説教をされるなんて。
怒鳴られたわけではないのに、アルフォンスの言葉はひとつひとつが胸に刺さるのだ。
これからは無茶をしない。
仲間に頼る。
自分のことも大切にする。
よし。ちゃんと覚えた。
イリスは小さく頷いた。
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「――というわけで、アルフォンス団長にお説教されました……」
昼休み。
イリスは食堂の席で、ノアに今日の出来事を報告していた。
「それは……うん。昨日のことを考えたら、仕方ないと思うよ」
「ノアまで!」
「だって、僕も心配したから」
「……う」
ノアは困ったように笑った。
「イリスが皆を守ろうとしていたのは分かるよ。でも、イリスが怪我をしたとき、僕は何もできなかった」
「……ノア」
「次は、僕にも守らせてね」
まっすぐに向けられた言葉に、イリスは目を見開いた。
そして、ふにゃりと笑った。
「……うん! ありがとう、ノア!」
守ること。
守られること。
その両方を、少しずつ覚えていけばいいのかもしれない。
そう思いながら、イリスは目の前の昼食に手を伸ばした。
――そのとき。
「イリスさん」
「ひゃいっ!?」
背後から聞こえた声に、イリスは勢いよく振り返った。
そこには、銀髪の騎士団長が立っていた。
「……食事中に申し訳ありません。ひとつ、伝え忘れたことがありまして」
「な、なんでしょう……?」
まさか。
まさか、まだお説教が続くのだろうか。
イリスの顔から、さあっと血の気が引いていく。
アルフォンスはそんな彼女を見て、不思議そうに首を傾げた。
「……? 明日の訓練についてですが」
「……へ?」
「明日は私が直接、剣の稽古をつけます。今日のお説教とは関係ありませんから、安心してください」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。本当です」
「よかったぁぁ……!」
イリスは椅子の上で、へなへなと脱力した。
ノアが吹き出す。
アルフォンスも、今度は隠さずに笑った。
「……そんなに怖かったですか?」
「こ、怖くなんてありません!」
「そうですか」
「……ちょっとだけです」
「ふふ。では、明日は覚悟しておいてくださいね」
「えっ!?」
「手加減はしませんから」
アルフォンスは穏やかに微笑み、食堂を後にした。
残されたイリスは、しばらくその背中を見つめていた。
……明日も大変そうです。
でも。
さっきの言葉を思い出す。
――あなたには仲間がいます。私たちがいます。
イリスは胸元のペンダントに、そっと触れた。
まだ、すべてを話すことはできない。
それでも。
この場所でなら、少しずつ変わっていけるのかもしれない。
「……よしっ!」
イリスは両手で頬をぱん、と叩いた。
「明日も頑張るぞー!」
「だから、無茶はしないでね?」
「はーい!」
ノアの言葉に元気よく返事をして、イリスは笑った。
その笑顔を見て、ノアもまた、ほっとしたように微笑んだ。
――白花の騎士は、今日も笑う。
守ることだけでなく、守られることも覚えながら。




