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第11話、白花の片鱗


 巨大な魔物が倒れた。


 ――はずだった。


「……」


 イリスは、倒れた魔物を見つめていた。

 けれど。


「……まだです」


 小さく呟く。


「え?」


 ノアが振り返った。


「まだ、終わってません」


 その瞬間。


 ――ドンッ!


 地面が大きく揺れた。


「うわっ!」


「何だ!?」


 倒れていた魔物の身体が、ゆっくりと起き上がる。

 そして。


 切り落とされたはずの右腕の付け根が、不気味に蠢いた。


「……そんな」


 魔法師団の一人が呟く。

 傷口から、黒い魔力が溢れ出す。

 それは失われた腕の形をなぞるように広がり、肉を、骨を、爪を形作っていった。

 やがて。


 魔物の右腕が、何事もなかったかのように再生した。


「腕が……再生した!?」

「さっきの攻撃を受けて、まだ……!」


 ノアが剣を握り直す。


「イリス……!」


 イリスは再生した右腕を見つめていた。


(……再生するんだ)


 先ほどまでの攻撃が、無意味だったわけではない。

 けれど。

 この魔物を倒すには、腕を切り落とすだけでは足りない。


「……もう一度、行きます」


グオオオオオオッ!!


 咆哮。


 木々が震える。

 魔物は、まだ動ける。

 ノアが剣を握り直す。


「イリス……!」


「大丈夫です」


 イリスは立ち上がった。

 その顔から。

 笑顔は消えていた。

 代わりに。

 静かな集中が浮かんでいる。


「私が、もう一度行きます」


「待って!」


 ノアが止めようとする。


「一人では――」


「大丈夫です」


 イリスは剣を構えた。


「さっき、分かりましたから」


「……何が?」


「この魔物の動きです」


 魔物が吠える。

 そして。

 走り出した。


「――来ます!」


 イリスも地面を蹴った。

 速い。

 小さな身体が、一瞬で間合いへ入る。


「はっ!」


 剣が閃く。

 魔物の爪を避ける。

 斬る。

 また避ける。

 斬る。


「……!」


 騎士たちが息を呑んだ。

 速い。

 先ほどまでとは、明らかに違う。

 イリスは魔物の動きを読むように剣を振っていた。

 右腕が来る。

 一歩下がる。

 左脚が動く。

 横へ。

 爪が振り下ろされる。

 身体を捻る。


「――そこ!」


 ザンッ!

 剣が魔物の脚を斬る。


「グオッ!」


 魔物が体勢を崩す。

 イリスは、その隙を逃さない。


「はあっ!」


 さらに一撃。

 肩。

 脚。

 胴。

 次々と傷を刻んでいく。


「……十二歳?」

 誰かが呟いた。

「本当に……新人なのか?」

 誰も答えられない。

 ただ。


 目の前で繰り広げられる光景を見ていることしかできなかった。


 イリスは。

 強かった。

 圧倒的に。

 けれど。

 その力を。

 まだ。

 ほんの一部しか使っていない。


(……これ以上は、だめ)


 イリスは心の中で呟く。


(古代魔法を使えば、すぐに終わる)


 精霊たちが。

 すぐそばにいる。


《力を貸そうか?》


《すぐ倒せるよ》


 イリスは首を横に振った。


(だめ)


 使ってはいけない。


(私は、イリスだから)


 ここにいるのは。

 ただの新人騎士。

 本当の魔法を隠している。

 それだけでなく。

 自分自身の正体も。

 だから。

 剣だけで戦う。


「……!」


 魔物が右腕を振り上げる。

 イリスは踏み込んだ。


「――遅い!」


 身体を低くする。

 爪の下を潜り抜ける。

 そのまま。

 魔物の懐へ。


「ここ!」


 剣を振る。

 ザシュッ!

 深い傷。

 魔物がよろめく。


「今なら――!」


 イリスが踏み込む。

 最後の一撃。

 剣を振り上げる。


「――これで!」


 その瞬間。

 魔物の身体が。

 不自然に沈んだ。


「……え?」


 次の瞬間。


グオオオオオオッ!!


 魔物が身体を大きく捻った。


 ――ブンッ!


「――っ!」


 予想外だった。

 イリスの身体が。

 巨大な尾に叩き飛ばされた。


「イリス!」


 ノアが叫ぶ。


「きゃっ――!」


 ドォンッ!

 身体が地面を転がる。


「イリス!」


 騎士たちが駆け寄ろうとする。

 しかし。


「来ないでください!」


 イリスが叫んだ。


「まだ……!」


 立ち上がる。

 身体が痛い。

 けれど。

 剣を握る。


「まだ、終わってません!」


 魔物がこちらを見る。

 その巨体が。

 再び動き出す。


「……っ」


 イリスが構えた。

 けれど。

 足が。

 ほんの少し。

 遅れた。

 さっきの一撃が効いている。


「……まずい」


 魔物が突進する。


「イリス!」


 ノアが叫ぶ。

 その瞬間。


「――そこまでです」


 凛とした声が響いた。

 魔物の前に。

 一人の男が立っていた。

 銀色の髪。

 黄金色の瞳。

 白い騎士服。


「……アルフォンス団長!」


 イリスが目を見開く。


「お待たせしました」


 それぞれ別の場所で魔物を討伐していた騎士たちも、次々と戻ってきた。


 アルフォンスは静かに剣を構える。


「ここからは、私たちに任せてください」


 その直後。


「ったく。派手にやったな」


 別の方向から声がした。


「……総長!」


 ヴィルヘルムだった。

 黒い髪。

 片目を覆う眼帯。

 その姿を見た瞬間。

 イリスの胸に、ほっとしたものが広がる。


「遅かったな、アルフォンス」


「そちらこそ」


「俺は負傷者の救援をしてたんだよ」


「そうですか」


「おい、もう少し労え」


「後にしてください」


 二人は短く言葉を交わす。

 そして。

 同時に魔物を見る。


「……なるほど」


 ヴィルヘルムが口元を上げる。


「随分と弱ってるじゃねえか」


「ええ」


 アルフォンスも頷く。

 そして。

 イリスを見る。


「イリスさん」


「はい!」


「よく持ちこたえましたね」


「……ありがとうございます!」


「ですが」


 アルフォンスは少しだけ眉を下げる。


「無理はしないようにと………」


「……はい」


「では」


 アルフォンスが前を向く。


「ここからは、私たちの仕事です」


「はい!」


 イリスは一歩下がった。


 ヴィルヘルムが笑う。


「イリス」


「はい?」


「お前がここまで削ったんだろ?」


「……はい」


「なら、最後まで見てろ」


 コクリと頷く。

 魔物が吠えた。


グオオオオオッ!


 地面を蹴る。

 アルフォンスが一歩前へ出た。


「――来ます」


 魔物が突進する。

 アルフォンスは。

 動かない。

 直前まで。

 そして。


「――そこです」


 身体を横へ。

 魔物の爪が空を切る。

 その一瞬。

 ヴィルヘルムが走った。


「――もらった!」


 ザンッ!

 イリスが傷つけた脚を。

 正確に斬り裂く。


グアアッ!


 魔物の身体が傾く。

 その瞬間。


「アルフォンス!」


「ええ!」


 アルフォンスが跳ぶ。

 狙うのは。

 イリスが最後まで斬り込めなかった場所。

 右腕の付け根。


「――終わりです」


 ザシュッ!

 深く。

 剣が入った。

 魔物の身体が大きく揺れる。


「グ……オ……」


 ――ドォン。


 巨大な身体が。

 地面へ倒れた。


「…………」


 静寂。

 森の中に。

 魔物の最後の咆哮だけが消えていった。

 イリスは。

 しばらく動かなかった。

 そして。


「……終わった」


 小さく呟く。


「ええ」


 アルフォンスが振り返る。


「終わりました」


 イリスは倒れた魔物を見る。

 自分一人では。

 倒せなかった。

 けれど。

 自分がつけた傷を。

 アルフォンスとヴィルヘルムが使って。

 最後の一撃を入れた。


「……私」


 イリスは自分の剣を見る。

 そして。


「少しは、役に立てましたか?」


 アルフォンスは微笑んだ。


「ええ」


 迷いなく答える。


「十分すぎるほどです」


「……!」


 イリスの顔がぱっと明るくなる。


「本当ですか!?」


「本当ですよ」


 ヴィルヘルムも笑った。


「十二歳の新人にしては、十分すぎるくらいにな」


「えへへ……」


 イリスは照れたように笑う。

 けれど。

 アルフォンスは。

 その笑顔を見ながら。

 ほんの少しだけ考えていた。


 ――この少女は。

 まだ。

 本当の力を使っていない。

 それは。

 戦っていた自分にも分かった。


 そして。

 ヴィルヘルムもまた。

 同じことを考えていた。

 だが。

 二人とも。

 今は何も言わなかった。

 ただ。


 少女が握る白い剣を。

 静かに見つめていた。

 白い騎士服に身を包んだ。

 小さな少女。

 その姿はまるで。


 まだ咲き始めたばかりの――




 白い花のようだった。


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