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第10話、少女の指揮

アルフォンスが去ってから。

 ほんの数秒。

 それだけだった。

 けれど。

 イリスたちのいる場所は、まるで別の戦場になっていた。


「……どうすれば……!」


 ノアが魔物を見つめる。

 目の前にいるのは。


 先ほどまでの魔物とは比べものにならないほど巨大な魔物。

 四本の脚。

 鋭い爪。

 体表は硬い皮膚に覆われていて、生半可な攻撃では傷一つつかない。


「くそっ……!」


 近くの騎士が剣を振る。


 ガキィン!


「なっ……!」


 弾かれた。

 魔物は怯みもしない。


「攻撃が通らない!」


「魔法は!?」


「まだ詠唱が……!」


 魔法師団も混乱している。

 魔法陣を展開しようとしている者。

 負傷した仲間を助けようとしている者。

 恐怖で動けなくなっている者。

 全員が、それぞれ別のことをしていた。


「……」


 イリスは周囲を見た。

 まず。

 目の前の魔物。

 右腕。

 左腕。

 四本の脚。

 動き。

 攻撃の癖。

 次に。

 騎士たち。

 前に三人。

 右側に二人。

 負傷者が二人。

 その後ろに魔法師団。

 魔法師団はさらに後ろへ下がれば、安全な距離を確保できる。


 けれど。

 今のままだと。

 魔物が一度突っ込めば。

 全部が巻き込まれる。


「……」


 イリスの目が細くなる。

 魔物が動いた。


「右!」


 叫ぶ。


「え?」


 ノアが振り向く。


「右側をお願いします!」


「え?」


「ノアさん!」


「う、うん!」


 考えるより先に。

 ノアが右側へ走った。


「前の三人は負傷者を後ろへ!」


「……え?」


「早く!」


「わ、分かった!」


 騎士たちが動き出す。


「魔法師団は、そのまま下がってください!」


「で、でも!」


「今は詠唱しなくて大丈夫です!」


「……!」


「魔物がこっちを狙っています!」


 魔法師たちは一瞬、顔を見合わせる。


「分かりました!」


 後ろへ下がる。

 イリスは剣を構えた。


「……」


 魔物がこちらを見る。

 目が合った。


「……来る」


 次の瞬間。


グオオオオッ!


 魔物が突っ込んできた。


「来ます!」


 イリスが叫ぶ。

 騎士たちが身構える。

 しかし。

 魔物は正面からではなく。

 右へ。


「ノアさん!」


「分かってる!」


 ノアが飛び出す。


「はあっ!」


 剣を振る。

 魔物が腕で受け止めた。


 ガキィン!


「ぐっ……!」


 ノアの体が押される。


「今です!」


 イリスが走る。


「――はっ!」


 魔物の後ろ脚を狙う。


 ザンッ!


グルァッ!


 浅い。

 けれど。

 魔物の動きが一瞬止まった。


「……やっぱり」


 イリスは呟く。

 今の反応。

 間違いない。


「ノアさん! そのまま右腕を抑えていてください!」


「分かった!」


 ノアが魔物の右腕を引きつける。


「左側の二人!」


「はい!」


「後ろ脚を狙ってください!」


「でも、硬すぎる!」


「同じ場所を攻撃してください!」


「……!」


 二人の騎士が同時に斬りかかる。


 ザンッ!

 ザンッ!


 同じ場所に傷が重なった。


グアアッ!


 魔物が吠える。

 そして。

 ――右脚が。

 ほんの少しだけ。

 沈んだ。


「……!」


 イリスの目が輝く。


「やっぱり!」


「何が!?」


 ノアが叫ぶ。


「この魔物!」


 イリスは魔物から目を離さない。


「右腕が強すぎます!」


「……右腕?」


「はい!」


 魔物が再び腕を振る。

 ノアが避ける。

 地面が抉れる。


「でも!」


 イリスは続ける。


「右腕を使った後、必ず――」


 魔物が体勢を戻す。


「――左後ろ脚に体重が移ります!」


「……!」


 ノアが気づく。


「だから、さっき……!」


「はい!」


 イリスは頷く。


「そこだけ、少し動きが遅いです!」


 魔物が吠える。

 再び突進。


「来ます!」


「どうする!?」


「同じです!」


 イリスが叫ぶ。


「ノアさん、右腕を!」


「了解!」


「左側の二人は後ろ脚!」


「はい!」


「残りの人は、正面から注意を引いてください!」


「分かった!」


 騎士たちが動く。

 まるで。

 最初からそう決めていたかのように。

 動きが噛み合っていく。

 ノアが右腕を受け止める。


「ぐっ……!」


 その隙に。


「今!」


 二人の騎士が左後ろ脚を斬る。

 ザンッ!

 ザンッ!


グオオッ!


 魔物がよろめいた。


「もう一度!」


 イリスが叫ぶ。

 しかし。

 魔物が怒りに任せて振り向いた。


「――っ!」


 イリスへ。

 巨大な爪が迫る。


「イリス!」


 ノアが叫ぶ。

 イリスは。

 一歩。

 後ろへ下がった。

 そして。

 爪を避ける。

 ギィンッ!

 爪が木に突き刺さる。


「……」


 イリスは、その腕を見る。

 そして。

 気づいた。


「……そこだ」


 魔物の右腕。

 爪の付け根。

 そこだけ。

 皮膚が薄い。

 いや。

 薄いというより。

 魔力の流れが、そこだけ違う。

 精霊たちが教えてくれる。


《そこ》


《弱い》


《そこを狙って》


「……分かった」


 イリスが呟く。

 剣を握る。

 けれど。

 すぐには斬り込まない。

 魔物の動きを見る。

 右腕を振る。

 体勢が崩れる。

 左後ろ脚に体重がかかる。

 そして。

 右腕が地面につく。


「……今」


 イリスが走った。


「イリス!?」


 ノアが叫ぶ。


「ノアさん!」


「はい!」


「三秒だけ、右腕を止めてください!」


「三秒!?」


「お願いします!」


「……分かった!」


 ノアが魔物へ突っ込む。


「うおおおおっ!」


 魔物がノアへ向かって右腕を振り下ろす。


「ぐっ……!」


 ノアが剣で受ける。


「ありがとうございます!」


 イリスが走る。

 地面を蹴る。

 木の幹を踏む。

 そのまま。

 高く跳んだ。


「――はあっ!」


 剣が閃く。

 狙うのは。

 右腕の付け根。


「グオオオオオッ!」


 ザシュッ!

 深く。

 刃が入った。


「――っ!」


 魔物が絶叫する。

 巨大な右腕が。

 力を失った。

 ドサッ。

 地面に落ちる。


「……」


 全員が動きを止めた。


「……今の」


 誰かが呟く。


「この子……」


 別の騎士がイリスを見る。


「指揮してた……?」


「……新人が?」


 イリスは。

 そんな周囲の声が聞こえていないようだった。

 ただ。

 目の前の魔物を見ている。

 右腕は使えない。

 後ろ脚にも傷。

 なら。

 あとは。


「ノアさん!」


「分かってる!」


 ノアが走る。


「全員、今です!」


 騎士たちが一斉に動いた。

 魔物が最後の力を振り絞る。

 しかし。

 もう遅い。

 動きは明らかに鈍っていた。


「はあああっ!」


 ノアの剣が入る。

 続いて。

 騎士たちの剣が重なる。

 魔物が大きくよろめく。

 そして。


 ――ドォン。


 巨大な体が地面へ倒れた。


「……」


 静寂。

 誰も。

 すぐには言葉を発せなかった。

 イリスは倒れた魔物を見つめる。

 そして。


「……終わった?」


 小さく呟いた。


「……たぶん」


 ノアが答える。


「……」


 イリスは周囲を見る。

 負傷者。

 魔法師団。

 騎士たち。

 みんな生きている。


「……よかった」


 その瞬間。

 イリスの顔に。

 いつもの笑顔が戻った。


「みんな、無事です!」


「……」


 ノアは、しばらくイリスを見つめていた。


「イリス」


「はい?」


「……今の」


「はい?」


「どうやったの?」


「え?」


 イリスは首を傾げる。


「普通に、みんなにお願いしただけですけど……」


「……」


 ノアは絶句した。

 周囲の騎士たちも。

 魔法師団も。

 みんな同じ顔をしている。


「普通……?」


「はい!」


 イリスは笑った。


「だって、みんなで戦ったほうが強いですから!」


 その言葉に。

 誰も返事をできなかった。

 十二歳。

 入団したばかり。

 新人騎士。

 その少女が。

 いつの間にか。

 誰よりも早く戦場を見て。

 誰よりも早く状況を整理し。

 そして。


 誰よりも自然に。

 仲間を動かしていた。

 ――少女自身は。

 そのことに。

 まだ気づいていなかった。


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