後日談 足るを知る
ゴミが不法投棄された裏路地。重い袋を肩にのせてようやく集合場所につくことができた。皆が寝静まった深夜には、人間ひとり見かけない。
実に好都合だ。
「お前ら~飯だぞ~」
俺の呼び掛けに、ゴミの中からギラリと無数の眼光が見えた。周囲からパタパタと音が聞こえ始め、そのうち無数の影が集まってくる。
「ちぅ」
一匹のネズミが顔を出した。それを合図に、さまざまな場所からネズミ共がひょこひょこと顔をだし始める。
たっぷり太った体に艶やかな毛は、こいつらの健康を良く表していた。
「ほら、お前らの好きな人間の子供だ、しかもオス」
ドサ、と重い音を立て、放った袋が地面に落ちる。
中からは新鮮な血が漏れ出し、むわりと鉄臭い匂いが周囲を満たしていく。群れ全体は美味そうな肉に、嬉しそうにはしゃいでいた。
ただ、その中でも代表のネズミが一匹、声をかけてきた。俺の相棒とも呼べる可愛い奴。
「ちぅい」
「ああ、俺は問題ない。先に貰ってる。お前らは好きなだけ食え」
「ちぅ!」
ようやく安心したのか、群れへと号令をかけていた。袋はあっという間に食い破られ、その中身を食いちぎるぶち、ぶち、という音が心地よく響いてきた。
真っ青なゴミ箱に座りながら引きちぎっておいた幼い手をバリバリと食べる。
うん、やっぱり食うなら年齢一桁のオスがいい。メスは脂肪ばっかりで何となく好みではないからだ。
(まあ、コイツらが飢えなきゃ餌は何でもいいけど)
こいつらは、家族というわけではない。
俺は鼠のブギーマンだ。ブギーマンは人間の妄想と恐怖から生まれるが、俺を作った人間はネズミが大の苦手だったらしい。
お陰で人の状態だと背が子供のように低く、時おり馬鹿にされがちだが、ネズミ共とは非常に相性が良い。
(命令もよく聞くしな)
小間使いが多い方が便利なのだ。狙う人間も探しやすい。ネズミ共が探して、俺が攫い殺して、分け合う。お互いに得のある生き方をしている。
「ちぅ」
「あ?あー、そこで食うのはいいけど、汚すなよ相棒」
僕の肩上で子供の指を貪り出す。食べ物、というよりどぶねずみなので確実に汚れるが、まあいい。彼が食べ終わると、俺用の肉を少しわけてやる。
実に嬉しそうにはしゃいでいた。かわいい奴め。
「いいこだ、よしよし」
頭を撫でてやると、素直にちぅちぅと声を出して甘えてきている。これが相性の力だ。どっかのバカでかい黒猫の同郷が彼らに近づいたら、一斉に逃げていくっていうのに。
「あ、やべ。そろそろ夜明けか」
暫く宴を楽しんでいたが、ふと空を見ればすでに白みかけている。忌々しい太陽が当たってしまえば、俺の体は焼け焦げて死んでしまう。それはまずい。
「俺はそろそろ帰るから、相棒、群れを……」
「ちぅ!」
「なんだ、一緒に行くのか?」
コク、コク、と頭を縦に振る。それは良いが、群れはどうするのかと見渡すと、相棒の代わりと言いたげなねずみが俺の側に来て頭を下げた。
随分立派だ。こいつの顔は見たことある。たしか、群れの二番手だ。
「何?世代交代?」
「ちぅー」
「そうならそう言え、驚いただろうが」
ちぅちぅ話を要約すると、俺について行きたいから群れは二番手に譲ったという。相棒の子供達はとっくに別の場所で群れを築いているし、相棒もねずみにしてはいい年齢だ。
もう余生は俺と過ごしたいのだと。
「……しょうがねーなぁ」
相棒を肩に乗せたまま、ゴミ箱から飛び降りる。さぁっと群れが道を開け、踏まれないように気をつけてくれていた。
子供のねずみがすっころんで、母ねずみが慌てて回収していく姿が視界の端に映る。
「気を付けろよ。じゃあまたな、お前たち」
子ねずみを一撫でする。相棒からは早く暗闇へ、と注意が飛んできた。いよいよ本格的に白み始めた空から逃げるように、違法廃棄物のクローゼットの中へ入っていく。
転移。闇を経由する移動は、ブギーマンの得意技。俺たちは弱いが、"逃げ足"ばかりは他のどの怪異にも負けないだろう。
(転移を逃げ足とか言うと、同族に馬鹿みたいに嫌がられるんだけどな~)
同族の集落へと、ぱたぱたと駆け出していく。ローブが邪魔に思えてくると、走り続ける中で自分の形状を変化させていく。
「振り落とされるなよ~」
「ちぅ~!」
でかい影の大鼠になれば、二足歩行の時より一気に速度が上がる。肩の相棒に気を配りながら、俺の住んでいる集落へと、走り続けた。
………
ブギーマンたちが住む常夜の世界。
木々は常に黒々と陰り、其は紫キャンディのような色で塗りつぶされて、地面に足を伸ばすにつれ徐々にオレンジに染まっていく。月は俺たちを照らし続け、ランプの灯りは快適だ。
人間形態に戻ってポケットに手を突っ込みながら、ぶらぶらと歩く。人間界とは違って、夜だというのに豊かな配色だ。
「ちぅ?」
「ん?なんでランプがあるのかって?」
集落にはそれなりにボロ屋が立ち並び、陰鬱な様子ではあるが所々にランプが引っかけられている。中身は月光由来の灯りなので、俺たちを傷付ける心配はない、
「光がないと、闇が濃くならないだろう」
俺たちブギーマンは闇を好む。だからこそ、灯りがあるのが不思議だったのだろう。鼠にしては本当に頭がいい子だ。
「じゃ、酒でも飲みに行くか、気に入ってる場所があるんだよ」
「ちぃーう?」
「ああ、人間の酒なんて効きゃしねーよ。ブギーマン用のやつがあるんだわ」
「ち゛ゅーー」
「ああ、はいはい、飲みすぎねーって」
以前、酔っぱらったまま外に出て太陽に焼かれかけた事がある。偶々相棒たちが発見し、大慌てで日陰に引き摺ってくれたので、その事を咎めているんだろう。
口うるさい奴を連れてきてしまったもんだ。全く、寂しくなくていい。
「ああ、見えてきた見えてきた」
他のボロ屋敷より、少しだけましな風貌のそこ。看板はかすれているが、辛うじて酒のみ場であることが分かる程度。
扉の奥からは、オレンジ色の灯りがぼんやりついている。
「お前が食べれそうな肉もあるといいな」
「ちぅ!」
──チリン、チリン。
「らっしゃーい」
気の抜けた声が店に響く。
店の中は古くさい骨董品が集められ、乱雑に散らばっている。天井の灯りは編み目の籠に入り、心地のいい薄暗さが叶っていた。
(相変わらずの収集癖だなぁ)
人間の見よう見まねで酒屋なんて作ってみたはいいが、どうせ模倣だ。壊れたボタン、片っ方だけの靴。動かなくなった時計に、抜け落ちた羽を保管するビン。異国を感じるカラフルな掛け布に、骨董品のような金継ぎの入った茶碗。
店主の趣味のせいで、全く統一性がない。
(ま、この雰囲気がいいんだけどな)
収集物は店主が頷けば買うことも出来るのだ。集落の外から興味本位でやって来て、酒を片手に買い物をしていく奴らもいる。
狭い店にいる客が、皆平等になんとなく肩身が狭そうなのもいい。
「随分じゃないか、タラスム」
カウンターの奥から声をかけてきたのは、背に梟の翼が生えた店主。レーズファスー・バゴイ。同族と同様、顔は闇で塗りつぶされてはいるが、バーテンダーのような装いはこいつだけだ。
黒鉄の蝶ネクタイには、ご丁寧に金の梟の印が刻まれている。
「よ、バゴイ。今日もツケでたのむな」
「丸のみにしてやろうかクソガキ」
「ちぅ!?」
「あーよしよし、ただの挨拶だよ」
「おや、その子は?」
俺の肩に乗った相棒を、妙に興味深そうに見つめている。群れから引き離すのは嫌だろうと、連れてきたことはないから当然か。俺は大体一匹でいるし。
「あいぼー」
「へぇ、架空の存在じゃなかったのか!」
「おい、ペストにしてやろうかてめぇ」
「冗談冗談」
肩をすくめて静かに笑うバゴイに、軽く首を傾げる相棒。指で頭を撫でてやりながら、少し背が高めのカウンター席につく。
「なあ、こいつに食わせられるような肉は──」
「タラスム」
「んぁ?」
相棒と一緒にメニューを見ていると、声のトーンを落としたバゴイが小声で近寄ってくる。相変わらず背の翼が邪魔そうだ。
「久しぶりのところ悪いんだが、頼みがある」
「何?食糧調達?」
「ツケの分は頼みたいが、そうじゃあない」
珍しく少し困ったように、銀髪の頭をポリポリと掻いている。こういう時は酒場で面倒事が起きたから、なんとかしてくれという奴だ。
「二階にちょっと厄介なのがいてな、何とかしてくれないか」
「あ?なんとか?」
「いやー、面倒くさい雰囲気がプンプンでな」
「ふーん?なんだ、新人?」
「いや、行けば分かる」
「だる、行かねー」
「今日の分はチャラにしてやるよ」
「まじ?乗ったわ!」
「ちぅ゛!?」
目を丸くしている相棒を宥めながら、二階へ駆け上がる。酒場で面倒事なんて日常茶飯事なのだ。どうせ知り合いが小競り合いしているか、酒の勢いで収集がつかなくなっているだけだ。
「ぢーーーっ」
「面倒事受けるなって?いいだろ、タダ酒なんてラッキー♪」
呆れたようなため息をつかれるが、相棒もこういうトラブルは好きなのだ。二つの目は問題が何処に落ちているのかをキョロキョロと探っている。
一階が狭いのだから二階だって程度が知れている。
「あー、あいつだなぁ」
今日は客が少ないようだが、二階は驚くほどがらんどうだ。本当はぽつぽつ居ても良さそうだが、遠くの角のテーブル席で突っ伏してる奴がいる。
明らかにあいつだ。オーラがもう陰鬱そのものだ。
「ちぅ?」
「ああ、知り合いだ」
ブギーマンは人間のような明るい肌色は持たないが、母数が多ければ例外も生まれる。それが目の前で突っ伏している旧友だ。
「おーい、営業妨害だぞ半端もん、起きろ~」
近づいて肩を揺する。仕立てのいいスーツは皺がより、見かけを気にするこいつらしくない。オールバック頂点をつついてやると、思い切りはたかれた。
「起きてんじゃん、半端野郎」
「あぁ゛……?今起きたんだよクソチビ」
実に実にだるそうに旧友が起き上がる。顔が見える前に、自前の帽子を深く被るが、その奥に輝く黄金の目は隠せていない。
「今、何時だ?」
「時計なんて一々気にすんなよ、のいろーぜ?になるだけだぜ」
「ほっといてくれよ」
胸元から銀の懐中時計を取り出している。狼印がついたそれは、奴の神経質な時間管理をよく助けていると思う。アンカーにまで実用性を持たせたがる窮屈さは、相変わらずなようだ。
「どうしたシュヴァルツ、酷い顔だな。話ぐらいなら聞いてやるぜ」
答える前に、どか、っと斜め前のソファ席に座ってやる。肩に乗った相棒が若干ぽんっと跳ねた。
シュヴァルツマン。珍しい人狼のブギーマンだ。
人間のような肉体を持たない俺たちに対して、奴は両方の性質を持つ。だからだろうが、ブギーマンからも人間からも若干浮いた存在といえるだろう。
(ま、それを生かして王の元で仕事してんだから、大したもんだよな)
時間に厳しいのは、その観点もあるんだろう。
集落ができた時の貢献者であるから、気にしてはいないが。
「なんだい、気紛れな君が珍しい、からかいにでも来たのかい」
「そりゃあ優しい優しいタラスム様だからなぁ、ちょっと構ってやろうと思って、友達だろ」
「どうせバゴイに何か言われたんだろう?」
「そんなとこ~」
流石情報屋!と軽く煽って見るが、だるそうにため息をつかれただけだった。こいつらしくない。小首を傾げると、フードと肩にもふっと相棒が挟まる。
「ぢゅっ」
「おお、悪い悪い。なあ、酒頼んでいいか、こいつの肉も」
「勝手にしろ……」
早速置かれていた紙に、メニュー表から食べたいメニューを書き上げる。周囲を見渡すと、角の柱部分に木の洞が空いている。中からは、小さな灰色の梟がじっと俺たちを見下ろしていた。
いや、相棒を見ているなこれ。
「おーい、これをバゴイに」
「……ホゥ~」
相棒をローブの中に隠しながら、指にはさんだ紙をヒラヒラと見せる。目標を隠された梟は、それはもう酷くかったるそうに俺から雑に紙を奪い、階下へ飛んで行った。
あれでバゴイに注文が届く。いいシステムだ。
「そんで?何があった?」
見送った後、シュヴァルツに目線を戻すと、この男は氷の溶け出したカップの酒を見つめていた。ウィスキーなんて人間の酒、よく飲めるな。この酒場は持ち込み可だから、どうせこいつが持ってきたんだろう。
「……トルのことなんだが」
「あ、今日の酒有料でいいわ、俺」
立ち上がろうとすると、すぐにガッと首根っこを捕まれた。衝撃でずり落ちかけた相棒が、必死に布に捕まって足をバタつかせていた。尻を支えて落ちないようにしてやる。
「嫌だ、ぜってーだりぃ!」
「優しい優しいタラスム様が、話を聞いてくれるんだろう?」
「あいつのことなら受けてなかったわ、そっちで好き勝手やってろよ」
トルバラン。
シュヴァルツの友人の怪異だ。俺と同郷であるというだけで話を振られがちだが、あの猫男は正直頭のネジが飛びまくっているのだ。
(シュヴァルツはあいつと仲いいからな、振り回されてるって言った方が正しいか)
今回もそれ系統だろう。面倒だが、単純な力勝負では勝てない。聞くしかないだろう。抵抗をやめたのを見て、シュヴァルツはパッと手を離す。
相棒を定位置の肩に引き上げてやっていると、奴が自分のスーツの中に手を突っ込んでいた。
「見てよ、これ」
ゴト、と机に置かれたのは金縁のブローチ。
キャッツアイのエメラルドという、珍しい宝石が嵌め込まれた逸品。一目見て分かる。
これを持っているのは、あいつしかいない。
「トルバランのアンカーじゃねえか」
「ああ」
「殺ったのか」
「する訳ないだろう?」
アンカーは、俺たちの心臓だ。
生まれ持った性質は様々で、生きる過程で形状は変われど根本の性質は変化しない。
中でも宝石は滅多にお目にかかれないのだ。本来はもっと、酷く禍々しく、取れ込まれそうな魅力があった筈。
それが今は輝きが失われている。人間が作るような、つまらないただの工芸品にでも成り下がったようだった。
「ちぅ……」
相棒が、俺のローブの中から顔を出しじっとそれを見つめていた。こいつにも意味が分かるのだろう。
誰の手にも渡ってはいけないはずの心臓。それが、他者の手に渡ったというのなら、最悪の事態がそこに有るということだ。
「なんでお前が持ってんだ」
「渡されたんだよねぇ」
「誰に」
「トル」
それだけ言うと、ぐったりとソファへ身を預けてしまった。こいつはいつもヘラヘラ笑っているが、俺とは意味が違う。誰よりも鋭い目で周囲を見て、誰よりも警戒し、規律を保とうとしている。そのクッションで笑顔を使っているだけの奴。
そんなやつが、ここまで無防備になるとは。
「あいつはどうした」
灰色のベストから漏れたネクタイが、しわくちゃになって項垂れている。ぼんやり、天井の灯りを見たまま力なくシュヴァルツが呟いた。
「人間と結婚した」
「は??」
シュヴァルツの口から、軽い舌打ちが聞こえる。
「ぽっと出の医者とさぁ、興味があるからって」
苛ついたような、明らかに刺のある声。
普段見せない、こいつの鋭い牙が照明の灯りを反射してギラリと光った。
奴は酷く人間に執着していた筈だ。餌としてではなく、独立した生命として。
「……あいつ相当イカれてると思ってたが、ここまでいったらそういうレベルじゃねーな。人間が家畜と結婚するようなもんだぞ。正気かよ」
俺の言葉が癪に障ったのだろう。今度は盛大に舌打ちが響き、シュヴァルツの貧乏ゆすりは激しくなっていた。俺が今まで見てきたこいつの中で、一番機嫌が悪い。
もう、取り繕うのすら諦めているようだ。
「僕に聞くなよ」
ついでに残っていた酒を煽ろうとしたのか、伸ばした指がガンッとカップを弾いた。傾いたカップは机を踊り、そのまま重力にしたがって倒れ込んだ。
机の上にじわり、じわりと液体が広がる。
「…………ああ、もう」
舌打ちをする元気もないのか、机のスミに置かれたナプキンで雑に拭いていた。エメラルドのブローチにも少し掛かったようで、ポケットから絹のハンカチを出して丁寧に拭いている。
全てをそつなくこなす筈の優等生様が、たった一匹の怪異にずいぶんなことだ。
「それで、シュヴァルツ。結婚とこのアンカーになんの関係性があるんだよ」
奴をみれば、続きをどう言葉にしようか思い悩んでいるようで、口を開きかけては閉じてしまう。
「事の発端に王命が絡んでるから、どこまで言ったらいいか」
「だるさ5割増しか」
今聞いただけでも、王命が絡み、怪異の筈のトルバランが結婚し、相手は人間の医者で、心臓とも呼べるアンカーをシュヴァルツに渡した。
はっきり言って、意味不明すぎる。何がどうしてそうなっているんだ。
「王まで絡んでんなら俺いらねーだろ、王に言えよ」
「もう王命は彼の代理で僕が果たしてる。謁見する理由がないし、それにこんなこと言える訳ないでしょ」
「それで潰れちゃ、王のお気に入りの名が泣くぜ?」
「だったらなおのこと、見せられないねぇ」
奴は手の中のブローチをじっと見つめ、キャッツアイの縦線に沿って一度だけ、ゆっくりと時間をかけて、撫でた。
「……トルは人間が好きだったろう?」
「ん、そだな」
「だから、人間になっちゃったんだ」
「受肉か」
「ああ。もうここに帰らない」
受肉。怪異が人間に成る危険な行為。
トルバランが受肉について深く調べていた事は知っている。
受肉は、ルル・コルコレという同族食いの化け物を人間の肉体に閉じ込め、無力化させる為の技術な筈。少なくともこの集落にいる奴らにはそう伝えられている。
王にさえそうだ。
俺と、トルバランと、シュヴァルツ以外は。
「ちぅーぅ?」
「受肉か?あー、あれはな、本来トルバランが趣味で開発した馬鹿げた技術だ。デメリットが大半だな」
「ちぅ……?」
困惑したような相棒の声に、シュヴァルツが少し笑って口を開く。
「人間を見るにはねぇ、人間として生活するのが一番近道なのさ。だからトルは人間の皮を着るんだよねぇ。彼は人間に大いに興味があったからさぁ」
帽子の影から覗く黄金の瞳は、その奥に渦巻く汚泥のような愛憎の感情を隠しきれていない。
「僕ら怪異は、眼中にもなかった」
シュヴァルツが深く帽子を被り直し、瞳は完全に姿が見えなくなった。なんと声をかけたらいいかと、宙を見る。
小さなハエがふらふらりと宙を舞い、天井の網目に隠れた照明へと近寄っていく。オレンジ色のそれは暖かにハエを迎え入れ。
──ヂヂッ!!
と、あっという間に焼き付くす。
黒い焦げた塊が、力無く地面に墜落し、ころんと跳ねた。
「……生きてるのか?あいつは」
「生きてるよ、まだ、ギリギリね」
シュヴァルツの手はトルバランのブローチを掴み、宝石を撫でる。光を失ったそれは、どうにもガラクタのように見えてしまう。
あれだけ美しいと、無頓着な俺でさえ思っていたのに。
「医者はアイツの正体を知ってんのか?」
「さあ?死んだから知らないなぁ」
「は?死んだ?」
「ああ、交通事故で死んだらしいんだ。噂じゃたしか、飛び出した子供を助けようとして、車にはねられたらしい」
「いかにも医者って感じの最期だな。つーか、それならトルバランを引き戻せるだろ?受肉してても、ここの集落の奴らなら気にしないだろ」
シン、と空気が凍った気がした。
酒場の騒音の一切が遮断されたような、一瞬の静寂が俺たちを包む。
「──離れないんだよ、墓石の前から」
重い、重い口が開く。
「迎えに行ったに決まってんだろ」
ブローチを持つ手に力が籠り、ギリギリ、という音さえ聞こえてきそうだ。
「けどな、幾ら説得しようが、腕を引っ張ろうが、馬鹿みたいに冷たい雨に打たれようが、傘を差してやろうが、トルは動きやしないんだよ」
シュヴァルツの喉が震えている。
腹の底で沈殿する、持て余した疫病のような感情の行き場が無い。
そんな声。
「僕に"お前が欲しがっていたから"とかふざけた理由でコレを渡して、それで、終わりだ。ふざけてるとは思わないかい?僕はこんなもの欲しくはないんだ」
つまらない装飾品に成り下がった、トルバランのアンカー。何の反応もない、あいつが抜け落ちたブローチをシュヴァルツがもう一度撫でる。
「あいつは僕が居ないとどうしようもなく駄目な癖に。僕は、こんな空箱を渡されて、どうしたらいいんだ。これを抱えて、僕はどう生きて行けばいいんだよ」
一瞬見えたこいつの黄金の目は、形容しがたい黒々としたうすら寒い何かが滲んでいる。
「トルがたった一言でもあの末路を言うんだったら……」
シュヴァルツが、小さな小さな掠れ切った声を、口からどろりと吐き出した。
「……僕はトルを殺してでも、連れ戻したのに」
それと同時。
ギィ、ギィ、と階段を上る音がした。
「おーいお前ら、酒とつまみを──」
気さくに声をかけようとしたバゴイの気配が止まる。妙な雰囲気に気付いたんだろう。近付いて姿が見えると、バゴイの肩に例のだるそうな梟がとまっていた。
そっと相棒をローブに隠す。
「あー、もしかして邪魔だったか?」
まさか。タイミングは素晴らしい。
「──いや?丁度相棒も腹減ってんだ、何持ってきた?」
「お前が注文したもんだよ馬鹿、で……」
一拍、間が空く。
奴にはそれで充分なようだった。
「ああ、バゴイさん!悪かったねぇ、追加で注文頼める?」
「あ、ああ。勿論だ」
服は若干乱れているが、いつものシュヴァルツが戻っていた。ヘラヘラしたような笑顔と雰囲気が戻っているのは、流石の芸当だろう。狼より狸を名乗って欲しい。
(しっかりブローチも物の陰に隠してやがる、ほんとトルバラン以外の事なら隙がねぇな~)
バゴイは一瞬困惑したように小首をかしげるが、勢い良く肩の梟に頭がぶつかり、梟が軽くキレていた。
「ホーーー!!」
「ちょ、やめろ蹴るな蹴るな!客の前だ!」
半ギレで主人を足蹴りにしながらも、側から離れない。頭をボサボサにされながらも、バゴイはシュヴァルツの注文をメモしていた。満足したのか、梟は最後に一つ「ホゥ」と鳴くと自分の巣へと戻っていった。
「はは、たいへんだねぇ」
「ったく、まあね。また追加で注文したきゃアイツに頼むよ」
「蹴られないかなぁ、痛いのは嫌いでね」
「機嫌が良きゃしないさ」
後ろを向いて寝る体制に入っているが、まあバゴイに直接言えばいいだろう。忙しい店主らしく、軽い足音でさっさと階段を駆け下りていく音を聞きながら、机に並べられたものを見る。
「相棒、あれなら食えそうだぞ」
「ちぅ!」
ローブから顔をだし、恐らくネズミ用に細かく切られた肉へ、視線が釘付けになっている。机へのせてやると、座ってスンスンと鼻を鳴らしている。表情を見るに、気に入ったようだ。
「ほら、シュヴァルツ。いつまでもヘソ曲げてないで飲もうぜ」
運ばれてきた2本のうち、1本を差し出す。コップはご丁寧に2つ分。バゴイは俺がシュヴァルツ用も頼むと知っていながら、こいつから有料の追加注文までとった訳だ。ちゃっかりしてやがる。
「飲んで吐いたら終わりだぜ、シュヴァルツ」
「はっはっは、いいねぇ、君の事潰してやるよ、タラスム」
「言ったな、俺はそこそこザルだぜ」
「酔っ払った挙げ句、焼けかけた奴が何言ってんだ」
「何で知ってやがる!」
「はっ、王御用達の情報屋を舐なめるなよ?」
「ぢゅ!!」
相棒からお叱りが飛んでくるが、まあいいだろう。
シュヴァルツは笑ったままだが、まだ抜けきれてはいないのは分かっている。だが何時までもぐちぐちと女々しい文句を垂れ流すより、俺はこっちの方が向いている。
「じゃ、かんぱーい」
軽い口ぶりでビン同士をカツンと合わせる。
俺が目線を外した隙に、シュヴァルツがスーツの内ポケットにブローチを仕舞い込んだことなど、見なかったことにしよう。
相棒が嬉しそうに肉を齧り、旨い酒が飲め、友人と笑い話が出来る。
俺にはこれで、もう充分だ。




