第三章 三話
家の地下。
透明なポッドの前で、パイプ椅子に座りながらぼーっと眺めていた。中には出来かけの娘の肉体。
再生の軸となっているのは、唯一残った彼女の目。そこから遠い体は、再生が遅れている。
上半身は辛うじて見れるものになっているが、内臓は再生の遅れが顕著だ。瞳は閉じたまま、聞こえるのはポッドの鈍い機械音だけ。
「……」
手に持ったメモの束をパラパラを見る。
今までどうやってニーナの身体を組成したのかがびっしり書き込まれているが、これは完璧なものじゃない。あの本は、命を戻す方法だけがどうしても見つからない。
「……受肉組成録、か」
あれは、何かの帰り道だった筈だ。
夜の闇市で本を見つけたとき、珍妙なタイトルだと思った。死者蘇生の魔法など存在しない。死んだものは生き返らない。そもそも受肉組成、とはいったい何を指すのだ。馬鹿馬鹿しい。
それは高名な司祭様であっても、奇跡を持つ偉人でも、成し遂げることは不可能だ。それはもう、神の所業になるだろう。
『そこのお兄さん、どうだい。世にも珍しい死人を甦らせる方法が書かれたイカれた本だよ』
それが、どうだ。店主の声かけに知らぬ間に引き寄せられ、手に取ってしまった。中身をめくって確認する前に金を払っていた。
緑の装飾がされた、黒い本。
机の上へ無造作に紙束を放る。これよりも、原本であるあの本を彼から取り返さなくてはならない。
『あれはな、ヴィクトル。死者を生き返らせるようなものでは──』
軽く頭を振った。
トルバランは観察が好きらしい。だから、あの言葉は私を惑わして観察するために発せられた言葉の筈だ。
ルール外の彼のことを、信用してはいけない。油断すればすぐにでも窒息させられてしまうだろう。
「……ともかく、トルバランから本を返してもらわなければ」
「呼んだかね、旦那様」
ヒュッ、と喉に空気が入り込んだ。
立ち上がって慌てて振り替えると、ヴィレナさんの肉体を被ったトルバランが当然のような顔でそこにいる。
容姿は美しいままなのに、表情が抜け落ちている。それが平常運転なのだろう。あの顔には慣れたが、神出鬼没具合にはどうしても慣れない。
「ポッド以外の明かりも付けずに何をやっている」
「……あなたが壊したんでしょう」
「おや、そうだったか?」
「ここに来ないでくれと、何度言ったら分かってくれます?」
「私の研究を再現しているのだろう。それならば、技術の提供元である私が見ても文句はあるまい」
深緑のショールを肩に掛け直しながら、カツカツとハイヒールの音を鳴らして近づいてくる。歩き方は令嬢の振りをしていた時と違い、随分大股だ。肩に掛かる黒髪が、絹のように揺れているのだけは変わらない。
同じ位置までくると、私の顔を一瞥だけしてポッドに目を向けた。
「あなた、ここで私に殺されかけたこと、忘れたんですか」
「覚えている。へっぴり腰の攻撃の事だろう」
「…………へっぴり腰」
「致命傷となるには充分だった。お前の殺意も本物だった。しかし人を悪意で傷つけ慣れないのが丸分かりだ」
私が刺した胸の辺りを、その白い指がスルリとなぞった。もし、私が害したのがトルバランでなく、本当の生きた人間であったとしたら。足の指先から背中にかけて、ゾッと冷たいものが走る。
あの時の私は、なんの躊躇も無く武器を手に取った。理性に、攻撃をしない、という選択肢が無かった。
唇が、喉が、わずかに震える。
「……当然でしょう。人を殺したことなんて、ありません」
人を殺したことがない?違う。相手がもう死体だったから。中身が肉体のない化け物だったから。結果的に殺さずに済んだ。
それだけだ。
「殺人に関しては素人丸出しだ」
「……食人鬼に比べたらそりゃ、そうでしょう」
普通の人間とこんな会話をするのなら、きっと言葉で糾弾されるだろう。中身がどうあれ、妻を殺すような行動を取った。だからおまえは人としてどうかしている。きっとそんな言葉で。
それは当然で、私が受けるべき非難だ。
「ふむ、しかしな」
だというのに、トルバランが口を開くと。
「あれは娘を守る防衛本能だろう?」
調子がどうにも崩れてしまう。
「……ヴィレナさんの身体にも、消えない傷をつけてしまった」
「しからば責任を──いや、そういえばもう取ってもらっていたか?」
わざとらしく肩をすくめるトルバラン。いつもより少し抑揚のある声。
無意識に身構えていた身体から力が抜け、固く握っていた拳を緩めるために握り直す。はあ、と息の抜けていく小さな音が口から漏れた。
こんなくだらない返答に、どうして私は安堵を覚えているのだろう。
「……それで、何をしに来たんです」
「お前が食事の時間になっても、地下から上がってこないからだろう。わざわざ私が呼びに来たのだよ」
「リベールですか」
「ああ。お前も地下を見られると都合が悪かろう?」
「あなたに、そんな気遣いが出来ることが驚きですね」
「私もコレの完成を見届けたいのだ」
彼の目線はニーナに向けられる。
自然と私もそちらに目を向けた。未完成の人皮に、垂れ下がる修復途中の内臓。顔は本物のあの子と見紛うが、その瞳は固く閉ざされたまま。
「気になって仕方がないのさ」
彼女の指が、ガラスをゆっくりとなぞる。
白皙の肌は変わらずポッドの青白い光を受けて輝いていた。
「おまえは、人工的に作られた有機物は、果たして人間になり得ると思うか?」
「……何が言いたいんです?」
ただの研究成果。この怪物からみたら、きっとそれだけの現実なんだろう。人情溢れることを口にしたと思ったらすぐこれだ。
人の娘を「コレ」と表して、挙げ句の果てに有機物だと。
「そう睨むな。単に興味の話をしている」
「……私の娘は、コレや、有機物、という名前ではありません」
「ではどう言ったらいい」
乾いた死体の真っ黒な目が、ぎょろりと私を見下ろした。
「ニーナ・ラヴェニはもうこの世にいないだろう」
バチッと目の前に火花が散った。
私が胸ぐらを掴むのと、相手が話終えるのは同時だったと思う。光を映さない黒い眼球がぐりぐりと動く様が視界に飛び込む。
「貴様……!」
ギリギリ、と握った拳に音が鳴る。
だめだ、殴るな。ここではニーナが見ている。
やめろ、やめろ、やめろ。
「はは」
視界が赤く染まって、相手の顔がよく分からない。肥大化したかさついた唇が私の目の前でぐにゃりぐにゃりとその形を変えている。
黒い大きな眼球が、にぃ、と細まった。
「ヴィクトル、お前は愚かだな」
ガシッ。
枯れ枝のような細長い手が、私の首を掴んだ。瞬間、息が詰まり呼吸が出来なくなる。失敗した呼吸音が口から漏れ出た。
「父の性とはいえ、私を排除すれば夢は叶わぬというのに。そんな細い腕で何を抵抗できると思うのか」
「っ…!」
そのまま掴みあげられ、足が浮いた。
必死に首を掴む手を除けようとするが、力が入らない。バタバタと無意識に足が動くが、無意味な抵抗だった。
「しかし、耐えたのは褒めよう。お前は生きる権利がある」
視界が点滅する中、ギッとトルバランを睨み付ける。黒い視線が交わって、ふっと笑う声が聞こえた。
「よろしい、息を吸え」
「あッ゛!?」
そのまま思い切り下に振り抜かれる。普通はそんな程度の力で動くわけがない。しかし身体は体勢を崩し、床に倒れ込んだ。
ゴチンッ゛!!
頭部に鈍い痛みが走る。同時に、身体に軽いなにかが当たってガラガラと音がした。視界を揺らして正体を探すと、パイプ椅子が無惨にも転がっている。
「あぁ゛っい、づ……!」
カツン、と音を立て急に視界を埋め尽くしたのは黒いハイヒール。光で煌めくそれが視界に入り、ぐらつく頭を押さえながらスカートを伝ってゆっくりと視線を上にあげる。
ヴィレナ・フランの顔が、楽しそうな笑顔で私を見下ろしていた。
「お帰り、ヴィクトル」
『彼女』が脚を折り畳み、しゃがみこむ。ポッドを背にしているせいで青白い逆光を浴びているせいか、やたら眩しくて顔が見辛い。
点滅する視界のなかで、私を覗き込む「彼女」の癖のある黒髪が私の頬を撫でる。白い手が私の顔に振れ、ゆっくりと顎の下まで撫でていき。
「……っ、な、にして」
びく、と身体が震える。頭痛も視界も酷い中、何故そこをかしかしと掻かれているのかが理解できなかった。抵抗もできず困惑していると、次に白い指は私の口に指を入れる。
「あ゛!?」
指が舌の上を這いずり回り、無理やり開かされる。嫌な水音が脳に響いて気持ちが悪い。不意に正中溝をぐっと押されると、汚い音を出してえずいてしまう。
「あ゛、え……」
「唇は切れているが、舌は切っていないな」
ようやく口の中からずるりと指が出ていった。つられてかかる銀の橋が気持ち悪くて、急いで口を拭う。
「けほっ、けほ、な、何だよ……!」
見るといつのまにか、相手はポッケから青いハンカチを取り出していた。見たことあるなとぼんやり思っているとさっさと手をぬぐって、今度は私の前髪を避け、額に指を先を滑らす。
ぬるり、とした感覚が肌を襲った。
「ふむ、たかだかコンクリートに頭を打った程度で傷が付く。人間は簡単に死にすぎるな」
彼女の手につく、赤い血。
現実感の有るものが視界に入り、冷や水を浴びたようにさぁっと思考がクリアになる。
相手が手を引いたときに付着していたものだ。多分、転んだときに頭を切ったのだろう。これなら派手に見えるだけで傷の深さは、浅い部類だろうか。
一拍、二拍。沈黙が落ちた。
そうだ、職業病を発症している場合ではない。
「…………あなたは」
耳に低く響く機械音。暗い地下。ポッドの青白い光。黒い大きな女性の影。横たわるコンクリートの床は冷たく、身体の力を抜くとコツン、と頭と軽く衝突して痛かった。
「…………人をなんだと、思ってるんですか」
「ん?」
きょとんとした顔で、相手は小首をかしげた。
急に正気に戻ったせいか、鉛のような疲労感が襲い来る。そのくせ緊張が解れないのか、指先は震え、視界も赤みが戻らない。
ただ、嫌みを言うぐらいなら充分だ。
「……この、寄生生物が。加減ってものを、知らないんですか」
くっく、と圧し殺したような笑いが上から降ってきた。何がおかしいこの野郎。
「必要か?私は殴られる直前だったのだよ?このか弱き淑女の肉体であれば、充分正当防衛だ」
「何がか弱き淑女ですか、くそ。……あっ」
立ち上がろうとして、やはり足元がふらつき転びかけ。
「おっと」
トルバランが私の身体を支え、立たせる。
体温の感じられない氷のように冷たい身体。人間とは違う、一切の鼓動の感じられない死体。
「ヴィクトル」
「……」
だめだ、少し視界がぐらついている。どうでもいい思考が溢れ、言葉が出てこない。
トルバランに至っては軽く思案でもしているのか、それとも意図をくみあぐねているのか。しばらく沈黙が落ちた。
突然、彼が口を開く。
「ヴィクトル、これは何本に見える?」
「へ」
予想外の質問につい上を見ると、トルバランが指を三本立てて揺らしていた。それを目線で追いながら、ぼんやりと答える。
「三本、ですね」
「20×10は」
「200」
「先ほど私が呼びに来た理由は?」
「私が時間になっても来ないから……いや、気がおかしくなったわけじゃ無いんですよ」
意識を確認されたところで、問題はない。
妙な質問をして化物に正気を疑われるなど、人間としてどうなのだ。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。彼には認めさせなければいけないことがある。
「……トルバラン」
「何だ」
「本を返してください」
「受肉組成録をか」
無言のまま頷いた。
トルバランはじっと私を、私の目の奥を見ようとしている。意図を汲みあぐねているんだろう。
「それさえあれば、私はあの子を取り戻せる」
ニーナの身体は、息をしていない。
そんなことは理解している。しているが、それでも肉体はここに存在している。
それなら、彼女はここにいる。
「ふむ……」
受肉組成録、なんてものを書き上げるこの化け物が、人間を興味深いものとして観察を続ける彼が、彼女を生き返らせるヒントさえくれたとしたら。
あの子は、きっと戻ってくる。
「信じないでいい。でも協力しなさい」
初めて「トルバラン」を見た日。
私を断罪しながら、自分に都合のよい要求を突きつけてきた言葉を思い返す。
「私はお前の言う『煌めき』なんて訳の分からないもの、持ってはいません。ですけど」
ただ青白い光を反射するだけの黒い目。
そこに写る私は、随分酷い顔をしていた。
「私はあの子を、絶対にあきらめない」
そのために、この化物の協力は必要不可欠だ。
「私はあの子に帰ってきてほしい。その為なら神に背こうが、人を傷つけようが。私はきっとやるでしょう」
「常に命あるものは亡き者を憂い、取り返そうとする。神さえも違いない。そして、失敗してきた」
見上げた彼の瞳は真っ暗で、どこまでも私を見抜いてくるような気がする。
「ヴィクトル、お前は何故それを繰り返す?」
その奥にあるのが私への好奇心なのか、それとも人間への知識欲求なのか、判別は付かない。
人知を越えた力を持つ怪物が、私を見ている事だけは確かだ。
「私が、あの子の父だからです」
ぎょろり。と、彼が目を見開いた。
この怪物は本当に異常者に他ならない。突き放して糾弾をするのが、普通だろうに。
「本当に、愚かだなぁ、お前は」
トルバランが、私の身体を引き寄せる。
怪異として、それが何を意味するのかは分からない。人間としての親愛なのか、蛇のように肉体を使って捕食の時期を計っているのか、全く分からない。
「お前を見て間違いはなかった」
そんな言葉は、是非聞き間違いであって欲しかった。
…………
「ちょっとー、お嬢様、旦那様!ご飯がさめて……」
途中まで文句を言おうとしたリベールが、私の姿を見てぎょっと目を丸くする。
「旦那様!血が!何したんですか!」
「転んだだけです」
「なんてあっさりしてる!お食事の前に治療ですよ治療!備品ありますよね!?」
私の首根っこを掴んでバタバタ診療所にいこうとするリベールは、少し落ち着いた方がいいかもしれない。われ関せずといったようにのんびりとイスに座る彼女をみながら、何となく目線を外に移す。
長雨が続き、ぼとぼとと大粒の雨音がする。
それ以外はごく普通の天気。
──二人が地下室を出た後。暗闇の中に紛れるように、もぞりと奇妙な物が動いていた。




