第39話 外堀は埋められて
「え、と……」
「デビュタントもまだだったからね。対外的には、君は病弱な深淵の令嬢。
後ろぐらいことも、なんの落ち度もないよ」
――いや、包帯ぐるぐる巻きの病弱な令嬢が居るわけがない。
リンはもぞもぞと動き、なんとか両手でライラックの拘束から逃げる。彼は意図も簡単に解放してくれた。
「私が家を出たのは、十歳で……」
十歳で家を出た。孤児院で生活し、兵になり、潜入調査をした。
その間ずっと、病弱ということにして籍を残していたという。
リンは頭を押さえて、懸命に思考を巡らせる。
――普通、死んだと思わない?
子どもの暴挙に、除籍をしてもおかしくなはない。
リンはむしろ、そうであってほしかったから手紙も残したのだ。
「ちょっと出掛けていただけだろう。アスフォデルに留学……ああ、花嫁修行に来ていたことにしてもいいな」
名案だと、ライラックの口調は軽いままだ。流されているリンとの温度差が、それはもうすごいことになっている。
「ロスは知らないだろうけど。私、肌もボロボロで、剣ダコも……」
――そんな令嬢、居るわけがないだろう。
リンは口にして、さらに自虐的な気持ちになった。
虚しさが込み上げてきて、泣きたい気持ちにかられる。
後悔はないが、空回りがすごいと知ってしまったからだ。
「リアが、頑張ってきた証拠だね。どんな君も愛おしい」
うんうんと頷いて、ライラックはリンに手を伸ばすと、再び優しく抱き締めた。
――ああ、これダメなやつ。
何を言っても、ロスには全肯定されてしまう。
そして、リンが何を並べてもうまく処理されていきそうだ。
ぐぅ。
「――っ!」
「ああ、食事にしようか、傷の手当てもさせよう」
気が抜けたのか、空腹を告げる間抜けな音が部屋に響いた。
羞恥でお腹を押さえるリンに、ライラックは額にキスを落とすと部屋の外へと食事を頼みに行った。
少しして部屋に入ってきたのは、ライラックではなく、砦で肩の傷を手当てしてくれた女医だった。
「あの時は、どうもありがとう」
「こちらこそごめんなさいね。仕事だったから」
そういって、リンの手の包帯をするすると外していく。
手の甲、ほとんどの腫れが引き、赤黒い内出血と裂けた皮膚は瘡蓋が痛々しい。
腕の火傷は小さな水ぶくれが所々に見え、焼けた皮膚の下は、新しい皮膚が出来つつあった。
「もう少しかしらねぇ。滲みたらごめんなさいね」
軟膏を取り出すと、女医は傷に塗っていく。そうして、先程よりも薄く包帯を巻いていった。指が見えて、曲げられるようになる。
「次は背中ね」
そういって、背中の傷も同様に手当てをされる。
ヒリヒリとした痛みはなく、軟膏が冷たくてくすぐったいくらいだった。
「痕になる?」
ふと気になって、リンは訊ねた。
「傷は残らないわ。グラシオラスの傷薬、効果はとてもいいの。加護で薬効を上げているそうだからね」
「……そんなこと出来るの?」
傷が残らないと言われ、安堵もつかの間、リンは驚いてさらに質問した。
「私、魔法使いではないから原理を詳しくは知らないの。
気になるなら、陛下に聞いてみると良いわ。詳しいから」
服を着こんで、前のボタンを留めながら女医はそう微笑んだ。
リンはそれに、素直に頷いておく。
「手は痛むほど使っちゃダメよ。腫れが引いて、包帯を減らしただけだからね」
「ありがとう」
女医とすれ違いに、タイミングを計ったように、ライラックが部屋へと入ってくる。
その手の皿には、食べやすい大きさにカットされたフルーツが抱えられていた。
テーブルに皿を置くと、ライラックは当然のようにリンを横抱きにし、ソファへと腰を下ろした。
「はい、リア」
「いや、自分で食べ――」
リンが口を開くと、そこへフルーツを入れられた。
「私の幸せ、取らないで?」
「……っぐ!」
金の瞳を潤ませて上目遣いに覗き込むライラックに、リンは思わずフルーツが喉へと詰まりそうになる。
軽く咳き込んで窮地を脱すると、リンは飲み物を勧められた。
グラスを黙って受け取ると、こくりと飲んだ。
「あのね、私……」
小腹が満たされたところで、リンは話を切り出した。




