第38話 抜かりなく整えてあるから
「ん……」
もぞりとリンが身じろぎをすれば、ぎゅっと力強く抱き抱えられた。
その相手が誰なのか、もう見なくても分かっている。
気恥ずかしさと安堵がぐちゃぐちゃで、そっと頬に手をやると、ヒヤリとした冷たさを感じた。
――みっともなく泣いてしまった。
きっと、目元も腫れているだろう。今世でこんなに泣いたのは、死に戻ったあの時以来かもしれない。
慣れない生活も厳しい訓練も、死に戻ったのだからと全てを飲み込んだ。
欺き、偽り続けたことが、後ろめたかった。
そして今、それでも良いと言われてしまった。この腕の中は温かい――でも、それに甘えて良いのだろうか。
「……これから、どうしよう」
お帰りと言われたけれど、ジェンティアンの家にリンは帰れない。
まだ自分の中でも、折り合いがつけれていない。顔を合わす、勇気もない。
アスフォデルの国にも帰れない。女とバレてしまったのだから、兵として元の生活には戻れないだろう。
「リアの望むままにしよう、と言いたいところだけど。
待つのは婚姻だけで、私の前から居なくなるのは、認めないから」
いつから起きていたのか、リンの呟きをライラックが拾った。
ぎゅうぎゅうと抱きしめて、甘えるようにすり寄ってくる。
「え、と……。陛――」
「ロス」
聞き捨てならない言葉を聞いて、リンが訂正しようとする。すると、ふて腐れたような声が返ってきた。
「ロス、婚姻って……待って。そんなに簡単な話じゃないって、私、さすがに知ってる」
その少年のような態度に呆れつつも、リンは呼び方を改めた。
王太子としての実績が、とライラック自身も言っていたではないか、そうリンは思い出す。
けれど当然のように告げられたのは、暗い響きをはらんだ底知れない情念だった。
「どうして? 私の決定に、リア以外の誰が異を唱えれると思ってるの?」
背筋が凍るほどの甘い声で、とても不思議そうにライラックはリンを見つめている。
「人? 国? 大丈夫だよ。リアの意思をねじ曲げるものは全て、無かったことにしてあげるから。
ミレットも、もうリアが気にすることは何一つとしてない」
「……子どもたちは無事、なんですよね?」
その狂気ともとれるライラックの発言に、リンは気づかぬまま、ふと別のことを思い出していた。
キチンと聞けていなかったと気づき、確認する。
頭に浮かんだのは、怯える子どもたちと魔法使いとしてどこか異質な子どもたちだ。
「親元へ帰ることを希望する子どもは、無事に帰したよ。孤児や魔法の素養を持つ子は、グラシオラスへ引き継いだ。
あそこは教育大国でもあるから、安心して」
ライラックは、はぐらかすこと無く、リンへその後を語る。
「開戦に辺り、事前にかなりの根回をしたから、無関係な国民の死傷者は報告を受けてないし、兵はもう帰還させた。
ミレットの王族、貴族はそれぞれに拘束、懲罰の対象者は特定済みで、すでに国としての体は成してない。迫害は、各国が許さないしね。
今後のミレットはアスフォデルの属国というか……大昔は一つの国だった。それが元に戻るだけ、心配はいらない」
そこまで聞いて、リンは目の前のライラックを見て気づく。
アスフォデルの国王である彼は、ここにいて良いのだろうか。起きる気配が全くないのだが。
「だったら、ロスは国王として忙しいのでは――」
「リアを見つけるのに、国王である必要があっただけ。他のことは父上含め、やれる人がやればいい」
さらりと職務放棄をして見せたライラックは眠たそうにしている。
のんびりした様子にリンは慌てた。彼の父は数年後、病に倒れるのでは無かったか。労るべきではないだろうか。
「ロスのお父様は、病が――」
「あれはただの八方美人の過労。そんなの即位した時に全て粛清して整えてきたから、父上の心配はもう要らない。
というか、リアに気にかけてもらえるなんて……馬車馬のごとく働かせるしかないな」
独占欲を剥き出しにして、ライラックは苛立ちを隠さずに言う。
最後の方は低い呟きで、リンはうまく聞き取れなかった。
けれどその口ぶりから、父のことをライラックが相当毛嫌いしているらしいとは分かる。
「ロスはお父様が、嫌いなの?」
「あれは王の器じゃない。外交しか取り柄がなくて、自国の管理も出来ないのだから。
リア、さっきから父上のことばっかりで酷いな。ねえ、もう婚姻済ませていい?」
「え? ちょっと待って。どうしてそうなるの、それに私……」
おもむろにリアの頬へと手を添えて、ライラックは顔を近づける。
コツンと合わさった額から、視線を泳がせてリンは必死に逃げた。
嫌な予感がするのは、なぜだろう。
「リアはまだ除籍されてない。ミレットのジェンティアン伯爵家の令嬢のままだよ。
ああ。ミレット解体後は、ジェンティアンは内部告発の功績で、アスフォデルの爵位をあげるから安心して」
婚姻に関して何も障害はないのだと、再度ライラックは告げる。
捨てたはずの何もかもが、まだあるのだとリンは目の前に突きつけられ困惑を極めた。




