9.過去:最強女辺境伯、彼の固有魔法について心配する②
そうして、試験的に植えられた小さな小麦畑を見て、カルロッタは目を見開いた。
(本当に芽が出ている……)
整備された畝に一直線に生える芽は、なんとも青々しい。
ここまで綺麗に生えるとは思っていなかったカルロッタは、純粋に感心した。
「すごいな、テリウス! みんなも驚くぞ!」
「ほ、ほんとっ?」
「ああ。なんせ今までは、芽すら生えなかったからな!」
小説を読んで彼の固有魔法を知っていたカルロッタでさえ驚いたのだから、家臣たちの反応など言わずもがなだろう。
そしてこの成果があれば、テリウスに対して文句を言うものはますますいなくなるはず。そうすれば自ずと、レッサリウムが彼にとっての居場所になれる。
そう思い、カルロッタが胸を撫で下ろしていたのだが――それから数日して、それが浅はかな考えだったと知ることになる。
というのも。
「カ、カルロッタ、どうしよう……! 僕、とんでもないことをしてしまったかもしれない……!」
そう、テリウスが泣きついてきたからだ。
何事かと思ったカルロッタが、テリウスを宥めつつ一緒に小麦畑を見に行ったら、そこには信じられないような光景が広がっていた。
「な……なんだ、これは……?」
たった数日。それだけしか経っていないというにもかかわらず、小麦がこれでもかと育っていたのだ。
青々とした小麦は、カルロッタの太もも辺りまで伸びている。出穂もしており、あとは花を咲かせるのを待つばかりといった様子だ。季節を無視して、もう実がつこうとしている。
カルロッタは参った。まさかここまで生育が早いとも、テリウスの持つ力がこれほどまでとも思っていなかったからだ。
(いや、でもまぁ、悪いことじゃあ……ないよな……?)
問題は、この状況を周囲にどう説明して、収拾をつけるかだ。
そんなふうに考えつつ、自身の仕事もありバタバタしていたのがいけなかったのだろうか。
小麦の花が咲く頃、とんでもないことが起きた。
大量の魔物が現れたのだ。
――それも、小麦畑に向かって一直線に進む形で。
長年培ってきた魔物退治の経験があったことと、畑を街から離れた場所に作ったために、大ごとにならずに済んだが、流石のカルロッタもこれにはヒヤリとさせられた。
同時に、原作の展開を思い出してゾッとする。
(はじめは、テリウスが闇堕ちしたから、彼が魔物を率いて世界を滅ぼすラスボスになったんだと思っていた。だが違ったんだ……彼の魔力自体に、何かある……?)
思わず深く考えを巡らせようとしたときだった。
テリウスが、震える声で告げた。
「ぼ、僕のこの力……危ないものなんじゃ……」
自分の両手を怯えた眼差しで見て、不憫なほど震えている。
その姿を見た瞬間、カルロッタは我に返った。
(そうだ、一番衝撃を受けたのは私などではなく、テリウスだ……)
とにかく今は、彼を落ち着かせなくては。
そう思ったカルロッタは、できる限りいつも通りの声を心がけながら、彼の視線を合わせるべく屈んだ。
「何を馬鹿なことを言っているんだ、テリウス。力は決して悪じゃない」
「で、でも、カルロッタ……僕、僕のせいで魔物が……っ。魔物が多い土地で僕がいたら、他のみんなを傷つけるんじゃ……!」
「ならテリウス。私と一緒に考えよう。どうしたらその力を、レッサリウムのために活かせるか」
カルロッタが彼の肩を掴んで告げると、怯えと絶望に染まっていた彼の瞳に、ほのかに光が灯るのが分かった。
それを見逃さず、カルロッタはたたみかける。
「先ほども言ったように、力は決して悪ではない。毒と薬を分けるのは何か知っているか? 容量だ。それと同じで、君の力だって使い方次第でいくらでも化けるはずだ」
「そ、そうかな……」
「ああ。それに、最初から力の使い方を知ってる人なんてどこにもいない。だから人は練習を重ねるんだ」
「……で、でもその間に、何回も失敗するかもしれない……」
「そうだな。だから、魔物が来ても問題ない場所に研究所を一つ作ろう。そしたら、万が一が起きても対処できる」
「……せ、成功しなかったら? 今回以上にとんでもないことが起きたら、どうするの……っ!?」
「私が止める。それだけの実力はあると自負しているからな」
テリウスはまるで、自分のことは捨ててくれと言わんばかりに言うが、カルロッタが彼の手を離すことはない。
(というより、離せるわけがないだろう……)
一緒に過ごした日は一年と、彼女の人生からしたらそう長くはないが、既に情が湧いてしまった。
何より、両親を亡くして、レッサリウム城からは笑い声が消えた。カルロッタだけしかいないからだ。
そんなあの広いレッサリウム城で一人過ごしていたカルロッタにとって、テリウスの存在は花のようであり、空からこぼれ落ちてきた星のようなものだった。
からかえば顔を赤くして怒り、上手くいけば喜ぶ。
今回だってそうだ。いいことがあれば、テリウスは真っ先にカルロッタに報告しにきてくれる。
執務室で書き物をしていても彼の足音の区別がつく彼女は、いつしか、彼が来訪するのを心待ちにしていた。
そしてそれは、城の使用人たちも同じだ。テリウスのおかげで明るくなった城の空気に、表情を綻ばせることも少なくない。
テリウスにとって、レッサリウム城が救いの場所であるのと同時に、レッサリウム城の者たちにとっても、テリウスは窓辺から差し込んだ光のように温かな存在なのだ。
だから。
「テリウス。私は君を決して見捨てたりしない」
「ッ!」
「けれど、無理強いもしない。やりたくないならやらなくていい。だが……だが、それでも役に立ちたいと、自分の力をきちんと使えるようになりたいと君が思うなら。私はいくらでも力を貸そう」
カルロッタは知っている。前世のうちから、いくら逃げたところで、問題はいつかまた表面化するということを。
そしてテリウスの場合、原作の流れが存在する上に、皇族同士の争いごとがある。だからそれは後から確実に、彼の身を蝕む毒となるだろう。
だが、それはテリウス自身で決めるべきことで、カルロッタが言うべきことではない。
だって今の彼に一番必要なのは、『安心して過ごせる家』なのだから。
そう思い、カルロッタはテリウスの言葉を待った。
それから少しして、テリウスはグッと唇を引き結ぶ。
「……僕、やる。やるよ」
「テリウス……」
「だって僕は、逃げられないから」
瞳に涙を溜めながらも気丈に振る舞うテリウスに、胸が締め付けられる。
こういうふとした発言で、カルロッタは彼がとても聡明な子どもだということをよく教えられる。
カルロッタは、ぎゅっと目を瞑ってから見開き、テリウスを見た。
「分かった。君のために、最善を尽くそう」
「うん。……僕、カルロッタがそばにいてくれるなら、頑張れるよ」
そんないじらしい言葉と共に笑うテリウスを、カルロッタはそっと抱き締めたのだ。




