ユノの芝居とバカな僕
怪しいのは地下か。
ラウンジでの情報収集も必要だ。
なら、俺が適任かな?
と、ユノが言った。
オイレさんの件があるのだろう。
ユノはどこか慎重だった。
普段なら、単独で楼内を見て回る、と言い出しそうなものなのに。
流石に、ユノ一人を送り出すわけにはいかない。
僕は遅ればせながら、腹をくくった。
「リシアのやり方じゃ、スキがなさすぎる。お前をいくら格好よく演出したって、意味がねえ」
ユノはそう言って、黒服に声をかけ、ラウンジの中でも特別よさそうな席を要求した。
***
天蓋があり、でかいベッド。
目の前には、音楽を奏でるホールが広がっている。
よく分からないけれど、とにかく高級そうな席だ。
一体いくら掴ませたんだろう、と不安になる。
けれどユノは、平然と席につき、酒を一口飲み、
「……美味いな」
しばらく酒を楽しんだかと思うと、
「つまらないわ!」
と、突然大きな声を張り上げた。
「わたくし、もう少し楽しい場所を想像しておりましたのに!
これでは、他のお店と大差ないじゃございませんの!!」
ユノが、完全に女の子の声を出している。
いつもは、どすが利いているどころじゃない低音なのに。
僕は動揺して、ただ頷くだけの紳士すら演じられていない。
リシアも無表情ながら、なんだか少しポカンとしているように見えた。
ユノは構わず続ける。
「ご主人さま、退屈で退屈で、たまりませんわ」
芝居を打ちながらも、抜け目なく、自分のグラスに注がれた酒を飲み干すことは忘れない。
すると、おどおどしている僕の元に、仮面をつけた男が颯爽と現れた。
僕と同じような、王子様めいた服を着ている。
「お嬢様方、お困りかな?!」
顔は知らない。
けれど――その孔雀みたいに派手な仮面には、見覚えがあった。
店に入った時から、ねちっこい視線を送ってきていた男だ。
男は、別の女のところに向かう。
連れの女たちなのだろう、やっかみ混じりの声に、満更でもなさそうな反応を返してから、
「ちょっと待っておいで」
と彼女たちに言い、招かれてもいないのに、僕たちの席に腰を下ろした。
「あら、ずいぶん不躾ですのね」
クスクスと、ユノが面白そうに言う。
その反応に気を良くしたのか、男は芝居がかった仕草で言った。
「嫌なら、黒服かメイドを呼べばいいさ。
ここは自由恋愛の場だ。愛なき行為は排除される」
なるほど。
黒服やメイドを呼べば、厄介な客は排除してくれる、ということか。
ユノは「ずいぶん慣れていらっしゃるのね」などと言いながら、
安そうな酒を男の杯に注ぎ、自分の空いた杯には、さっき美味いと言っていたワインを注ぐ。
「君たちは?」
「アルト=ローレンからの旅行者よ。
旦那様が、楽しいところに連れて行ってくださるって仰るから、期待してついてきたのに……全然、つまらないんですもの」
ユノは困った顔を作ってから、僕のほうを見る。
思わず、
「済まないな」
などと言ってみる。
……なんだか、僕自身まで騙されてしまいそうだった。
リシアを見ると、静かにスパークリングワインらしきものを傾けている。
いつもより、さらに表情がない。
気のせいじゃない気がした。
複雑な顔をしていたのだろう。
ユノに、思いきり横っ腹を殴られる。
そうだ。
情報収集だ。
僕は、ようやく本来の目的を思い出した。
***
男はワインを一口含み、上機嫌そうに肩をすくめた。
「地下? ああ……噂なら、あるとも」
ユノが興味なさそうに、グラスを回す。
「この楼の地下は、選ばれた客しか入れないそうですわね。
でも、何があるのかしら。秘密が多すぎて、かえってつまらないですわ」
男は、その言葉にくすりと笑った。
「つまらない、か。お嬢様、あそこは“退屈を知らない者”の場所だよ。
退屈を持ち込む客は、そもそも呼ばれない」
「呼ばれる、というのは?」
僕が口を挟むと、男は少しだけ声を落とした。
「女主人――マダム・シュランゲのお眼鏡にかなうかどうか、さ」
その名を聞いた瞬間、
リシアのグラスが、ほんの一瞬だけ止まった。
音もなく、すぐに元に戻る。
男は気づいていない。
「地下ではね……」
男は酔いに任せて、身を乗り出す。
「客は“本当の願い”を試されるらしい。
金か、快楽か、それとも……もっと別の何かか」
「別の何か、ですの?」
ユノが小首をかしげる。
仕草は可憐なのに、目だけが冷静だった。
「さあ?」
男は曖昧に笑う。
「消えた貴族もいるって話だが……この街じゃ、珍しい話でもない。
連れの女と逃げたとか、借金で姿を消したとか、そういう話で片づく」
赤い人狼。
地下。
消えた貴族。
これらは、ここでつながり得るのか。
男の話というより、オイレさんが示してくれた“場所”という事実が、僕の中で大きかった。
男はさらに酒を煽り、声が大きくなった。
「まあ、俺は一度も呼ばれたことはないけどな!
あの女は気まぐれだ。気に入った客を天国に連れていくこともあれば――」
その時だった。
「……随分と、楽しそうですこと」
空気が、変わった。
男の言葉が途中で途切れる。
周囲のざわめきが、ほんの一拍、遅れて沈む。
僕は、声のした方を見た。
ラウンジの奥。
音楽と人の流れの向こうから、一人の女が歩いてくる。
年齢は分からない。
派手でも、地味でもない。
けれど、視線が否応なくそこに吸い寄せられる。
白金の髪に、白い肌、白いドレス。
装飾は最小限で、身体の線を誇示するような作りでもない。
それなのに、視線が吸い寄せられる。
背は高く、細身で、どこか儚げにすら見えるのに、足取りには迷いがない。
近づくほどに、周囲のざわめきが自然と遠のいていく。
唇だけが、異様に鮮やかだった。
真っ赤に塗られたルージュが、白の中で浮いている。
彼女が微笑むと、男たちは一瞬、言葉を忘れる。
見つめ返されたわけでも、誘われたわけでもない。
ただ、蠱惑的と感じさせられる。
それが、マダム・シュランゲだった。
なるほど紅玉のマダムか、僕は思った。
「マ……マダム……」
男が立ち上がろうとして、よろめいた。
マダム・シュランゲは、柔らかく微笑む。
「酔いすぎですわ」
声は静かで、よく通る。
「この楼では、節度を忘れたお客様は歓迎されませんの」
「い、いや、俺はただ――」
「噂話は、ほどほどに」
その一言で、男は言葉を失った。
視線を伏せ、何度も頭を下げる。
マダム・シュランゲは、ようやくこちらを見る。
ユノ。
リシア。
そして、僕。
一人ずつ、値踏みするようでもあり、それでいて、もう答えを知っているような目。
「アルト=ローレンからのお客様、と伺っております」
にこやかに、そう言った。
「紅玉楼へようこそ。
今宵は……楽しんでいらっしゃいますか?」
ラウンジの音楽が、再び流れ始める。
マダム・シュランゲはどこまでも穏やかだった。




