暗闇の中の蛍
紅沙原沙羅の声が聞こえたのは斜め後方からだった。
倉庫のように雑然とした床を蹴散らしてそちらへと近づく。
隅に鉄格子をはめた一角がある。
そこを覗き込むと、背を丸めて毛布にくるまった少女の姿があった。
「紅沙原!」
流彦が声をかけると、少女はゆっくりと瞼を開けた。
寝ぼけ眼で鉄格子に目を向けると、
「流、彦さま?」
とぼんやりとした声で呟いた。
流彦は驚いた。今は少年の姿はしていない。
東伝家に仕える黒服に見えるよう振舞っていたはずだがまさか見破られるとは。
と、そこで沙羅は数度瞬きをしてから、ハッとしたような顔で飛び上がった。
「あ、失礼しましたっ、ごめんなさい!」
慌てたように冷たいコンクリ―トの床に正座をして頭を下げた。
どうやら寝ぼけていただけのようだ。
流彦は小さく安堵の息をつき、鉄格子の前に片膝をついた。
今ここで変身を解くのはためらわれた。
昨日、彼女に言った言葉を流彦は胸の中で反芻していた。
沙羅が落ち込んでいたと聞かされると、ここで顔を合わせるのはなんともバツが悪かった。
どんな顔をして紅沙原沙羅に会えばいいのかわからなかったのだ。
「……今、屋敷の外で氷龍との戦闘が始まってる」
その言葉に、沙羅は毛布を抱えて息を呑んだ。
「火族屋敷の近くで氷龍なんて……」
本当は屋敷内にも小さな氷龍が出現したくらいなのだが、それを言ったところでただ不安がらせるだけだ。
「皆さんはどうされたのですか?」
「お前以外はシェルターに避難した。っつっても」
さっきの氷龍の消息が分からないとうかつには動けない。
「今から移動するより、この地下にいたほうがいい」
そういって流彦も床に腰を下ろすと、吊り下げたホルスターから銃を取り出して点検した。
ヒトに変装したまま戦うことを想定して自宅から持ってきたものだ。
能力の性質上、「自前」の飛び道具を持たない流彦はこうしてヒト族の武器を愛用しているのだった。
その様子を見て、沙羅は遠慮がちに尋ねた。
「あの……わざわざ私の安否を確かめにこられたのですか?」
自分の上司ならともかく、いくらでも代えの利く使用人一人のためにやってくる黒服などいるだろうか。というまっとうな疑問。
「あぁ……お前の仲間に頼まれてな」
別に間違ったことは言っていない。蹴陽は沙羅を親友だと思っているのだろうから。
「そうなんですか。……フフッ嬉しいなぁ」
そう言って琥珀色の瞳を少し潤ませた。
「私、昨日火廷のお世話になっちゃって、そのことで執事長様に大変怒られて……あんな狗どもに借りを作るなど東伝家の恥だと。それで、しばらくここで謹慎することになったんです」
「……」
打倒氷龍を目指して共に戦うために、火族とヒト族との間を取り持つ特別機関「火廷」。
だが、自身らを上の種族と捉える火族側からすれば、火廷など下等種族の人間どもの機嫌を取り持とうとする走狗、ということになるのだろう。
「だから、なんだか勝手にもう見捨てられちゃった気がしてて。でも、そっか。みんな心配してくれてたんですね。よぉし!」
抱えていた毛布を離すと、沙羅は小さな拳で自分の胸をドンと叩いた。
「しっかりここでガンバって、お許しをもらえるようにしなくちゃ」
そう言って沙羅は流彦の方を見た。
薄暗い闇の中で、少女の白い歯がまぶしく光る。
「紅沙原……」
逆境の中でも、小さな希望を見出す。
その姿勢は、生前のほたるとよく似ていた。
「せっかくの決意だが、その必要はもうない」
突然の声に、流彦は驚いて振り返った。
流彦と同じくらいの背の細身の男。
さっぱりと借り上げた短髪に甘いマスク。
「か、影待……殿」
思わず影待課長といいかけてしまう流彦。
影待穂親は微笑むと、
「氷龍については、我々火廷の鎮圧隊も加わってなんとか撃退した。既に安全は確認されている」
そう言うと、穂親は独房の鍵を開けた。
「すまなかったな。我々の介入が反って君の立場を危うくしてしまったか」
穂親がそう詫びると、沙羅は首を横に振った。
「い、いえ」
穂親は流彦に目配せすると、こう言った。
「ともかく、今は被害の全容把握と復旧が最優先だ。君たちにも地上に上がってほしい」
この戦いによる犠牲者はゼロだったが、落下した氷龍などによる物的損害は無視できないものだった。
周辺のヒト族の居住域でも、屋根に穴が開くなどの被害があり、東伝の屋敷もあちこちに爪痕が残っていた。
流彦たちが地上に上がると、ちょうど緋都が屋敷へと戻ってきたところだった。
「ちっっきしょうめが!」
ドローンは破壊されたものの、本人は至って元気だ。
「クソ蛇どもが、ふざけた真似しやがってよぉ!」
鉄鎖を握りしめては、不完全燃焼の不満を爆発させようとするので、
「緋都様、ここはこらえないさませ!」
「お屋敷に穴が開いてしまいます!」
と部下たちが必死に抑えて宥めている。
「っせぇんだよ!」
腕を払って男たちを投げ飛ばすと、緋都は肩で息をつく。
「熱くなるな、緋都」
そこに銃者を引き連れて兄の火津年がやってきた。
顔立ちは整っているものの、緋都より背が低く、窪んだ眼窩のせいか年齢よりも老けて見える。
「これ以上みっともない真似はするな。……いかなる故かは分からないが、こうして火族屋敷の近くに氷龍が出たこと自体が、既に我々の名声に傷をつけているのだ」
そういって、火津年は深いため息をついた。
火族には氷龍は近寄らない。
火族の近くなら安全に暮らせる。
そう思うからこそ、ヒト族はこぞって高い地代を払ってここに住もうとするのだ。
その前提が揺らぐ事態が起きてしまったことは、直接的な損害よりもはるかに大きなダメージを東伝家に与えていたのだ。
すると、緋都は口元を歪めて嘲った。
「ハッ、クソ兄貴が。だったら、頭抱えてメソメソ泣いてりゃいいってのか?」
そして、鉄球を振り上げると思い切り地面に叩きつけた。
「んなわけにいくか!俺たちをナメてかかる奴らは片っ端からぶっつぶしゃいいんだよ!」
周りで片づけに追われていた使用人たちはその剣幕に恐れをなしぶるぶると震えている。
火津年は平然として、言い放った。
「いや、そんなことをする必要はない。私に考えがある」




