事態急転
翌日。流彦は影待穂親に電話をした。
沙羅を保護した経緯を話し、火廷を通じて東伝家に帰してほしい旨を伝えると、穂親は二つ返事で了解してくれた。
その一時間ほど後に火廷からの迎えの車が来て、沙羅を連れて行った。
最も流彦自身は学校があったから、そこには立ち会っていなかった。
引き渡し役は炉亜一人で十分だったにも関わらず、蹴陽は仕事を休んでまで家にいて最後まで別れを惜しんでいたらしい。
結局、流彦自身はあの後、沙羅とは一言も話さなかった。
リビングには戻らずに屋敷の隅に転がり、適当に引っ張ってきた毛布にくるまっているうちに眠気が意識をさらっていった。
朝食は一緒のテーブルで取っていたが、沙羅の顔に若干疲れは見えたものの、特に変わった様子もなかった。彼女が流彦の言葉をどう受け止めたのかは分からなかった。
その日の夕方。
流彦が帰宅すると、蹴陽はリビングのソファーに寝転がってぼぅっとしていた。
(珍しいな、今の時間にテレビもつけないで)
と流彦は思った。この前燃やされたテレビの代わり(費用は蹴陽持ち)は既に据え付けられていて、ちょうど日曜朝の特撮の再放送が入っているはずなのだが、母はただじっと真っ暗な画面のスマホを眺めているだけだった。
「あ、おかえり、るぅ兄ぃ」
同じ部屋の中にはコロナがいて、洗濯物を畳んでいた。
「おぅ。どうしたんだ?お袋のやつ」
「うん。お母さん、沙羅ちゃんとメルアド交換してたみたいで、メールが来ないか待ってるみたいなの」
とコロナは苦笑した。困ったものだね、と言いながらもコロナ自身の目元にも寂しさの影が漂っているように見えた。
「待つだけ無駄だと思うぜ」
流彦はため息をついた。火族の使用人が迂闊に他家の者と通信などはしない。
火族は多くの場合秘密主義で、自家の事情などが外部に漏れることを非常に嫌がる傾向にある。
他家に弱みを握られたくないという思いがあるのだ。
中には、使用人の中に他家のスパイが紛れ込んでいる可能性を恐れて、定期的に使用人たちの通話・通信内容の記録を調べている家もあるという。
東伝家の事情は分からないが、まぁ似たようなものだろう。
「そんなの分からないじゃん!るーちゃんに決めつけられる筋合いなんてないね」
蹴陽はスプリングを利かせてソファーから飛び上がると、どんっ、と流彦とコロナの間に降り立った。
「それより、るーちゃん。アンタゆうべ沙羅ちゃんに何言ったの?」
寝不足からか腫れぼったい目で、蹴陽は流彦を睨みつけた。
「何のことだ?」
内心ぎくりとしながらも、流彦は平静を装って視線を跳ね返す。
「とぼけないで!沙羅ちゃんから聞いたよ。……紋持ちへの輸血のことを話したんでしょ」
蹴陽の声が、流彦に鋭く突き刺さった。
“紋持ち”とは侮蔑的な意味のある“紋戴児”に代わる言葉だ。
「紋持ちが火族の血を受け付けないってのは昔の話だよ。今は製剤方法も輸血方法も進歩してる。確かに今は紋持ちへの輸血そのものが行われてないけどね。けど、だからって、上手くいかないって決めつけないで!」
「安全かどうかわからねぇことに変わりはねぇだろ。それとも、まさかお袋はあいつを実験台にするつもりなのか?」
流彦が口元をゆがめると、蹴陽はどん、と足を踏み鳴らした。
「そんなこと言ってない!……別に火族の血を入れるだけが銃者への道じゃないってことだよ。そのままでも、紋持ちのままでも戦うことはできるんだから!」
その言葉に、流彦は思わず振り返った。
蹴陽は静かに頷いた。
「そう、ほたるちゃんだって立派な銃者だった。誰よりも強くて誰よりも優しい銃者。きっと沙羅ちゃんならほたるちゃんみたいに――」
「やめろ!」
知らず、大きな声が出ていた。
妹がビクリと大きく肩を震わせたのを見て、流彦は過ちに気づく。
「……やめてくれ。あいつの話なんて聞きたくない」
流彦は低く呟くと、気まずい雰囲気から逃げるように部屋から出た。数歩歩いたところで、
「……くそっ」
小さく言葉を吐き出す。
無意味に怒鳴って妹を怖がらせた自身を責めるように。
ほたる。生前の姉の姿が脳裏をよぎる。
母の言う通り、ほたるは縛火紋という火族として致命的なハンディキャップを背負いながら、銃者として比類なき功績を遺した女性だった。そして誰よりもヒトの痛みを感じられる優しい女性だった。ほたるこそは蓮杖家の誇り、流彦の憧れだった。
けれど、ほたるは死んでしまった。
火族の血に体を焼かれて死んでいった。
「ぐっ……」
そのことを思い出して、胃液がこみあげてくる。ぐっと吐き気を堪えて深呼吸を繰り返す流彦の耳に、スマホの鳴動が聞こえてきた。
氷龍の発生予報を知らせる例の通知だ。
取り出して画面を確かめる。
「……なんだと!?」
危険度Aランク。
強力な氷龍が複数発生する可能性あり。
予想箇所は――東伝家周辺。
バンと乱暴にリビングの扉が開かれ、廊下を猛然と風が駆けてくる。
蹴陽は流彦の横をわき目も振らずに駆け抜けると、玄関を飛び出していった。
間もなく轟音と地響きが伝わってきた。屋敷裏に駐機してあるサムシンオーが起動したのだろう。
流彦が表に出るころには、巨大ロボットはオレンジの噴炎を残して空の彼方へと消えていった。
「るぅ兄ぃ」
見送る流彦の背中に、コロナの声が届いた。
振り返ると、妹は不安げに揺れる瞳で兄を見つめている。
「心配するな。お袋が行けばなんとかなる」
「うん……」
そう言って目を伏せる妹の顔を見て、流彦は頭を掻いた。
全くどいつもこいつも、昨日今日あったばかりのヤツにこう入れ込むとは……
「……っても、あの調子じゃぁな。暴走しないとも限らねぇし。俺も行ってくるかな」
流彦の言葉にコロナは大きな瞳を見開き、そして潤ませて頷いた。
「うん……ありがと」




