グレンの日常
遅くなりました。第2章の開始です。
これからも不定期ですが、がんばりたいと思います。
「姫様。失礼します。家庭教師のマリー様がいらっしゃいました」
軽いノックの音と共にメイドによってドアが開かれる。
中をのぞき込み硬直するメイドに、一緒に来ていたアレクが不思議に思いのぞき込む。
「あんの、姫!!」
空っぽの部屋を見て、アレクは頭を抱えてそう言った。
グレンは、王宮の外れにある大木の枝に腰掛けていた。あの誘拐事件から五年。グレンは八歳になっていた。響だった影響か、髪はショート、服も飾りっ気が一切無い少年のようなもの。メイドはどうにか女らしい服装をさせようとするが、グレンは逃げ回っていた。
「いい風だなぁ」
そよ風に吹かれながらグレンは脚をぶらぶらさせる。
春には桜によく似た花を咲かすこの木は、この世界の中央に位置する神や賢者が住まう島に咲く「プラナス」から挿し木されたものらしく、この国のご聖木みたいなものだ。
この木を見るとグレンは、響だった時のことを思い出す。
唯一、響を愛してくれた祖母のことを。
向こうでは、長い休みには母方の祖母が住む田舎で過ごしていた。庭先には、樹齢百年近い桜の木が植えてあり、春には花見を祖母と二人でしていた。
だがそれも、中学2年の夏までだった。その年の冬休みになる直前、祖母は病気で亡くなってしまったから。
それから響は本格的に独りになった。
そう言えば祖母が何か言ってたっけ。
『響は、がんばりやだからねぇ。たまには、・・・なさい』
そう、こんなことを……。
「姫さん? お勉強をさぼって何をしてるんだ?」
風にゆられながらぼんやり考えていたグレンは、大木の足下から聞こえる声に顔を下に向けた。
「アレク。姫さんは嫌って言った。マナーの授業は最近ずっと同じだからつまんないし?」
「そう言うなって。基礎は大事だろ? ほらっ」
優しい言葉と同時にアレクは腕を広げる。
「仕方ないなぁ。ちゃんと、受け止めて」
枝の上に立ち上がり、その場から飛び降りる。
アレクは危なげなくグレンを抱き留めた。
「じゃ、このまま帰りますよ」
「えっ? 恥ずかしいから下ろして。ちゃんと行くから」
ばたばたと手足を動かすが、アレクはびくともしない。むしろ、抱える力を強めニヤニヤと笑みを浮かべる。
「そうか、そうか。わかった。そんなに俺が好きか?」
「何言ってんだよ。この親父。離せ、離せ」
そう言ってさらに、体をひねるが全くビクともしない。
「親父じゃないって言ってるだろ? そんなにこの格好が気にいったか?」
アレクはそう言ってグレンを抱える強さをさらに強めた。身動きがとれなくなったグレンはあきらめてアレクの肩に顔をうずめる。
「それでいいんですよ。さ、行きますよ」
重さを感じさせない足取りで、アレクが歩き始めた。
グレンの自室を目前にして、アレクが立ち止まった。
少し顔をしかめた後、グレンを抱え直してドアを開く。怒った顔の家庭教師を覚悟していたグレンは、目の前の光景に目を見開いた。
部屋の中には、いるはずの無い少年が二人。グレンの兄であるユーリと、兄の親友であるケンが優雅にお茶を飲んでいた。
「おかえり、グレン。お茶飲む?」
「今日のは、スイード産の紅茶だよ。お茶受けは甘さ控え目なチーズケーキでね」
そう言って、にっこり微笑むケンに、グレンは驚いていることも忘れて大きくうなずいた。アレクの腕から降り、室内に設えられた円形のテーブルに座り紅茶を待つ。アレクは仕方ないという感じで追いかけてきて、グレンの後ろに立った。
「何か用? ユーリ兄様」
紅茶を待つ間にグレンはユーリに尋ねる。
真っ直ぐで何も考えてなさそうな顔にしか見えないが、魔法にも剣にも才能溢れているユーリ。優しく浮かべる笑顔はあなどってはいけないことをグレンは知っていた。
そのうえ、ユーリ単独ではなく、ケンまでいるのだ。飄々として何を考えているかわからない笑顔を浮かべているケンは、魔法と戦術に長け、通っている学院ではおそれられている。
「来週から夏休みが終わり、新学期が始まるよね?」
そう。今は、8月の終わり。
暦は基本的に地球のグレゴリオ歴と似ている。1年は364日と1日少なく、月は、1月から13月で一月長い。一月は28日で、週7日。曜日は日本と同じ。休みは、太陽神キーファと月神アルスの日とされる、日曜日と月曜日。4年に1回閏年として、1月、3月、5月、11月、13月が1日ずつ増える。
4月スタートの学校は7月、8月の夏休みと1月の長期冬休みがある。
「それが、どうしたの?」
「グレンは忘れたの? 始業式の後直ぐに二泊三日の校外実習があることを」
「あっ! エヘヘ」
「もう。かわいいんだから」
グレンの照れたような顔に、ユーリは顔を崩し、デレデレしだす。「ユーリ?」
「えっと、その際に必要な物をグレンはまだ持って無いよね? だから、買いに行こうよ」
ケンの冷ややかな声にユーリは真面目に話しはじめた。
「もしかして、街に?」
うなずく二人を見て、グレンは高らかに叫びをあげた。