第9話:終着駅(前編)
田舎の小さな駅の夜は、静まり返るのが早い。
終電が走り去り、乗客が全員改札を出て行った午前〇時過ぎ。
駅員として働く僕は、ホームの消灯作業と最終点検のために、冷え込むホームへと足を踏み出した。
虫の羽音すら聞こえない静寂。
薄暗い街灯に照らされた単線の線路が、闇の奥へとまっすぐに伸びている。
改札口へ戻ろうとした、その時だった。
「……ん?」
ホームの端にある古びた木製のベンチの上に、何かがぽつんと落ちていた。
近寄って手を伸ばす。
それは、表紙にも背表紙にもタイトル一つ書かれていない、真っ白な無地の本だった。
「誰かの忘れ物か……?」
乗客は全員降りたはずなのに、誰も持っていなかったのだろうか。
不審に思いつつも、僕はその白い本を手に取り、事務所のモニタールームへと戻った。
◇
事務所のデスクに本を置くと、僕は防犯カメラの録画映像を巻き戻した。
画面に映し出されるのは、さっきまで僕が点検していたホームの映像だ。
終電が到着し、数人の乗客が降りて改札へ向かう。
画面の中のベンチには、何も置かれていない。
乗客が完全にいなくなり、ホームが無人になったその時だった。
ノイズが一瞬、画面を走る。
次の瞬間――何もないはずのベンチの上に、唐突に『白い本』がぽつんと出現した。
誰も置いていない。人が通りかかったわけでもない。
まるで空間の隙間から染み出してきたかのように、画面の中で本が忽然と現れたのだ。
「ヒッ……!?」
息が止まった。
その瞬間だった。
カンコン、カンコン、カンコン、カンコン……。
静まり返った駅舎に、突如として踏切の警報音が響き渡った。
「な、なんだ……!?」
終電はもう終わっている。こんな時間に電車が来るはずがないのだ。
焦った僕は事務所を飛び出し、夜のホームへと駆け出した。
カンコン、カンコン、カンコン、カンコン……。
音は、間違いなく駅から少し離れた踏切から聞こえていた。
だが、暗闇の広がる線路の先を見つめても、電車のライトなどどこにも見えない。
ただ、誰もいない線路の奥から、乾いた警報音だけが夜の空気に虚しく響き続けている。
恐怖で全身の毛穴が開くのが分かった。
僕は逃げるように事務所へ戻り、駅の鍵を固く閉めると、着替えもそこそこに自家用車へと乗り込み、自宅へと逃げ帰った。
◇
その夜、僕は異様な夢を見た。
気がつくと、僕は深夜の駅のホームに立っていた。
終電はとうに過ぎているはずなのに、目の前には一両だけの古い電車が、滑り込む音もなく静かに停車していた。
プシューッ、とドアが開く。
乗ってはいけない。直感が激しく警鐘を鳴らしていた。
だが、金縛りに遭ったかのように自分の足が勝手に動き出し、吸い込まれるように車内へと踏み込んでしまう。
ガラガラと音を立ててドアが閉まった。
車内には、四人の男女が座っていた。
一人は私服の男性。
一人は警備員の制服を着た男性。
一人は私服の女子大生。
一人は作業着を着た配送ドライバーの男性。
四人は隣り合って座り、深くうつむいていた。
顔色は青白く土のようになり、微動だにせず、生きている気配が全く感じられない。
ガタゴト、ガタゴト……。
電車が静かに動き出した。
どこへ向かっているのかも分からない。
どこかの駅で止まるはずだ、止まってくれと心の中で必死に祈った。
けれど、電車はスピードを落とすことなく、闇の中をひたすら走り続けていく。




