第11話:夜勤病棟(前編)
深夜二時。
築四十年の古い総合病院の四階病棟は、薄暗い廊下にナースステーションの緑色のモニター光だけが不気味に滲んでいた。
ナースシューズがリノリウムの床を擦るカサ、カサという音だけが静かに響く。
看護師になって二年目の私は、ナースステーションで夜間巡回の記録をPCに入力していた。
点検すべき病室はすべて回り終えた。重症患者はおらず、ナースコールも鳴っていない。
静かな夜のはずだった。
「……あれ?」
カウンターの端、普段はカルテのファイルを並べている棚の前に、見覚えのない物体が置かれていることに気づいた。
近寄って手を伸ばす。
それは、表紙にも背表紙にも何も印刷されていない、文庫本サイズの真っ白な無地の本だった。
「誰かの忘れ物……? 面会時間はとうに終わってるのに」
不審に思いつつ手に取ると、凍りつくような冷たさが指先から肘まで一気に駆け抜けた。
ズシリと重い。紙の重さではなく、湿った重肉でも詰め込まれているかのような異様な感触。
胸騒ぎがして、パラパラとページをめくってみる。
白紙。
どこをめくっても、文字どころか線ひとつ書かれていない。
「……気味が悪いな」
ナースステーションの遺失物引き出しにそれを放り込み、しっかり鍵をかけた。
◇
それから三十分後。
廊下の奥にある男子トイレへ向かった夜勤ペアの先輩看護師が、どこか落ち着かない様子で戻ってきた。
「ちょっと……○○さん。四〇二号室の前の廊下に、変なもの落とさなかった?」
「え? 何も落としてませんけど……どうしたんですか?」
「……廊下の真ん中にさ、真っ白な本がぽつんと落ちてるのよ。誰かのノートかと思って拾おうとしたんだけど、なんか嫌な感じがして触れなくて……」
「え……?」
血の気が引いた。
私は急いでナースステーションの引き出しを開けた。
鍵はかかったままだ。だが、中に閉じ込めたはずの『白い本』は、影も形もなく消え去っていた。
震える足でナースステーションを出て、四〇二号室へ続く長い廊下を見通す。
薄暗い非常灯の明かりの下。
真っ直ぐに伸びる廊下の寸分狂わぬ『真真ん中』に、あの真っ白な本がぽつんと横たわっていた。




