ラジオ体操
午前1時くらいになって玲也が頽れたので、彼の母親は息子を抱き上げて当人の部屋まで行き、布団に横たえてタオルケットをかけると自分も床に戻って行った。朝6時過ぎくらいになったころ、玲也はなんとなく起きた。まだ眠たいのだがもうひと眠りする気も起きず、とりあえず床から這い出る。ダイニングキッチンではは母親が忙しげに朝食の支度をしている。だが、居間に父親の姿がない。いつも玲也が起き出す午前7時頃は、彼の父親が居間で新聞を読んでいる頃なのだが、居間には誰もいない。母親に朝の挨拶をした後「父ちゃんは?」と聞くと「トイレ」と返ってくる。普段の玲也は、トイレで長便しながら新聞を読んでいる父親に対して母親がイライラとした感じで怒鳴る声で起きるのだ。玲也がそんなことを思っていると、彼女は思い出したように「ちょっと!あなた!早く出て!!」と怒鳴るのだった。
夫に長便を切り上げる要求を終えた彼女はおもむろに作業の手を止めると、玲也の方に向き直って言う「まだラジオ体操に間に合うんじゃない?」、その言にしばし思案した玲也は「あ~、たまにはいくか・・・って、あれ?スタンプカードは!?」とだらしなく言うと「冷蔵庫に貼ってあるでしょ!」と答える母親。「あ、本当だ!」と言いながら冷蔵庫に磁石で張り付けてある、まだ3個しかスタンプが押されていないラジオ体操カードを取ると、「行ってきます」と寝ぼけ眼で出発する。一応、身支度はできているが、傍から見ても呆れるほどに眠そうだ、というか、身だしなみが物凄くだらしなく見えるのだ。まあ、この時間に起きてちゃんとパジャマから普段着に着替えるだけでも玲也としてはエライ方なのだ。スタンプカードのパンチ穴に通された紐を首にかけると、玲也はエレベーターホールに向かった。
エレベーターホールには既に近所の大人たちがいた。昨日から盆休みで会社が休みの人も多く、普段は出場できない会社員なども、実家に帰省しないときは子供達と一緒に参加するようだ。玲也が来たタイミングで、この建物で唯一のエレベーターはその中に1人だけを乗せた状態で下階から上階の方に素通りして行ってしまった。この時間帯は中央広場のラジオ体操に参加する人が多いのでエレベーターは混む。満員のエレベーターに乗るのは窮屈で嫌なので、玲也は階段を降りることにした。階段を下りていき、3階と2階の踊り場に差し掛かるところで川村玲子と出会った。自分の足音の大きさの為なのか、彼女が気配を殺していたからなのか、踊り場まであと3段というところで初めて反対側に誰かの頭が見えたのだ。
玲也が踊り場で階段の反対側の壁まで行くタイミングで、玲子はそっと踊り場に上がってきた。彼女はなんだかやつれて見えたが、まさか9階まで階段であがる気なんだろうか?と玲也は疑問に思った。玲也でさえ、よほどのことがない限り自宅のある5階まで階段であがろうという気は起きない。思わず「エレベータは使わないの?」と聞いてしまうが、「あんたには関係ないでしょ」と言いながら彼女は玲也の脇を通り抜け、階段を上がって行った。彼女が3階を回って4階に行く階段に入っていくのを見届けてから、玲也は元気よく階段を下りていくのだった。
中央広場の時計塔は正四角形の鉄柱だ。ちょうど9号棟の中央にあるエレベーターホールと、10号棟の中央にあるエレベーターホールに対して直角に面している。7月25日から8月31日まで、この時計塔の南東側に盆踊りの仮設舞台が組みっぱなしになっており、ラジオ体操当番の自治会役員はこの舞台の北東側にラジカセを設置する。大人の肩くらいの高さになる舞台上に置かれたラジカセの音は結構遠くまで響き渡るのでラジオ体操をするのに持って来いである。そして、毎朝、小中学生主体で大体百~二百人前後が参加するので、ちょっとした賑わいである。
御多分に漏れず、玲也のスタンプカードはいつも隙間だらけだ。自治会が就学児童のいる家庭に配るラジオ体操カードには5週間分の出席スタンプを押すための升目があるのだが、しょっちゅう寝坊する玲也のカードの出席スタンプの升目はまばらなのだ。言わずもがな、彼は”行けたら行く”人だからだ。学校が休みの日に”ちゃんとした時間”に起きるのは稀なので、7日も出席すれば良い方なのだ。だが、当然ながらシマオは毎年皆勤である。島野家は正月以外は帰省しないからだ。常に規則正しい生活を送るシマオは、夜は決まった時間に眠り、朝は決まった時間に起きるので遅刻をしたことがない。
ちなみに、皆勤賞は商店会の500円券なので子供にとってはけっこうな小遣いだ。25日以上参加した者には努力賞として1割引商品券が授与される。勿論、宝田団地内商店会に加入しているお店でしか使えない。荒天時は中止となり、中止になった日のスタンプは自動的に押してもらえる。また、8月13日から8月15日はスタンプの升目には取り消し線がある、帰省する人に配慮したものだ。出席してもしなくても、”参加”とみなされるので、これを使えば皆勤賞を狙えるのだ。
エレベーターホールから出ると既にラジオ体操のラジオ番組が流されているところだった。このラジオ番組は、毎日、色々な地域を訪問してやっているらしく、体操が始まるまでの間に色々な話が流されているが、玲也はその話に耳を傾けたことが無いので内容を知らない。ただ、遅刻すると、模範演技の人以外の約半数は9号棟の方を向いているので結構恥ずかしいのだ。今回は恥ずかしい思いをせずに参加できたと安堵していると、集団の手前の方に見知った顔を見つける、シマオだ。シマオを見つけた玲也は駆け足で彼の元に向かう。すぐそばまで来てから挨拶を交わす。シマオは「フフッ、今日は来たね」と言うと ちょっと嬉し気な笑みを浮かべた。玲也が「あのさ・・・」と言いかけたところで、ラジオ体操のピアノの伴奏が始まったので、とりあえずラジオ体操を始めるのだった。体を反らす体操の時、9階のベランダに小さな人影が見えたような気がした。
ラジオ体操が終わると子供たちはわらわらと舞台上のラジオ体操当番の人や、その近くにいる他の自治会役員の前に行き列を作る。スタンプカードにスタンプを押してもらうための順番だ。大学生以上の人たちはスタンプカードを貰えないのだが、殆どの人は中学を卒業すると自主的に使わなくなる。スタンプの列に並んでいる間もフジショーの姿は見えない。どうやら帰省したらしい。麻生家も島野家同様、正月以外は帰省しないので、ラジオ体操に参加すれば大体シマオに会える。お互いに昨日見たTVのアニメの話などをした後、「昨日の晩は夜更かししなかったんだね?」と聞かれた玲也は、「ううん、結構遅くまで起きてた…と思う」と曖昧な言い方をする。その言い方に引っかかりを覚えたシマオは「なんだよそれ?」と詳細を求める。「えっとね・・・」と玲也は昨夜の晩、ベランダで見た出来事をシマオに話すのだった。
昭和50年代はまだまだ500円札が普通に使われていて、昭和57年に500円玉が出るまでは子供のお小遣いの定番だったように覚えています。札だとありがたみがあるのに、玉だと急に安っぽく感じてしまい、微妙だったような覚えがあります。
お年玉というと大体ジャリ銭数枚か500円札1枚は言ったお年玉袋をもらうものでした。
(もちろん、根こそぎ母に回収されます)
まあ、私はお小遣いをもらったことがないんですけどね。
子供のころは、500円札さえあれば駄菓子屋のお菓子を無限に変えるような気がしていました。
それくらい、500円は結構な金額でした。現在だと500円では大して多くは買えません。




