5.牽制
放課後。
冴は奏多に気づかれないように、直人に「話したいことがある」と声を掛けた。奏多には「用事がある」と伝え、先に帰した。
誰もいなくなった教室。
「……奏多に、余計なことすんなよ」
冴は机に軽く腰を掛け、少し離れた場所に立つ直人を見ながら言った。冴の顔にいつもの柔らかな笑顔はない。
「余計なことって?」
「分かってるだろ。奏多に近づくなって言ってんの」
冴は低い声で、そう直人に言った。直人は、そんな冴を睨みつける。
「お前にそんなこと言われる筋合いない」
直人は冴にそう返した。冴はゆっくりと立ち上がり、一歩、近づいた。
「奏多と俺、付き合ってるから」
冴のその言葉に、直人の表情が固まる。そんな直人を見ながら、冴はさらに言った。
「奏多のこと、本気で好きだから」
冴が奏多を意識するようになったのは、同じクラスになった四月だった。
周りの人間が、見た目や雰囲気だけで冴を判断する中で、奏多だけは冴に対して何も態度を変えなかった。
ただ、普通に接してくれた。
それが、嬉しかった。
母親がイギリス出身で、いわゆるダブルである冴は、どうしても周囲から目立った。
珍しがられたり、勝手なイメージを持たれたりすることにも、もう慣れていた。
けれど奏多は違った。特別扱いもしなければ、変に距離を取ることもしない。
ただ、ありのままの自分を、そのまま受け入れてくれている。
そんな気がした。
だから、最初はただの好感だった。
しかし、冴は奏多を見ているうちに気づいた。
奏多の視線の先には、いつも直人がいた。
ああ、新木は比嘉が好きなんだ。そう気づいたときには、もう遅かった。
その頃には、冴自身も奏多に惹かれていた。
気づけば、冴の視線の先にもいつも奏多がいたから。
そして、奏多自身よりも先に、奏多が直人を想っていることに気づいた。
だから、直人に彼女ができたと知った奏多が、明らかに不安定になった事にも気付いた。
そのとき、冴は思った。
今なら。
今なら、奏多の心に自分が入れる。
だから冴は、弱っている奏多に寄り添った。
「大丈夫」
「俺は離れないよ」
「奏多が不安なときは、俺がいるから」
「ずっと二人でいよう? 好きだよ」
そうやって、少しずつ。奏多の中に、自分の居場所を作っていった。
安心を奏多に与えた。
その安心がなければ、不安になるように。
冴という存在がなければ、落ち着かなくなるように。奏多が、自分を必要とするように。
それが、奏多を支えることと同時に、奏多を自分から離れられなくすることだと、冴は分かっていた。
奏多への執着。
そんな自覚も、もちろんある。こんな気持ちは、初めてだった。普通じゃないことも分かっている。
それでも。
冴は、奏多を離すつもりなどなかった。
「……お前、いつから奏多のこと狙ってた?」
直人の問いに、冴は少しだけ目を伏せた。
「比嘉に彼女ができて、ひとりになったとき。今度は俺が隣にいようって思った」
冴は笑った。
自分の胸元に手を置く。その表情は、少しだけ苦しそうだった。
「奏多が好き。それだけ」
しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。
やがて、直人が口を開く。
「俺も、奏多が好きだ。譲るつもりはない」
冴の目が細くなる。
「……そっか」
短く答えてから、冴も直人を見据えた。
冴は、奏多が直人を好きな事を知っている。
本来ならば二人は両思い。
でも、直人は奏多が直人を好きな事は知らないようだ。
でも、冴は絶対に、そんな事教えてはやらない。
先に奏多の手を離したのは直人だ。
「じゃあ、俺も譲らない。奏多を誰にも渡すつもりはないよ」
「お前……」
直人は冴を睨む。
その視線を受け止めながら、冴は静かに笑った。直人は、ふと思い出したように口を開く。
「お前、陰で色んな女子と遊んでただろ」
「……まあね」
冴は少し考えるように視線を逸らした。
「俺、普通に女の子が好きだったよ。奏多を好きになるまではね」
そして、また笑う。
「でも、今は奏多が好きなんだよ」
冴の声は淡々としていた。
それだけは、嘘ではなかった。
奏多には、自分はゲイだと伝えていた。奏多が直人のことで傷ついていたから。直人とは違って、自分は女の子を好きになって奏多から離れていくことはない。そう思わせたかった。
奏多に、自分なら大丈夫だと安心してほしかった。
そして、その安心を自分だけのものにしたかった。
直人は黙った。
冴もまた、奏多を本気で好きなのだと分かった。
その想いが、自分と同じくらい強いことも。
「それでも、俺は奏多を諦めない」
直人が言った。冴はゆっくりと顔を上げる。
「……俺も、渡さない」
二人の視線がぶつかる。
静かな教室に、張り詰めた空気だけが残った。
その頃、奏多は一人で帰宅し、自分の部屋で参考書を広げていた。
けれど、頭に浮かぶのは勉強のことではなかった。
考えることは、ひとつだけだった。
自分はずるい、そう思う。
直人も冴も、二人とも大切で、失いたくなくて。だからこそ、どうしたらいいのか分からない。
正直に言うしかない?
二人に自分が今、どう思っているのか、全部。
でも、それで二人ともいなくなったら?
俺が欲張ったせいで。ちゃんと答えを出せなかったせいで。二人とも、俺の前からいなくなったら。そんなことを考えるだけで、息が苦しくなる。
……嫌だ。
どちらかを失うなんて、嫌だ。
でも、二人とも欲しいなんて。
そんな都合のいいこと、許されるわけがない。
分かってる。分かってるのに。それでも、今はまだ、どちらか一人を手放すなんて、できない。
そんなことを思う自分が、一番、汚くて。
ずるくて。
嫌いだ。




