3.焦りと嫉妬
翌朝、隣の奏多の家の前で声をかけた。
けれど、奏多はすぐには出てこず、少ししてから玄関が開いた。
「ナオ。おはよう」
「おはよう」
いつもと同じ挨拶なのに、何かが違う。
直人は、窓越しに、カーテンの隙間から見えた、昨日の光景を思い出していた。
荒波の手が奏多に触れ、深く重なった唇、そして、奏多の首筋に触れた。
思わず、奏多の首を見た。
赤い痕。
直人の腹の奥で、激しい何かが蠢く。
「なあ、カナ。昨日さ」
玄関の門を閉めながら、奏多がこちらを見る。
「荒波、来てた?」
「……荒波?」
「うん」
奏多は少し考えるように黙った。
「来てたよ。遊びに。友達だから」
「友達?」
その言葉を聞いた瞬間、直人の胸が、ずきりと痛んだ。
――嘘だ。奏多は、俺に嘘をついた。
昨日、見たあれが、ただの友達の距離じゃないことくらい、わかる。
「……本当に?」
「友達だよ」
奏多はそう言って、直人から視線を逸らし、歩き始めた。
直人は、それ以上何も言えず、一緒に歩き始めた。
奏多が、自分に嘘をついた。
そのことが、思っていた以上にショックだった。
胸の奥に、重たいものが沈んでいく。
学校に着き、直人と奏多は靴を履き替え、階段を上がって教室へ向かう。
今までとは、二人の間の空気が何か違う気がして、いつものように直人は奏多と話せなかった。それは、奏多も同じだった。
教室に着くと、奏多が直人に軽く声をかけて手を振り、自分の教室に入っていった。
奏多は教室に入ると、すぐに自分の席へ向かった。
そのすぐ後ろの席には、荒波がいる。
「新木、おはよ」
「おはよ」
荒波が奏多に笑いかける。
その笑顔が、妙に腹立たしかった。
奏多も、荒波に笑い返した。
ぎりっと直人の心臓が歪む。
昨日の光景が、また頭をよぎった。
キスしてた。奏多が、荒波と。
キスだけ?
それ以上は、考えたくない。
直人は、奏多のクラスの入り口に立ち尽くし、ぼんやりと二人を見ていた。
鐘が鳴り、はっとして、自分のクラスの教室へ入る。
奏多と荒波。
二人が一緒にいるところを見たくない。
なのに、目を逸らせないのは、なぜ?
それから直人は、彼女ができる前のように、放課後になると奏多を誘うようになった。
「カナ、今日一緒に帰ろう」
「ナオは彼女と帰りなよ。僕は荒波と勉強する約束してるから。また明日ね」
そう言って、奏多は荒波のところへ行ってしまう。
翌日も、また翌日も。
「カナ、今日――」
「ごめん。荒波と約束してる。毎日誘わなくていいよ。彼女と帰って」
何度誘っても、断られる。
以前なら、何も言わなくても隣にいた。
帰ろう、と声をかければ、それだけでよかった。
なのに今は、自分から誘わないと隣に来てくれない。
それどころか、避けられている?
奏多が隣にいない。
直人は奏多との間に出来た距離に気づき、それは焦りを生んだ。
「直人」
ある日の放課後、教室を出ようとしたところで、彼女に苛立ったような声で呼び止められた。
「どした?」
「最近、なんなの?」
「……何が?」
彼女の声が大きくなる。
「何がじゃない! 最近、話も全然聞いてくれないし。今も、私のこと置いてどこ行こうとしてたの?」
言い返せない。
「なんなの?」
直人は答えられなかった。
「もう、いい」
彼女は早足で、直人を置いて立ち去った。
何人かのクラスメイトがこちらを見ているのに気づき、直人は苦笑いで誤魔化した。
そのとき、隣のクラスから奏多と荒波が出ていくのが見えた。
当たり前みたいに、奏多の隣には荒波がいる。
二人は並んで歩き出した。
直人は、その背中を見つめる。
そして、拳を握った。
――なんで。
その場所は、奏多の隣は、俺のものだった。
なのに、今は、奏多の隣にいるのは、俺じゃない。
荒波が奏多に笑いかけ、奏多も、荒波に笑い返す。
それを見るだけで、腹の奥が煮えたぎる。
荒波に苛立つ。そして、奏多にも。
どうして自分がこんな気持ちになるのか、わからなかった。
帰宅してからも、二人の姿が頭から離れなかった。
ベッドに寝転び、天井を見つめる。
――二人は、付き合っているのか?
あの日、荒波が奏多に触れていた。
顔に手を添えて。
唇を重ねて、そして。
奏多は、嫌がっていなかった。
受け入れていた、それがいつものことのように。
今も?
今も、二人は一緒にいるのか?
キスして、触れ合って。
叫び出したくなる衝動に駆られる。
胸の中で何かが蠢いて、吐きそうになる。
怒りや苛立ちに近い、何か。
考えたくないのに、考えてしまう。
――カナは、荒波に触れさせるのか。
その答えを想像するだけで、息が苦しくなる。
なんで、どうして。
そんなの!友達なんかじゃないだろ!
奏多が他の誰かに触れられることが、こんなに嫌だ。
直人は顔を覆った。
そこで、ようやく気づく。
認めたくなかった。ずっと気づかないふりをしていた。
けれど、もう、誤魔化せない。
これは、嫉妬だ。
嫉妬?なんで?
カナが好き、そう思った瞬間。
同時に、ストンと直人は腑に落ちた。
俺は、奏多を自分のものだと思っていた。
ずっと、隣にいるのが当たり前で。
自分のところに帰ってくるのが当たり前で。
だから、奏多が誰かを好きになるなんて、考えたこともなかった。
でも違った。
奏多の隣には、荒波がいる。
奏多が笑う相手も、一緒に帰る相手も。
触れる相手も。
全部、荒波になってしまうかもしれない。
そう考えただけで、体が引き裂かれそうになる。
嫌だ。嫌だ!
初めて、自分の口から言葉が出た。
「カナが、荒波のものになるのは……嫌だ」
腹の底で蠢いていた、奏多への暗い独占欲。
直人は、自分の中にそんなものがいたなんて知らなかった。
誰にも渡したくない。
今さら、そんなことを思ってしまった。
奏多の隣は、直人のものだ。
いや。
奏多を自分のものにしたい、自分だけのものに。
俺は、カナが好きだ。




