3.百姓昭明、協和萬邦なおとぎの国の裏側で。(上)
※ 百姓昭明、協和萬邦:人々が徳を明らかにすれば世界の共存繁栄がはかられるという意味の言葉。「昭和」という元号の出典となった言葉です。なお、フェアリーランドは、みんないい人でとても平和な国です。
※ 本作品はフィクションです。遠い異国の「フェアリーランド」にも都市伝説はある、そんな感じで楽しんで頂けたら、なんて思います。
フェアリーランドのお城は、正門から中央大広間、あとひっそりと王さまが座っている玉座のある謁見の間のような、煌びやかな中心部だけではありません。
王妃さまやお姫さまの住む王族公邸、メイドのロッテさんを始めとした住み込みの使用人たちが住んでいる居住区、兵隊さんたちの詰所に官僚さんたちが働く政務区と、実にさまざまな区画があります。
その政務区の奥の方にある事務室のさらに奥に、ささやかな小部屋があります。「給湯室・宿直室」と書かれた表札がぶら下げられたその部屋は、入口からして他とは少し違う、どこか異国の風情を感じられる部屋で。
こっそりと王妃さまと魔法の鏡さんの会話を聞いた「最後の仕事人」ハントは、この部屋の中にいるであろう「昭和の魔女」レディを訪ねてこの部屋の前に立って。格子状の木枠に紙が貼られた、独特な形の扉を軽くノックをしようとて……
ふと、部屋の入口のすぐ脇の壁に取り付けられたホワイトボードに書かれた文字に目が行きます。
「最終退室者 レディ 17時45分」
――そう、今は令和という新しい時代です。古の時代のように、夜遅くまで職場に残ってしゃかりきに働くのが当たり前なんて、そんな時代ではないのです。定時に帰って当たり前、業務を終えて職場を出た人に仕事の話をするだなんてとんでもない、今はそんな時代なのです。
昔気質ながら、そんな時代の流れにも対応したハントは一つうなずくと、「そうだな、明日にするか」なんてことを誰にともなく呟きながら、その場を立ち去るのでした。
◇
翌日、ハントは改めて宿直室を訪ねて、その扉を器用にノックします。
「どうぞー」
中から帰ってきた、まだそこまでは歳をとっていなさそうな女性の声に、ハントは横開きの扉をそっと開けます。
――そこは、細長い草を編んで作られた異国の床材を敷き詰めた、異国情緒にあふれる部屋で。一人の女性が、その部屋の真ん中に置かれた背の低いテーブルに向かって座りながら、ぶあつい陶器のコップに入った熱い飲み物を、ずずずっと音を立てるように飲んでいたのでした。
◇
むかしむかし、フェアリーランドには、「魔女」と呼ばれる、とても怖い人たちが住んでいました。
そう、フェアリーランドには、お姫さまに死の呪いをかけてしまうような心のせまい魔女や生まれたばかりの子どもを連れ去って塔の上に閉じ込めた独占欲の強い魔女のような、とても怖い魔女たちが住んでいたのです。
ですが、それも昔の話。「フェアリーランドを子供にやさしい国にしよう」という掛け声とともに始まった「言葉の魔女狩り運動」によって、怖い魔女たちと過激な大人たちはみんな修正されて、フェアリーランドは平和になったのです。もうこの国には、怖い魔女も過激な大人もほとんどいないのです。
――最後に残った「仕事人」と「昭和の魔女」を除いては。
◇
「……なんか、とんでもない誤解が振りまかれてる気がするんだけど。ワタシ、ただのお茶くみなんだけどさぁ」
「だがな、あんたが過去の技を引き継いでいるのも確かだろう」
部屋の中にハントを招き入れた「昭和の魔女」レディは、なんとなく「また」お茶くみが誤解されていると、そんなことを感じたのでしょう、ため息交じりに愚痴をこぼします。
今でこそあまり見なくなったのですが、その昔、フェアリーランドのお城で働く人たちには、朝の十時、昼休み、昼の三時といった休憩時間に、若い女性だけで順番を決めて一緒に働いている人たちにお茶を出すことを強要されるという、今の時代には考えられないような「慣習」がありました。
……これだけ聞くと、お茶を出すだけなんて大したことじゃないと聞こえるのですが。実はその小さなことの積み重ねが、一緒に働いている人たちに「若い女性は雑用をさせていい」という理不尽な考え方を広げ、定着させていくことになったのです。
そう。お茶くみというのは、職場における「若い女性」への理不尽な扱いの象徴だったのです。
――自分の奥さんにはペコペコ頭を下げて自ら進んでゴミ捨てをするような係長さんや課長さんが、何故か会社に来ると「若い女性がお茶をくむのは当たり前」とか言い出すのです。これが腹立たしくなくてなんなのでしょうか?
もちろん、大部分の女性たちは、嫌な顔一つせずに従いました。また、正面から正々堂々と上司に戦いを挑む最強の存在「影の女王さま」がいたのも確かです。ですが、お茶くみという立ち位置を利用して「闇の技」を駆使する影の存在、「昭和の魔女」が現れてしまったのもまた、事実なのです。
曰く、嫌な上司には秘伝の「数年前の茶葉」でお茶を淹れ。
曰く、私たちを少しは見習えと爪の垢を煎じて混ぜる。
彼女たちは秘密裡に、誰にも気付かれることなく、その「闇の技」を鍛え、次の世代へと伝えていきました。ですが時代が移りゆき、お茶は淹れるものではなく買うものに変わり。お茶くみという仕事も来客があった時だけとなり、少しずつその技が忘れ去られようとしたその時に、フェアリーランドに「言葉の魔女狩り人」による修正の嵐が吹き荒れます。
そこで、当時もっとも若い「言葉の魔女狩り人」だったハントは、数々の闇の技が記された「黒歴史ノート」を受け継いだ「最後の魔女」、レディと出会うことになったのです。
「まあ、確かにノートは預かってるけどねー。あれ、おいしいお茶の淹れ方とかが書いてあるだけだよ? ……そりゃあ、たまーにだけど無味無臭な下剤とか睡眠薬とか? お茶に混ぜても気付かれない薬品リストとか、変なことも書かれてたけど。ただの冗談だよ、あんなの」
実はこっそりと三十半ばを過ぎようとしながら、見た目は十分に若々しさを保っているレディは、あんなのはただの遊びでしょうとばかりに笑い飛ばして。その言葉を、当時から仕事人としてあらゆる情報を集めていたハントは、表情を隠したまま、そっと聞き流します。
――そう、彼は「影の女王さま」や「昭和の魔女」が、時の中間管理職にどれだけ恐れられていたのか、知っているのです。彼女たちは時に遥か雲の上、直接姿を見ることのない王さまよりもはるかに恐れられていたことを。
ですが、多分そんなことは知らないであろうレディは、まったくいつまでお茶くみというのは誤解されるのかなんて思ったのでしょう、一度軽く肩をすくめて。あらかじめ準備しておいた、大きくて少し分厚い陶器製のコップにお茶を注ぎます。
「で? わざわざそんな話をしにここにきたんじゃないよね? ワタシに一体、何の用?」
そう言いながらレディーは、淹れたてのお茶をハントに出して、説明を促しします。そのお茶をやっぱりずずずっと音を立てながらひと口すすったあと、ハントは昨日、ドレスルームの天井裏で盗み聞きした会話のことを話し始めます。そう、王さまと王妃さまの間で引き起こされた、「かわいい」という言葉をめぐる、ささやかな喧嘩のことを。
◇
レディはお茶をすすりながら、ずっと話し続けるハントに適当なところで相づちを打ちながら、その話を適当に聞き流します。
初めのうちはレディも「私と姫、どっちがかわいいと思う?」という王妃さまの言葉や「姫の方がかわいい」という王さまの返事に吹き出したり呆れたりもしながら、興味深く聞いていたのです。だけど、聞けばきくほどばかばかしい話じゃないですか。
これが例えば、仲の良い女友だち同士なら、非現実的な妄想を交えながら話が盛り上がったかも知れません。ですが、目の前にいるのはハントという、うだつの上がらないただのオッサンです。行き遅れし者とくたびれたオッサンの二人が、遠い世界で起きた犬も食べないようなけんか話で盛り上がれるはずなど、あろうはずがないのです。
……ましてそのオッサンは、今はまだ七歳のお姫さまが成長したとき、その美しさとかわいさに王妃さまが嫉妬する「かもしれない」と、取り越し苦労としか言いようのないことを大真面目に話しているのです。そんな話、まともに聞くことなんてできる訳がありません。
いい加減、話を聞き飽きてきたレディは、その長い話が終わるまで聞き終えて、少しホッとしながら、ハントに尋ねます。
「で、ワタシに何をしてほしいのかな?」
ハントに問いかけながら、レディは思います。この真面目なんだけどとんでもない天然の入ったオッサンのことだ、大層くだらないことを考えたに違いない。……それでもこのおっさんは、一度は話をさせないと納得しない。だから話を聞くだけ聞いて断ろうと。
――それでも。ハントの要求は、とんでもないことを言ってくるだろうと身構えていたレディの、さらに斜め上をいくものでした。
「昭和の魔女が使う秘薬の中に、イケメン上司を落とすときに使う『女性がかわいく見えるようになる秘薬』があると聞く。それを用立ててくれぬかな」
その言葉に一瞬だけキョトンとしたレディに、ハントは続けて説明します。――その薬を今度行われる晩餐会の飲み物に混ぜて参列者に「王妃さまが世界一かわいい」と思い込むようにする。影響力のある人たちが王妃さまのことを「世界一かわいい」と思い込めば、王妃さまが「世界一かわいい女の子」ランキングの一位に輝くのも夢ではないだろう、と。
そう。ハントはよりによって、薬物の力を借りて王妃さまを「世界一かわいい女の子」にまでのし上げるつもりなのです。
……そして、ハントはあえて口にはしませんでしたが、その薬を王さまにも飲ませて、「雪ちゃんの方がかわいい」なんて言えないようにする、そんな思惑もあったのです。
その言葉を聞いたレディは、あまりに斜め上な発想に意表を突かれたからでしょうか、反射的に、これまたどこかずれた返事をします。
「そんな薬はないよ。だいたい『イケメン上司』なんてこの世の中には存在しない、ただの妄想だよね」
そんなレディの言葉にハントは感心したのでしょう、「なるほど」と深く頷きます。確かに言われてみれば、「昭和の上司」という言葉から、あまり良い印象は受けないなと。
――そう、少なくとも昭和の時代にはイケメン上司は存在していなかったという当たり前の事実に、ようやくハントは気付いたのです。
だけど、それで諦めるほど、ハントは物分かりがよくありません。どうすれば王さまが「ホワイトスノウ姫の方がかわいい」なんてことを王妃さまに言わないようになるか、ハントはずずずとお茶をすすりながら、次の手を考え始めるのでした。




