第五話
その後も私たちは実地調査を続けた。
気温を測り、水を採取し、植物のサンプルを集める。教授は相変わらず何かを考え込みながら田んぼの周りを歩き回っていた。
そんな中、一人のおばあさんが近くの畦道を通りかかった。手には買い物袋。散歩の途中なのだろうか。けれど、おばあさんは通り過ぎない。
田んぼの脇でしゃがみ込んだり、水を採ったり、土を袋に詰めたりしている私たちをじっと見ている。 私は少し居心地の悪さを覚えた。傍から見れば、かなり怪しい集団だ。しばらく悩んだ末、私は立ち上がって大きな声をかけた。
「こんにちはー!」
おばあさんはぺこりと頭を下げる。
「こんにちは」
「文春さんの紹介で来たんです。大学の調査で田んぼを見させてもらってまして」
そう説明すると、おばあさんの表情がふっと和らいだ。
「あぁ、文春の」
納得したように何度もうなずく。
「そうかいそうかい。こんなとこまで、わざわざご苦労様です」
そう言って深々と頭を下げた。なんだかこちらが恐縮してしまう。
「いえいえ、こちらこそ」
慌てて頭を下げ返した。そして、ふと文春さんの話で気になっていたことを思い出す。隕石。この村には隕石にまつわる言い伝えが残っているはずだ。私はおばあさんに尋ねてみることにした。
「ご神体の隕石って、いつくらいに落ちてきたのかわかりますか」
「いんせき?あぁー『まがびわたり』のことかい。この辺りはむかーしっからまがびわたりが落ちてきたらしいんよ。ご神体になってる禍火渡様はたしか六百年くらい前にはここにあったらしいんだわ」
「六百年ですか、随分由緒のある村なんですね」
「そうなんよ、祠に石碑があるからよかったら見ていってらっしゃい」
続けて村のことを二、三質問し、私が礼を言うと、おばあさんは「頑張ってねぇ」と手を振りながら去っていった。私は軽く会釈をしてその背中を見送る。
ふと空を見上げると、いつの間にか太陽がかなり高い位置まで昇っていた。朝の涼しさはすっかり消え失せている。日焼け対策はしているものの、強い日差しがじりじりと肌を焼いていた。
「暑い……」
思わず漏らす。腕時計を見ると、時刻はもうすぐ正午だった。それを見た途端、ある事実を思い出す。
――教授の運転のせいで、昨日の昼からまともに何も食べてないんだった。
ぐぅぅぅ。
まるで思い出すのを待っていたかのように、お腹が盛大に鳴った。だめだ。そう思ったら、もういてもたってもいられない。
私は田んぼの端で調査を続けている教授に向かって両手を口に添えた。
「隅田教授ぅー! お昼にしましょー!」
一瞬遅れて、遠くの教授が顔を上げる。そしてこちらに向かって大きく手を振った。
「ちょうど私もそう思っていたところだー!」
どうやら教授も限界だったらしい。私たちは実地調査をひとまず中断し、昼食を取れる場所を探すことにした。
◇
村の中をしばらく歩いたところで、一軒の店が目に入った。
古びたモルタル造りの建物。軒先には大きな看板が掲げられていて、少し色褪せた文字で「かかと商店」と書かれている。店の前には飲料の自動販売機が一台置かれ、その隣には、籠に盛られたトマトやナス、キュウリなどの野菜が並べられていた。果物もいくつか置かれている。どれもスーパーで見るものより、どこか不揃いだった。
引き戸を開けて店内に入る。思っていたよりも狭い。けれど、その限られたスペースに、ありとあらゆるものが詰め込まれていた。
壁際には棚が並び、菓子やカップ麺、調味料が所狭しと並んでいる。その隣にはトイレットペーパーや洗剤、乾電池まで置かれていた。冷蔵ケースを覗けば、牛乳やジュースのほか、ハムや卵も並んでいる。
きっと、この村で唯一の店なのだろう。そう思わせるには、十分すぎる店構えだった。
「ないっ!どこにもないーっ!!」
教授の声が狭い店内に響き渡る。疲れとうるさいのと恥ずかしいのとで少しイラっとする。
「財布なくしたんですか。お昼くらいなら奢りますよ」
「違う、米が売ってないんだよぉー」
近づくと教授が天を仰ぎ見ている。棚を除いてみると、確かに透明なラップに包まれたサンドイッチや総菜パンは置いてある。しかし、おにぎりをはじめとした米を使った弁当の類はそこには存在しなかった。
すると店の奥から店主のおじさんがのそりと姿を現した。
「あんたら、よそから来た人だね」
「はい、そうです。田んぼの実地調査で」
「そうかい。祭りがあるからなー。祭りの一週間前くらいから村のもんは米を食わんのよ。だから置いてないんだわ」
「関係あるんですか」
「ん?伝統だよ、伝統。まぁ、しゃあないからパンでも買ってくれ」
私と教授はそれぞれパンを買い店を後にした。近くの木陰に腰を下ろしパンと飲み物を広げた。教授はいまだに「こめが、こめが……」と嘆いている。教授を見てふと思い出す。カバンの中からおにぎりと漬物の入ったプラスチックのタッパーを取り出した。
「あのー、これ良かったら……昨日、具合悪くて食べてなかったんですよ」
「い、いいのかい」
「えぇ、連れてきてくれたお礼です。標本用のタッパーに入れたんで腐ってはいないと――」
「ありがとうっ!」
教授は話を最後まで聞き終わらないうちに、お礼と同時に私からタッパーを奪い取り、中にあった二つのおにぎりを右手と左手に持ち、交互にガツガツと食べだした。
「うんっまぁぁああ」
――おい、普通二個あったら、一個ずつでしょ。ほんとこの人は……
教授の常識のなさにこめかみをピクつかせながら、代わりにもらったハムとキュウリのサンドイッチを頬張った。
食べ終わり、ペットボトルのお茶をひと口飲むと、空腹が満たされたおかげか思考に余裕が出てくる。
――一日じゃ何の収穫もないと思っていた。でも、隕石、新種かもしれないカエル、リン酸カルシウム。思った以上に収穫があった。今はまだ、それがどう繋がるのかはわからない。けれど、このどこかに『かかとおとし』の秘密がある気がする。早く研究室へ持ち帰って調べたい。そしていつか――。
私は実家の田んぼを思い浮かべた。自然と口元が緩む。期待に胸が弾んだ。
食事を済ませた後、私たちは実地調査に戻った。正午あたりは気温が高くなる。稲の葉が朝と比べてどれほどしおれているかを確認し、用水路、田んぼの中央、排水口の三か所で水温を測る。
蝉とカエルの鳴き声は相変わらず賑やかだった。けれど、不思議と嫌ではない。むしろ懐かしかった。実家の田んぼでも、夏になれば同じような音が辺りを満たしていたからだ。気付けば、私は少し楽しくなっていた。
調査がひと段落した頃には、太陽も西へ傾き始めていた。照りつける暑さはまだ衰える気配がない。それでも、田んぼを包んでいたミンミンゼミの大合唱の中に、山の方から別の声が混ざり始める。
カナカナカナ……。
――あ、ヒグラシだ。
少しずつ近づく夕暮れを告げるように、その声は静かに山々へ響いていた。




