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AnfangSage  作者: 上月琴葉
第四部 終章
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10話 喪失残響

「……っ……はあ……」


 色を取り戻した世界のどこかで黒髪に赤い瞳を持つ少年は肩で息をした。


「……抑えておけるはずだったけど……これで負のマナが世界に降り注いでしまった。今回は助かったよ……ナギ」


 ナギの力は鎮めと浄化。あの時の光は少年の体内に今も流れ込んでくる負のマナの貯蔵分を一瞬で浄化した。


「……精霊界は気づいていないのか?それとも余裕がないのか……?闇の巫女の凄まじいほどの力の源と……お前たちが迫害してきたあの片羽のとんでもない置き土産に……」


 この情報をせめてナギに伝えなければと少年は瞳を閉じる。


 全てが手遅れになる前に。そしてーー


「スカアハ……眠りの中で偶然【夢守】に出会ったもの。ゆえに【界秘幻郷】の危機をこの世界でただひとり識る者。計画は破綻した。もう君の犠牲だけでは……この世界は救えない」


**


「……そうか。わらわが封印されて長い時が流れても、精霊界は結局変わらなかったのか。もうこの世界にその片羽の少女の気配はないが……わらわは彼女を責める気にはとても……」


「ごめん。オレは多分もう、保たない。ナギの鎮めも何度もは使えない。だから、全てをナギとあんたに託す……」


 【黒の夢守】はある片羽の少女の記憶をスカアハに見せた。


 生まれた時から灰色の片羽を持っていた精霊の少女。


 精霊界は彼女を異端視して、ずっと幽閉していたという。


 絶望しかない日々の中で、彼女は眩しい光に出会う。


【扉守】。人間から精霊になった、精霊たちにとっての異端者たち。


 彼らは少女に名前を与えた。


「イオン。菫っていう春に咲く花の名前。君の髪とおんなじ色のかわいい花」


「……イオン……みてみたいけれどわたしには……」


 うつむく少女に、【扉守】は微笑んで、


「大丈夫。俺、植物育てるのは得意なんだ。なんたって前世が農家だからね!だからすみれの花を咲かせて、持ってきてあげる。約束だよ」


 彼は数日後、約束通りに、すみれの花を育てて彼女に見せた。


「やくそく、まもってくれてありがとう。わたしはここからでられないけれど、そとのせかいのおはなしがききたい。あとね、いろんなおはなをみてみたいの」


「わかった、あ、まだ名乗ってなかったけど俺はイージス。【扉守】は人間出身だから風当たり強くってさ。リートとかマリアとかフェリットもここに連れてきてもいい?ほら、秘密基地みたいな感じで!」


「……うん。あなたのおともだちなら、きっとわたしをいじめたりしないとおもうから……」


 少女の体に残るあざを見て、彼はそっと手をかざす。柔らかな光が少女を癒す。


「……これでもう痛くないよ。じゃあまたね」


 少女はこの時、その笑顔に恋をした。


 【扉守】たちは少女にとって【ひかり】となった。


 少女の絶望の世界は鮮やかに彩られていく。たわいない会話も、内緒で食べたお菓子の味もかけがえのない宝物になった。


 だが、その日々は突然終わりを告げた。


 どんなに待っても、もう【扉守】たちはやってこない。


 少女にはわかっていた。彼らを喪失したことが、わかっていた。


 やがて彼女は理由を知る。


 ーー【扉守】たちはマナの扉を開くために。世界を守るために捧げられた。彼らはこれから何度も人間として転生を繰り返す【転生の魂】になった。


 少女の胸に、火種が宿る。


 それは彼女を冷遇する世界に向けた憎しみと、大切な人を奪われた怒り。


 そして【転生の魂】という希望。


 ある夜、少女もまた偶然に【夢守】に出会う。


 少女の境遇に古い記憶の傷がうずいた【黒の夢守】は、【扉守】たちの石が美しい宝石となって静かに【界秘幻郷】で眠っていることを教えてしまった。


「そう。じゃあいつかその石を迎えにいくね。そして新しい世界で、今度はずっと一緒にいるの。わたしを冷遇しない、世界で」


 片羽の少女はこの時から計画を練りはじめた。


 本来なら不可能なはずの計画は、精霊の女王ミトラが落日で竜に堕ちたことで実現してしまった。


 混乱に紛れて檻を抜け出した少女は、浜辺でフルイドに拾われた。


 フルイドの「叡智励起」を成功させたのは少女の協力があったから。


 代わりに少女はフルイドにあるものを作るよう求めた。


「こんなことで良かったらいくらでも手を貸すわ。だけど対価だけは忘れないで。葬竜剣ーー一振りだけでいいの。絶対に生み出して」


 フルイドは少女との約束を果たし、剣は密かに少女に渡る。


 そして少女は……【落日竜】を葬った。


 瞬間世界に解き放たれるはずの莫大な負のマナはほとんど少女が吸収し、その力を持って、彼女は【石】を盗み、結晶樹の根を辿って別の世界へと飛んだ。


【夢守】は彼女を止められなかった。


 何故なら今の彼女はもはや、かつて存在した【管理者】に並ぶ力を持っていたからだ。【夢守】が石の喪失に気づいた時にはもう全てが終わっていた。


 異変が起こったのはその後。


 落日竜の魂が、【界秘幻郷】を侵食し始めたのだ。落日竜の魂に刻まれたのは激しい憎しみや恨み。片羽の少女の中で育ち続けてきたそれらは彼女が振るった剣と共に、魂を穿った。


【夢守】はせめてこの世界とのマナリンクを断ち切ろうと、道を閉ざすためにこちらの世界へ堕ちた。


 だが、薄くなった世界の壁を超えて、その声はひとりの女と響き合った。


 片羽の少女と同じように、世界に冷遇され、ひかりを見つけ、喪失を味わった者。


 すなわちリアン・ル・フェ。


 タナトスの刻印儀式が成ったことで、彼女は完全なる【落日竜】の【半身】と成ったのだ。


「……タナトス……いや、クロワとリアンへの実験に気づけなかったわらわの落ち度か。だが、まだこの世界を救う手はある。クロワには酷じゃがな……」


 スカアハはもはや最後の部下となったクロワを呼び、全てを伝えた。


「……そんな……」


 全てを知ったクロワは、震える声で口を開く。


「俺に……それをさせるんですか……ああ、だけど、どこかでわかってはいたことです。俺たちの魂はタナトスによって歪んでいる。本来ならきっと俺もリアンもあの夜に……死ぬはずだったんでしょう。だけど、その運命が歪んだならきっと俺は……彼女のいない時間を……永遠に近い時間を生きることになる。それでも、リアンはきっと……世界の滅びを望まない……だから……」


 スカアハから手渡された剣はひどく重かった。それでもクロワはその剣を腰につけ、強い瞳で頷いた。


「その役目を、果たします。恋人として……最期の役目を」


「すまぬ……」


 スカアハの瞳から涙が溢れる。


「泣かないでください。貴方は世界を混乱に巻き込んだ闇の女王なんですから……部下なんて使い捨ての駒と思ってるぐらいがちょうどいいんです。ああ、だけど。俺たちの結末は……貴方が悪いわけじゃない。俺たちは願ってしまった。死の運命を書き換えた代償が……ある恋人たちの、よくある悲劇なだけですよ」


 クロワは静かに踵を返し、スカアハの元を去る。


「……わらわも役目を果たそう。片羽の少女よ。お前の想いはわらわが全て打ち砕こう。世界に冷遇され、大切な人を奪われて、それでも世界を憎めなかった……闇の女王が」


**


「……みんな、集まってくれたね。……手短に。これは僕のかたわれ、【黒の夢守】ランからの伝言だ」


 ナギはリヒトたちに危機の原因を明かし、【界秘幻郷】を鎮める方法を伝えた。


「……これはふたりからのわがまま。どうか……どうか片羽の少女を憎まないで。あの子が望んだのは……ありふれた小さな幸せだけだった。絶望の中でそれでもひかりに出会い、その【ひかり】と共に生きたかっただけ……それだけなんだ……」


「……イージスさん……【扉守】のみんな……」


 リヒトは思い出す。


 ずっと蒼月の島で人知れず見守り続けてくれていたリートのことを。


 彼らなら確かに、そんな少女を放っておかないだろう。


 フィンスは思い出す。


 転生後に呪いを背負ってまでも、フィンスを生かしてくれたリートのことを。


【月の子ども】を差別せず、受け入れてくれた彼ら。


 ーーフィンス。君たちが俺たちを思い出した今、最後の希望が芽吹くように。


 あの時精霊歌に託して君たちに遺しておいたマナ・ルーンの封印を解こう。あの子の傷は深すぎるから、これから先の別の世界のことは俺たちに任せて。


 この世界に遺ったものはマナ・ルーンで浄化して欲しい。……頼んだよ。そうだね、いつかどこかで会えたら……お礼は美味しいスイーツでお茶会とか……どうかな……


 優しい声と共に、柔らかい光が溢れ出す。


 アルヒェに宿るのは【地】


 リヒトとフィンスに宿るのは【風】


 シュネルに宿るのは【炎】


 マトリに宿るのは【水】。


 【扉守】たちの遺した想いの封印はここに解けた。


**


 同じ頃。


 残る理性と【扉守】の力を振り絞り、【黒の夢守】は【界秘幻郷】に渡った。


 美しかった世界は、暗闇と瘴気に満たされている。


「……【黒の夢守】は、記憶を保持する。それはただひとつ。結晶樹を……切り離すため……方法は知ってる……【蝶】が言っていた……」


 ランは意識を集中して、鋏を生み出す。それは、結晶樹を【界秘幻郷】から切り離す刃。


ーーもしも、この場所が闇に覆われたなら、結晶樹を切り離すんだ。【黒の夢守】の力は【破壊】と【蓄積】。君は守るために、君自身を壊すんだ。


 そんな未来が来ないことを……祈ってはいるけれどね……


「……裁ち切れ!」


 世界がひび割れて、結晶樹が消える。


「……これで……」


 ランは消えていく意識の中で思う。


 【心狂い】を俺が引き起こした……フルイドはそう思っていたけど……違う。あれは……ナギが浄化しきれなくなった負のマナの影響だ。だからオレは秘密裏に手を下していただけ……だけど言えないよな。ナギは十分頑張ってたし……あいつのことを守りたかった。


 俺はそもそも【守るために壊す者】ーー自分自身を含めて。だから……いくら傷ついてもいい。【黒の夢守】が負のマナに飲まれて何が起こるかはわからないけど……ナギ、お前なら止められる。俺もできる限り抗うよ……



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