9話 【死】の先へ
「……なるほど。メリュジーヌは寝返り、ルーベウスは子に討たれたか。だがこちらにはクロワとリアンがいる。クロワは強情だが、お前は従順だな、リアン」
「……あなたの仰せのままに」
リアンはタナトスの前に跪くが、その目に光はない。
「調整がうまくいっているようだな。せいぜい役に立ってもらうぞ、闇の巫女」
**
その頃、クロワはひとりで森を駆けていた。
「くそっ……リアンを……リアンだけは助けないと」
居室で目覚めた後、リアンは別人になっていた。
もちろん身体はリアンなのだから見た目も声も変わらない。
だが、目覚めた彼女は……
「……貴方は誰ですか?どうして私の部屋にいるのですか?」
「僕はクロワで、君の恋人だよ?マナを交わしたことだってある」
クロワのことを全く覚えていなかった。
「……ごめんなさい。わかりません。敵意はないと判断しますが、退室を求めます」
「……わかった」
絶望したまま部屋を出たクロワは、冷笑を浮かべるタナトスをみて、反射的に殴りかかった。タナトスは簡単に鋭い拳を受け止める。
「おや。恋人に忘れられた気分はどうだ。クロワ。まあ調整の副作用だよ。刻印儀式の時点で黒妖精の素体といえど命を落とす可能性だってあった。こうして生きているだけで充分じゃないか?」
「ふざけるな……お前、あの時、培養槽のマナ水に何か混ぜたな?」
「ああ、【竜血】を少しばかりね。ところでクロワ、お前は身体は平気なのか?」
「……別に……今のところは……【竜血】……?」
今のこの世界に竜などいるだろうかとクロワは考える。竜血樹という植物があると本で見たような気がするし、植物の液体でも混ぜたのだろうか?それとも何かそういう名前の鉱物や食べ物?
「ああ。本物の【竜血】だよ。メリュジーヌからスカアハ様のためと言って拝借してね。あの子はスカアハ様のためといえば簡単に協力してくれるから扱いやすかった。少量でも、機材を使えば増殖は可能だ。いずれは人工竜血でも作るか」
「本物の……?いや、俺が気になるのはそこじゃない。【竜血】の作用だ。調整と言ったが、もしかして【竜血】とは……生き物を変質させるのか?」
「……賢いね。その通りだ。ただ興味深いのは、どう変質するか、わからない点だ。実験用の植物やモルモットで試してみたけれど、ある植物は色が変わり、同じ植物でも種が5倍になったり、巨大なかぼちゃが出来たりした。リアンの場合は……【心】と記憶が欠落していくようだね」
タナトスは淡々と告げ、笑みさえ浮かべる。
クロワの背中に冷たいものが走り、そして心の奥で火種が爆ぜた。
「……ふざけるな……!なんで……なんでそんなことを笑って言えるんだ……神にでもなったつもりなのか?」
「私の神はスカアハ様だけ。ああ、でも強いていうならば。実験は「楽しい」な。フルイドは言っていた。心が動くのが楽しみだと。ならば実験こそが私の楽しみだよ」
「タナトスッ!」
怒りで反射的に振るわれた拳は、正確にタナトスの顔面を捉えた。
「おや。【アルングリム】の力が少し馴染んだようだな、クロワ」
「……なに、これ……この、腕……」
クロワの腕は毛に覆われ、鋭い爪が生えていた。
「【アルングリム】の力とはベルセルクの力。ユミルの叡智によれば、【獣纏い】と呼ばれる種族がいた。太古の昔、獣精霊とひととの混血として生まれたらしい。【獣纏い】は、【感情】をトリガーとして、ひとの身にその【獣】由来の力を宿したり、獣本来の姿に化身する。【毒花】が作った獣化毒は劣化版だ。私は【死】を集めるものゆえ、様々な魂に触れ、また骨などから一時的に生前の姿を復元できる。だから、【獣纏い】の【人狼】のマナを拝借して、クロワに混ぜた」
「人狼……」
腕はいつの間にか人間のものに戻っている。
「面白いな。姫と獣か……さて、東方アキツの竜を狩ろう。リアンも連れていく」
「待て!」
姿を消したタナトスと入れ替わりでクロワに話しかける影があった。
「クロワ」
「……スカアハ様」
「……安心しろ。わらわはそなたに聞きたいことがあるだけじゃ。単刀直入にいう。今までタナトスは何をしておった?そして何をしようとしておるのじゃ?世界のマナのバランスが想定を越えて乱れておる……このままでは世界が夢に沈んでしまう……」
「……スカアハ様は世界を滅ぼしたいんじゃないんですか?」
スカアハは静かに首を横に振る。
「いいや。わらわはそんなことは望まぬ。そもそも世界を滅ぼすのならマナの扉など開かせぬ。……そして人間界を巻き込む必要もなく、【扉守】を喪う必要すらなかった……」
クロワは息を呑む。スカアハの表情があまりにも苦しそうだったから。
「……タナトスは東方アキツの【龍】を殺してマナを奪うと」
「……クロワ。わらわとともに東方アキツへ。タナトスを止めるぞ。あやつは知らぬ。【竜】が世界の楔を担っていることも、アキツの【龍】が世界を守っていることも……確かに我は精霊戦争を引き起こし、マナを集めている。だが全てはあの場所へ続く道を得るため。それに……シュリ女王の仲間の中でマナルーンを扉守から継いだ者たちがいる……タナトスに彼らを倒されればむしろわらわの計画は破綻する……!クロワ。お前はアキツに着いたらシュリ女王側につけ。タナトスを倒すまでは共闘せよ!」
「御意。タナトスには恨みがありますから……」
**
「では、結界を崩せ。闇の巫女、リアン」
「……はい」
日蝕の謳 <Gnos Fo EsupircE>
世界に帳を下ろしましょう
すべてのものが眠るように
歌うは闇の子守唄
突如現れた黒い天体が、太陽を覆い隠す。
地上は闇に包まれ、鏡華の結界が効力を失って消える。
「……これは……冥の……」
反動を受けた鏡華は口元からこぼれる血を拭った。
「……スカアハが出てきたということか?いや、違う……【切り札】か」
同時に里から悲鳴が上がった。
「……ニミュエ様、マーリン様!私は里へ戻ります!」
「わかった。リヒトくん達も同行してくれ!」
「はい。いくよフィンス!」
「兄さんとならどこへでも」
**
結界で守られていたはずの里は骸兵で溢れていた。
「こういうことするのはタナトスだけだね……リヒト達は鏡華さんと協力してとにかく里の人たちを非難させるのを優先して。私はタナトスを追う」
「シュリ、気をつけて」
シュリはリヒト達と分かれて剣で骸兵を屠りながら単身でタナトスを追う。狭い路地が多い東方アキツではひとりの方が身軽に動ける。マーリンから渡された【連絡鳥】を肩に乗せてシュリは路地を駆けていく。
マーリンの【連絡鳥】からの事前連絡は以下。
マトリ、クルクはルーベウス撃破に成功。ただしマトリのダメージが大きいため回復に専念。以降の戦いは戦線離脱。
ロキはメリュジーヌを仲間に加え、東方アキツへ移動中
シュネル、アルヒェは私たちの護衛。戦況によっては加勢。
「ああ、もう骸兵が多くて邪魔っ!」
タナトスのマナが濃くなるに連れて骸兵の数は増えていく。一体は弱いがそもそも数が多いため、走り続けるシュリには少しだけ疲労が見えていた。それでも足は止めない。
「ほう。単騎とは舐められたものだな。女王シュリ。お前の羽をこの鎌が切り裂いたこと、忘れてはいないだろう?」
「もちろん忘れないよ。あの時の痛みも屈辱もね。きっちり倍にして返してあげるから……覚悟して」
**
シュリとタナトスが接触した頃、マーリンの元にひとりの青年が現れた。
「……あなた達とタナトスを倒すまで共闘したいとスカアハ様が仰せです。僕はクロワ。クロワ・アルングリム。【アルングリム】の力を宿す【狼】の【獣纏い】です」
「スカアハが共闘を……?しかし、あなたは嘘をついていませんね。とりあえず話だけは聞きましょう」
「感謝します。これはスカアハ様から伝えるように言われた全てですーー」
話を聞き終わったマーリンは共闘を決め、クロワを里に向かわせた。
「良かったの?」
「うん。実際謎だったんだ。精霊戦争を引き起こしたわりには、積極的にシュリ女王を狙ってくる様子がなかった。しかしマナを集めて【界秘幻郷】の異変を鎮める……そしてそれには【扉守】のマナルーンが必要になる。彼女はどうしてそんなことを知っていたんだろうね……何故それをミトラ様に告げなかったかは……まあ告げたくても、告げられなかったんだろうね……彼女は罪人だし、【黒き者】。人間界における【月の子ども】みたいな位置だから……」
「……お話は終わりでしょうか。わたしは闇の巫女……【龍】を殺します」
突如膨れ上がった冥のマナとともに現れた女に、シュネルとアルヒェは剣を向ける。
「させねえよ。アルヒェ!」「はい!ニミュエさん達は援護お願いします」
「いきます」
闇の巫女は静かに目を閉じ、意識を集中する。
「……シュヴァルツシルト」
圧縮された冥のマナを封じ込めた球体が膨れ上がるとともに爆発したーー
**
「[[rb:【死の舞踏】>ダンス・マカブル]]」
タナトスは踊るように鎌をふるい斬撃を繰り出す。
「ちょっと遅いかな?鎌が重いんだろうけど!」
シュリは正確に軌道を読み、全てをかわした。
だがそんな彼女を骸兵が追撃する。
「っ!」
大した傷ではないが、タナトスと同時に骸兵達の相手をするのは正直厳しい。シュリの戦闘スタイルは基本的に単体向けだ。広範囲をカバーするのは不得手。
「ああもう!タナトスに集中したいのに」
「人海戦術というやつだよ。もっとも人ではなく骸だがね」
ふたりは会話をしながらも互いに斬撃を繰り出し、そして避ける。
まるで舞い踊るように軽やかに。
「本当にしつこいよね。精霊界から東方アキツまでなんでそんなに私を追いかけたいのかな?」
シュリは跳躍して屋根の上に着地する。
「スカアハ様の最大の敵になるのはお前だろうからな」
タナトスの鎌の一閃で屋根が切り裂かれて崩れ落ちる。シュリはバランスを崩して、石畳めがけて落ちていく。
「……大丈夫ですか?」
「……うん。え、えっと誰……?こんなところにいたら危ないよ?」
白と黒。二色が混じった髪の色の青年はシュリを優しく受け止めるとまっすぐにタナトスを見据えた。
「……覚悟しろ。タナトス。スカアハ様の命によりお前を止める!」
「スカアハ様の命?戯言を。まあいい。シュリ女王、クロワ。まとめて葬ってやろう」
再び放たれる[[rb:【死の舞踏】>ダンス・マカブル]]。クロワはシュリの手を引いて避ける。
「シュリ、君がスカアハ様に思うことはあると思う。だけど今だけは僕と共闘してくれ。ふたりなら……あいつを倒せるはずだ」
「戦いの後で色々説明して。今は……一緒にタナトスを倒そう!」
「……感謝する。僕があの崩れかけた建物の下にあいつを追い込む。シュリはそのタイミングで建物を崩すんだ。大丈夫。【アルングリム】の力で自己再生するから僕のことは気にしないで!」
クロワは言い残して白と黒のたてがみを持つ美しい狼へと変わる。
「……犬が」
タナトスの注意は走り出したクロワにまっすぐ向けられた。シュリは路地裏を抜け、指示された場所へと駆けた。
「追い詰めたぞ」
建物の下で、人の姿に戻ったクロワは痛みに耐えながらじっとタナトスを見据えていた。回復能力が追いつかないほどに受けた無数の切り傷。それでも戦う意志は失わずに。
「終わりだ。メメント・モリ」
必殺の鎌が首を落とす前にーー
「!?」
建物が崩れ、タナトスを飲み込む。そして一瞬の隙があればシュリの剣は容易く心臓を貫ける。
「引っかかったね。フィンブル!」
それは世界を滅ぼす冬の名。心臓を凍てつかせる絶対零度の刃。
「……っ……」
タナトスの体が崩れて塵になる。こうしてシュリとクロワは【死】を越えた。
「……よくやってくれた。クロワ」
「スカアハ……様……」
クロワの傷を癒したのはついにシュリの目の前に姿を見せたスカアハだった。
「スカアハ……」
「シュリ女王。思うことがあるのも、わらわを憎むのも当然じゃ。だが、わらわを討つならば……【界秘幻郷】で討って欲しい。信じずとも良いが、わらわは世界を滅ぼすことは望まない。決して望まぬのじゃ……」
スカアハとクロワが去った場所をシュリはしばらく眺めていた。
「……世界を滅ぼすことは望まない……ならどうして……どうして母様を……わからないよ……」
だが、何故かスカアハの世界を守りたいという思いに嘘はないように感じた。
世界のために自分を犠牲にしても構わないという強い決意があの瞳には宿っていたから。
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「……?不調を感知。命令途絶……任務遂行不能……撤退します」
タナトスの消滅と同時に闇の巫女は撤退していった。
「……た、助かった……」
「ええ。あの押しつぶされそうな冥のマナ……あたしたちでは分が悪いです」
「私の霧雨の幻術だけでは厳しかったね。君がいてくれて良かったよ、ナギ」
「みんなが無事で良かった」
ナギがそう言って微笑んだ瞬間ーー
世界が割れた。
晴れていたはずの空が夜の色に変わっていく。
「……これ……何なの?」
ニミュエがマーリンに問う。
「わからないけど……何だろう……冥のマナが……増えて……」
「……ダメ……ダメだよ!乱」
暗闇の中で凪の体が白い光を放つ。
「だめえええええっ!」
解き放たれた光が闇を切り裂いて、世界は再び元の色を取り戻す。
「はあ……はあ……行かなくちゃ……でも、その前に君たちには……全てを教えないと……みんなが揃ったら……この世界に起きている……危機を」




