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AnfangSage  作者: 上月琴葉
第四部 終章
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8話 ひとと【竜】の物語

 南洋諸島の青空を切り裂くように飛んでいく。


 赤い鉱石の鱗で覆われた皮膚に、ヤギのような角。漆黒の翼。


 もはや完全に人では無くなった身で、人だった頃の記憶を辿る。


 私は貧しい村に生まれた。


 その村では鉱山で美しい赤色の宝石ーーのちにルビーだと知ったのだが、が採れるため、生まれた時から男も女も鉱山で働くのが習わしだった。


 劣悪な労働環境、強欲な村長。美しい赤色の宝石は欠片すらも手に入らない。


 だから、はっきり言って、【竜】が村を襲った時に私は救われた気さえしたのだ。


 【竜】の力は圧倒的で、火焔のブレスひとつで村長の家は灰になった。


 避難していた村人達からは歓声が上がった。


 家にいたはずの村長も当然だがその時に灰になったからだ。


 村長は強欲な上に傲慢だったから、おそらくルビーを使えば【竜】との交渉が可能だと考えていたのだろう。


 【竜】は灰になった家に棲みつき、避難した村人達は鉱山を秘密裏に抜けた。


 私はその際に今後の足しになればと、鉱山内の採掘小屋から一番大きなルビーを含め、いくつかをくすねた。


 鉱山を抜けた私は夜に紛れて海を目指した。


 【竜】と戦っても勝ち目がないことは子どもにでもわかったからだ。


 やがて港町にたどり着いた私は目についた船に滑り込んだ。


 小さなルビーを売っただけで船代には充分だったから、ついでに食料も買った。


 甘いお菓子というものを生まれて初めて食べたのがその時だった。世界にはこんなに美味しいものがあるのかと、チョコレートを食べて涙を流す私はきっと奇異に映っただろう。


 順調だった船旅は、突如として終わった。


 海上に現れた【竜】が気まぐれに起こした嵐に巻き込まれた船は、大破した。


 波に飲まれたあとの記憶はない。


 次の記憶は南洋諸島のあの島で目覚めた時だ。


**


 どれぐらい時間が経ったのかわからない。


 目を覚ました私は洞窟に横たわっていて、見知らぬ【竜】に見下ろされていた。


 武器を探そうとして、自分が一矢纏わぬ姿だと気づく。


 「……目覚めたか。安心しろ。お前を喰らうつもりはない」


 「……【竜】はひとを喰らうものだ。奪い、破壊するものだ。信用できない」


 【竜】は少し思案するように沈黙して、


「……とりあえずはこれを返そう。お前が持っていた綺麗な赤い石だ。


 それでお前の記憶は見た。【竜】を信用できないのは無理もないだろうな」


 ルビーを私に渡した。


「……このルビーは両親の形見なんだ。このルビーの採掘のために、落盤に巻き込まれて……だけど、村長は道具などいくらでもいるって、葬式どころか墓すら掘ろうとはしなかった。だから、あいつが死んだら絶対取り返すって決めていた」


「……両親か。我にはよくわからない感覚だが……これだけは言おう。鉱山の村を襲った【竜】も、船を沈めた【竜】もここにはやって来ない。だから、お前はもう……泣いていいぞ」


「……泣かない……泣いたり……なんか……」


【竜】は、ヒレでそっと頭を撫でる。


「涙は感情を浄化する。人間は悲しい時に泣くのだろう?だが、おそらくお前は泣けなかったのだろう。そんな村長の前では」


 ぽたり。ぽたり。


「……な……ん……で……」


「我は人間を面白いと思う。【竜】の中では変わった思考だろうがな。だから、お前を育ててみたいのだよ。お前だってまだ死にたくはないだろう?」


「……うん……」


 小さく頷く。


「……我はサフィル。お前は?」


「……ルーベウス」


**


 穏やかな島でサフィルに守られて少年はやがて大人になった。


 この頃、サフィルは人間の女の姿でいることが多くなった。


 「ルーベウス。立派に育ったからそろそろいいか?我は後継者が欲しい」


 「構わないが、なぜ急に?」


 サフィルは少し哀しそうに長いまつ毛を伏せた。


「我の知り合いの【竜】が、【竜狩り】に狩られたそうだ。まったく。あの【竜】はむしろひとを守っておったというのに……いや、守ったからこそ狩られたのか」


「……【竜】はみな奪うものだと思っていた。サフィルだけが例外だと」


「個体差というやつさ。【竜】にはいくつか属性がある。【水竜】に関しては基本的に怒らせなければ穏やかでひとを守ろうとするものが多い。【水】は生殺与奪のマナだからな。まあ基本的に奪う者なのは事実だ。だから我は今夜、お前を奪うぞ」


 サフィルは真顔でそう言い放ち、赤く染まった顔を背けた。


 その後、サフィルは無事に子どもを産み落とした。これが後に彼女の好きな花からその名を与えられた「マトリ」だ。


 サフィルやマトリと過ごした日々は穏やかで、幸せだった。


 短く、理不尽に奪われたけれど、私は確かに幸せで、彼女たちを愛していた。


 冷たい湖の底。


 血を失って冷えていく身体。対照的に燻り続ける憤怒の焔。


 いつも身につけていた形見のルビーは、やがて心臓と同化した。


 血が、固まって鱗へ変わる。同時に自己再生が始まった。


 人知れず湖の底で、人間だった男は【竜】へと変質した。


 ーーすべては復讐と、愛しい我が子を取り戻すために。


 **


 そして儀式の前の晩。


 湖の底から舞い上がった竜は、口から吐いた焔で村を焼き尽くし洞窟に閉じ込められていた我が子をーーマトリを救い出して島を去った。


 その後人型に戻った私は宿屋に泊まり、目を覚まさないマトリに少しだけ自らの【竜血】を与え、人間として生きていけるように記憶の改竄を行った。


 数日後、【竜血】の影響を心配したが、マトリは回復して目を覚ました。


「……とうさま」


「ああ、父様だよ。元気になってくれてよかった。これからは大人になるまで一緒だ……」


「はい」


 マトリが大人になるまで、世界の色々な場所を巡った。


 大人になった後や護身術も兼ねて剣術も教えた。


 そして、彼が成人を迎えた朝。


 共にいた記憶を奪い去って、私は静かに姿を消した。


 密かにあの島に戻った私は、懐かしい城で眠りについた。


 スカアハ様が、封印を解いて訪れるまで。


 そして彼女の計画を聞いた私は、協力することを決めたのだ。


「人としての記憶はここまでか。思い出す側から崩れていく。ああ、でもせめて。もう一度マトリと向き合うときまでは……この自我を保ちたいものだ……それに、スカアハの真意も……せめてあの子と……あの半妖精には……理解しろとは言わないが、それでも何も知らないまま戦うよりはずっといい、はずだ」


 そして赤い鉱石の竜は東方アキツの島の海岸に静かに舞い降りた。


「……お相手します。父様」


 静かに剣を構える息子を見て、ルーベウスは人の姿を取る。


「ああ。この身はまもなく【火】の【竜】となる。討ち果たしてみせろ!マトリ!」


**


 竜が啼く。戦いのはじまりを告げるように。


 人だった頃の面影はすでに無く、理性すらも失われた獣。


 圧倒的な力を持つだけの獣がそこにいた。


 放たれるのは超高温の焔のブレス。その合間を縫うようにマトリは走り、地を蹴った。


ーー狙うのはルビーの心臓。【竜】の力の源を打ち砕け。


「天水!」


 無数の水を纏った斬撃は竜の爪で簡単に防がれる。


 空中で爪の一撃をギリギリでかわしたマトリは、そのまま着地した。


「まあ、簡単にはいかない、か。そもそもこの技は父様から教わったしね……」


 真正面から心臓を狙うのは無理。ならば……


「霧雨」


 水のマナを利用して霧を作り、霧人形を囮にして背中側に……


「マトリ!避けて!」


「……ぐあっ!」


 尻尾の先についている鉱石が、刃のように肩を裂く。


 小手調べは通じそうにない。痛みを堪えて尻尾の追撃を飛び退いて避ける。


 次は爪の一撃が来る!


「ガアアアアア!」


「……あれ?」


 身構えた一撃のかわりに響いたのは苦しげな咆哮。


「……マトリの……【半竜】の血を浴びたから……?尻尾が……ひび割れて……」


「あ……」


 マトリは思い出す。自らの血は【竜】を殺すことを。


 そして意を決したようにクルクに訊いた。


「あのさ、血って水に入ると思う?」


「入ると思うわ。そもそも水分がなければ血は生成されない。……まさか」


「……強力な回復呪文用意しておいて。一撃で決めてくるよ」


 マトリは静かに竜の前に立ち、意識を集中する。


「……【水竜】が命じる。零れ落ち、流れ落ちる【竜血】よ……」


 彼の肌に蒼い鉱石の鱗と赤い鉱石の鱗が結晶化し、宝石のような煌めきを放つ。


「今ここで双色の刃となりて断罪せよ……」


 現れるのはマトリ自身の血が結晶化した竜殺しの剣。その刃先が狙うのは心臓のみ。


「穿て!竜葬剣【デュランダル】!」


 高速で突き刺さった剣は一撃で確実に心臓を貫いて。


 咆哮ののち竜は倒れた。


「……ありがとう……父様……俺を育ててくれたこと、俺を愛してくれたこと、もう二度と忘れません……」


 ーーこれでいい。私もお前と出会えてよかった。マトリ。


 力尽きたように竜はルビーに変わる。マトリはそっとルビーを抱きしめるとそのまま気を失った。


「……まったく。父親がこれだからマトリも無茶ばかりするのかしらね」


 クルクは回復呪文をかけたのち、マトリを海水に漬けた。これで消耗しきった【水】のマナは徐々に回復するだろう。


「しばらく隣で波の音を聞いていたいわ。どのみち他のみんなもそれぞれに戦っているでしょうし……マトリは少し休んだ方がいい。目が覚めたらとびきり美味しい東方アキツの甘いものでも食べに行きましょう」


 ――半妖精の娘よ。完全に消える前に真実を伝えよう。スカアハは【世界を滅ぼそうとはしていない】と……


 波打ち際でクルクはひとり言葉の意味を考える。


「精霊戦争を起こしながら、【世界を滅ぼそうとはしていない】……どういうことなのかしら。あとでニミュエに訊いてみよう……」


 呟いた声を潮風がただ、攫っていく。



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