6話 竜とひとの物語 三
生まれ落ちた私という存在はひどく無気力だった。
【死】という権能を持つ故に、ことが起こるまでは地上に出ることさえできなかった。
たとえ外に出ても、基本的には夜の月明かりしか見たことはない。
太陽の光は、私には毒でしかないからだ。毎日毎日、夜を待ち、夜になるとハデス様の命に従い、魂の残滓を回収した。その繰り返し。
元々そのように生まれたのだから任務に疑問を持ってはいけないはずなのに、私は出会ってしまったのだった。
ひとつめの出会いは回収に訪れたフルイドの研究所だった。
研究所には窓がなかったから、私はのんびり彼と話すことができた。
相手が人間だからと、任務への疑問と、正直つまらないと繰り返すだけの日々に対する愚痴を漏らした。
「ふむ。精霊といってもそのあたりは人間と変わらないんですね。人間として助言するならば、あなたは楽しみを探すべきだ」
「楽しみ……?」
「つまらないと思うなら感情はあるということです。心が動くものがないか試してみるといい。この研究所にはデータベースや本もありますから」
「……試してみよう」
それから仕事を終えた後にフルイドの研究所に出向き、様々な本を読んでみた。
だが、特に私の心が動くことはなかった。人間に興味は持てないのだと彼に告げると、
「それでは、あなたと同じ【精霊】の物語はどうですか?データはあるのですがいくつか読めない箇所があるのです。精霊であるあなたなら解読できませんか?」
画面に映し出されたのはいくつかの【精霊】の物語。
精霊である私はフルイドが読めないと言った精霊言語も当然読むことができた。
そしてふたり目の運命と出会う。
ーースカアハ様だ。
彼女の辿った運命や、強さ、美しさ、信念に私は魅入られた。
ああ、もっとこの精霊のことが知りたいと心から思ったが、研究所にはそれ以上の記録はなかった。それならば精霊界ではどうかと足を伸ばしたがーー
「あの戦いのことに関するものはほとんど禁書です。スカアハは罪人です。あなたがどういう精霊か知りませんが、興味を持つことは褒められたことではありませんよ」
「……失礼する」
私はこの時にはじめて精霊界に対して不満と怒りを覚えた。
研究所で見た記録から私はある疑問を抱いたからだ。
「スカアハという精霊は本当にそこまでの悪だったのだろうか?」
失意のまま精霊界を後にした私は、フルイドに仮説と憤りを話した。
「なるほど。あなたの心を動かしたのはスカアハ様、だったと。……これはまだ現時点では実現不可能な夢ですが、私の目標は【ユミルの叡智】にアクセスすることです。方法は考えましたが、財力も知識も足りない。それに何より難しいのは、【精霊】の協力者が必要ということです。しかし私はあくまで人間ですからね……」
「……【ユミルの叡智】に触れれば、スカアハ様の封印を解けるのだろうか。私は叶うならスカアハ様にお会いして、【真実】を知りたい」
「……何故?」
「……記録を見るに現状精霊界に蔓延っている【白き者】は【黒き者】を迫害していたからだ。あなたの言ったように精霊も人間もそう変わらないのだとすれば……【黒き者】というだけで必要以上の罰を与えられ、罪を背負わされている可能性もある。任務であまりにも色々な【死】を見てきた。穏やかな大往生も、理不尽な事故も苦しい闘病の果ても、そして……殺しによる【死】も。記録によればスカアハ様は夫であるリューを処刑されている。そのことに憤りを持つのも復讐を願うのも当然だろう。人間は理不尽に愛したものを奪われる時、激しい怒りに焼き尽くされるものだ。精霊もおそらくそうなのだろう?」
「……ふむ。それは人間でもよくありますよ。集団で生きる生き物は異分子に対してどこまでも残酷になれますから。人間界では人間以外の血が混じったものに対する迫害など日常茶飯事です」
「……結論を言えば。私は貴方に協力しよう。精霊言語で読めないものがあればいくらでも解読してやる。封印が解けなくても……【ユミルの叡智】に【黒き者】と【白き者】のことや、秘された記録が残っているかもしれない。研究費用も出そう。精霊界の通貨を任務のたびにもらっているが使い道がなくてな。必要な備品や薬剤があればまとめておいてくれ。そのかわりに研究所の機材を使わせて欲しい」
「交渉成立です。お名前は」
「……タナトス。【死】の権能を持つ【黒き者】だ」
そして私はスカアハ様を目覚めさせた。
そのための犠牲などなんとも思わなかった。【死】を見すぎた瞳には、ただの日常茶飯事で、せいぜい人形が壊れたとしか映らなかった。
**
「……クロワ、お前のいう通りだよ。私にとって人間なんていうものは目的のための道具でしかない。それ以上の感情を抱くことはない……だが、【竜】は別だ」
【竜】は古い種族。世界の始まりを知っていると【ユミルの叡智】は語る。
そこにはきっとスカアハ様が探し続けている場所の手がかりがあるはずだ。
あの方の望みは私の望み。忠誠を誓ったあの日から私の主人はスカアハ様だけ。
「……【界秘幻郷】に行く方法、どんな手を使ってでも吐かせてやる……!」
目の前に横たわる巨大な竜の骨に手をかざす。
【死】を一時的に棄却し、魂を呼び戻す禁術。ただの骸に再び魂が宿る。生前の姿を一時的に取り戻した竜に問う。
「……主が命ずる。【界秘幻郷】への行き方を教えろ。知らぬのなら我が眷属となれ」
「……聞き覚えがない。そもそもその名前をどこで聞いた?」
「……【ユミルの叡智】だ」
竜は笑う。
「【ユミルの叡智】?片腹痛いわ。竜はもっと古くから生きて多くの知識を持っている。あやつらの知識には欠落も多い。事実、行き方は残されていなかったのだろう?」
「ああ。世界を支える結晶樹がある場所としか」
竜は少し考えて、
「……【白と黒の夢守】を探せ。方法があるとするならばそれだけだ。もっとも本当にそんな存在がいるのかはわからぬが。竜の間でも噂でしかなかったことだ。だが、【界秘幻郷】を守る【白と黒の夢守】がいるという伝承だけは聞いたことがあるのでな」
「……感謝する。眠りを妨げたことは謝罪しよう」
竜は再び骨に戻り、力尽きたように骨は砕け散った。
「……一度研究所に戻ろう。好奇心旺盛だったフルイドのことだ。【界秘幻郷】について有力なデータが残っているかもしれんな」
**
無人となった研究所の跡を歩く。
やがて精霊言語の刻まれた研究室に辿り着き、生体認証を済ませてドアを開けた。
「……」
埃の積もった部屋は何も変わっていなかった。
違うのは、研究所の所長であるフルイドも、職員たちももういないこと。
ジュリリリ、となく案内ロボットの声だけが懐かしかった。
「……目的を果たさねば。スカアハ様の望みを叶えねば……」
データベースの中の禁域にアクセス。フルイドとタナトスのみがアクセス権限を持つこの中には、人間界と精霊界の禁書や禁忌に関するレポートが保管されている。
「……界秘幻郷……あっさり見つかったな」
界秘幻郷に関する機密文書
界秘幻郷の【黒の夢守】の記憶から抽出したものを含める。
界秘幻郷はこの世界(人間界、精霊界を含む)が夢に沈まないための楔である結晶樹を護るための世界。
魂が還る場所へ続くため、基本的に生者が立ち入ることはできない。
この問題を解決するために精神体分離薬を開発。
【レテ】までたどり着いたが、番人に追い返された。
ここからは推測。
スカアハはなぜ精霊戦争など起こしたのか?
仮説1 界秘幻郷の処理落ち狙い
戦争を起こし魂の流入量を増やし、界秘幻郷が正常に機能しないようにして夢守たちを誘き出す?
→スカアハは精霊戦争を名乗るわりに明確な戦闘指示を与えている様子がない。
各地の戦乱、特にネージュフィオーレの事例は私がダインをたきつけたものだ。
幹部クラスはそれぞれの目的のために動いているらしい。【断罪の牙】もそこは同じだが……
【黒の夢守】は捕獲に成功したものの力と記憶の大部分を失っている。特筆すべき能力としては、力を使った相手が一定期間内に異形化する点だ。
これは各地で頻発している【心狂い】に酷似しているが関係性は不明。
また【黒の夢守】に接触してくる様子も見られなかった。
仮説2 マナの総量を増やして反転させて世界滅亡?
人間界、精霊界のマナはデータによれば明確に増えている。これを冥の力で反転させれば可能ではあるが……?
仮説3 リューの弔い合戦?
光精霊の長を堕とした時点で目的が達成されているようにしか思えないしだとしたら精霊界だけでいいだろう。
仮説4 界秘幻郷の異変
どうやって感知したのかという謎が残るが……界秘幻郷自体に何らかの異変が起き、止めるためにマナを回収している可能性もある。
スカアハは【黒き者】なうえに封印された罪人であるため、善意で訴えても【白き者】が耳を貸さない可能性は高い。
その場合は多少の犠牲に目を瞑り、強硬手段に出る必要はあるだろう。
これらの仮説の中で私が一番可能性を感じているのはーー」
文章はここで途切れていた。
モニタの電源を落とし、アクセスを切断。
「……4だろう。私も今までのことを考えるとそうとしか思えない。だがそうだとしてもスカアハ様のやり方は、ぬるい」
部屋を出て研究所を後にする。クロワとリアンはもう島に着いた頃だ。
「……竜は生きるのに莫大なマナを必要とする。だから人間界に遺された竜の骨からマナを大量に回収して、スカアハ様にも送っておいたが……永遠に近い時を生きると言われる東方アキツの【鏡龍】。その生体に宿るとされる莫大なマナ。それらを献上できたなら……もうあの方は無理に戦わなくてもよくなるはずだ」
私は、気づいている。
戦闘指示を出す時の凜とした声に混ざるわずかな震えにも、瞳に差す影にも。
あの方はそもそもかつての敗北者で、戦争にトラウマがあるのは確かだろう。
それにあの方は、息子の話をするときにとても優しい声で、ひどく哀しそうな瞳で語り出す。息子ーーロキが自らに剣を向けていると知りながら。
「……戦いは私たちが受け持ちます。そもそも私は【奪う者】。この力は結局何かを守ることなど出来はしない。だから貴方は……」
呟いた声は潮風に流されて消えていった。
**
「……嵐になりますね」
その頃、東方アキツのある島で、人の姿をした【龍】は空を見上げた。艶やかな黒髪に朱色と白の巫女装束。淡い紫紺の瞳。
「……念のため母様は幻竜郷から出てこないでください。おそらく敵の狙いは【鏡龍】を殺すこと……幻竜郷で静かに暮らす竜たちのためにも道を閉ざして」
「【承知した……お前は今のところ最も力があり、そして愛しい我の【半身】。……お前を信じよう、鏡華」
「お任せください。人間たちは私が守ります。この平和な里を…荒らさせたりしません」
鏡華と呼ばれた少女は手早く避難指示を出し、結界を張った上で里を出る。
「……お待たせしました。一番最初にここに着いたのがあなた達でよかった。ニミュエ様、マーリン様。おかげで民達は避難することができました。……まもなくこの地に宿命が集います。人間界の竜の骨は……【死】によって朽ち果てた。どうやら、【死】はマナを集めているようですね」
「マナを……?確かに竜は骨にすら膨大なマナを溜め込んでいる。けれどそれならば……言い方は悪いけれど、精霊戦争が起きている今なら闇の軍勢をどこかの国にぶつけて滅ぼしでもして大量のマナを吸い取った方が早い。ここの【鏡龍】一体倒したところで……」
マーリンの言葉に鏡華は頷く。
「ええ。母様のマナは幻竜郷の街づくりでほとんど消費されています……それを知らないということもあるのでしょうが……【竜】にこだわっているように思えますね」
ニミュエは少し考えて、
「ねえ。鏡華。【竜】だけに伝わる古の伝説とか……特別な場所、力の話はないかしら?……そうね……ユミルの書庫よりも古いもので……」
「……そうですね……特別な場所……【界秘幻郷】でしょうか。白と黒の双子の【夢守】様が世界が夢に沈まないように……【結晶樹】を守っているって」
「……なるほど……スカアハの狙いは【界秘幻郷】か。マナを集めてあの場所へ通じる扉をこじ開けて、世界を滅ぼすのか……」
マーリンは言い終えると深くため息を吐く。
「……最悪だ。あの場所はそもそも生者が立ち入ることの出来ない場所。辿り着かれたならばこちらから干渉することは不可能になる……!タナトスはここで止める。ニミュエ、リヒト達に連絡を。マトリ達はおそらく現れるであろうマトリの父親にぶつける。残りのメンバーはメリュジーヌ、そして……相手の切り札に対処してもらおう」
「わかったわ。でも、切り札って……?」
ニミュエは魚の使い魔を指示に従って飛ばす。
「……落日事変だよ。あの事件の原因は【毒花】の竜化毒なのは間違いない。だが、神座ヴァラスキャルヴの警備はもちろんザルじゃない。直接転移魔法を使ったとしてもそれをすり抜けることができるのは、精霊でも人間でもない者ぐらいだ。そしてスヴァンフフィードはタナトスとフルイドに関係があるとディアンが明言したと言っていた。そのうえタナトスは実験体の製造管理者だ。研究所は少なくともフルイド撃破までは稼働していた。スカアハの封印を解くほどの頭脳と行動力を持つ者が、「道具」を用意していないとでも?」
ニミュエは言葉を失った。
「……実験体……そうね……それならば人間でも精霊でもない者を作り出せる……例えば素体を石にしたり、人間に何かのマナを混ぜたのなら……」
「……タナトスはそのぐらい平気でやるだろうね。相手の能力が全くわからないのが厄介だ。ロキ、イーサ、プロミネ、月の揺籃とソアは念のため太陽聖堂の守りを任せているけれど必要なら呼び戻す。ただ……イーサはあまりタナトスにぶつけたくはないところだ……」
風が強さを増す。船は静かに港に着く。
ーーそして宿命は、この地に集う。




